感情の発露
「おい、ヴォイド様が通るぞ。そこをどけ、白髪野郎!」
突然浴びせられた罵声に戸惑う。白髪野郎という言葉と受ける視線の強さから、罵声の行き先は俺だと思われるが、いきなりすぎるその声は俺の動きを止めたままにしていた。視線に刺されながらも後ろを振り返る。その動作が緩慢になっているのは、相手の傲慢な態度に対する面倒臭いという気持ちと嫌な予感からの最大限の逃避が原因だ。
声の方向には三人組の男達が偉そうに立っていた。真ん中の男を優先するように左右の少し後ろを他の二人が続いている。その様子を見る限り、真ん中の男が最も偉いのだろう。
「おい、聞いてんのかテメェ。そこをどけって言ってるんだよ」
真ん中の男がそう言って俺を睨み付けてくる。男の声はさっき聞いた声と同じ。つまり、罵声の元はこの男ということになる。突然人に悪口を浴びせるその性格は如何なものかと思うが、こちらも返答しなければいけない。相手側に好印象を与えることができれば、穏便に済ませられる可能性がある。そのためにも今はできるだけ丁寧に接しよう。
「……誰ですか、あなた達」
「あ?誰って、この俺を知らないのか。ははぁ、さてはお前、新入生だな?」
真ん中の男は全てを察したような顔で俺を指差した。いちいち偉そうにしているのでなかなか答える気になれないが、男の言ったこと自体は事実なので黙って頷く。すると、男はやれやれといった表情をして、今度は自分自身を親指で指した。
「だから困るんだよなぁ、新入生って奴は。格の違いってモンを理解していない。俺様はヴォイド・アゾスタ。……これで分かったろ?分かったらさっさとそこをどけ。お前みたいな、なよなよした情けねぇ野郎に構ってやる時間は無いんだよ」
ヴォイドは自己紹介を終えると、また悪口を言ってシッシと追い払うように手を振る。しかし、言われた通りにしようとしてもそうはいかない。ヴォイドは言った。分かったならどけ、と。けれど―――。
「―――ごめん、全っ然分からん」
俺にはその名前に全く心当たりがないのである。よほど自分の名前に自信があったのか、ヴォイドは唖然としている。左右にいるヴォイドの仲間もかなり驚いたらしく、少し後ずさりしていた。
「お前、ふざけてんのか!?アゾスタだぞ、アゾスタ!聞いたことぐらいあるだろ!?」
「いやだから誰」
「な――――」
俺にバッサリと言い捨てられ、ヴォイドはショックを受けたように固まった。ヴォイドには悪いが何度訊かれても答えは変わらない。そして、ヴォイドが教室の前で騒いでいるからか、少しずつ周りに人だかりが出来てきていることに気付いた。周囲の人々も何か話している様子だったので、聞こえるように耳を澄ましてみると。
「嘘だろ。あいつ、アゾスタを知らないってよ」
「マジで?ありえねー」
「アゾスタに絡まれてるあの子、可哀想……」
「でもアゾスタ知らないのは流石に常識ないんじゃない?」
こんな感じの声があちこちから。
…………あれ?あいつの名前、そんなに有名なの?自分の名前を言えば何とでもなると思っているなんて、常識ないなぁと思っていた俺が間違っていたのか?逆に常識ないのって、俺の方だったりするのか?
そんな馬鹿な。あんな偉そうな奴らよりも常識が欠けているとか、俺イヤだぞ。
目の前の事実を否定するためにもエリスの方に振り向く。根拠は無いが、エリスなら俺の望む答えを出してくれるはずだ。しかし、俺の希望とは反対に、エリスは言いづらそうな表情をしている。
「エリス、俺は間違ってないよな」
「………アレスさんは知らないんですね。アゾスタ家の人はゴーレムを造る魔法に長けていることで有名なんです。私としては、逆に何故知らないのか訊きたいのですが………」
「ウソ……」
そんな衝撃の事実、知りたくなかったなぁ。
何故知らないか、なんて決まりきっている。アカニ村があまりにも情報の届かない田舎村だからだ。俺はあの何かに揺らぐことのない、常に平和な村に十五年間閉じこもっていたのだ。冒険者も魔術師も来ることのない村なのだから誰が有名か、なんて分かるはずがないのである。
落ち込む俺を苦笑交じりに見守ったエリスは、さっきとは一転して表情を引き締め、俺とヴォイドの間に立ち、真っ直ぐな瞳でヴォイドを見据える。
「けど、それとさっきのことは関係ないです。アレスさんがそこをどく必要はないと思います」
「ああ?邪魔すんなよ、ミルリット。相変わらずウゼェお人好しだぜ」
毅然としたエリスとそれを睨むヴォイドの視線がぶつかり合う。ヴォイドの言葉から考えると、この二人は知り合いだったのだろう。しかし、その仲は悪いらしい。それもそうだろう。丁寧で人に優しいエリスと常に偉そうで人を見下すヴォイド。相性が良いわけがない。
「魔術師の名家だからって人を見下す理由にはなりません。その行動は貴方の名をいたずらに傷つけるだけです。それなのに、どうしてやめないのですか」
俺はエリスの言っていることは正しいと思う。周りの人の声の中にもヴォイドを嫌うものがあったからだ。ヴォイドの行動が彼自身の評判を落としている。しかし、ヴォイドはさも可笑しいと言いたげにケラケラと笑う。
「分かってねぇなぁ。俺の家は代々続く、由緒ある家だぜ?俺にはその優秀な血が流れている。つまり、俺は選ばれた人間なんだ。才能のないポンコツどもは素直に優秀な人間に従ってればいいんだよ。俺達選ばれた人間とそうじゃないカスの間には圧倒的な格の違いがある。事実、俺に従う、ちゃんと弁えている奴だっている」
「それは貴方が強引に従わせているだけでしょう………!」
「違ぇよ。そもそも、この俺と下民どもが同じ場所で勉強するってこと自体がおかしいんだよ。ったく、どうかしちまってるぜ。ま、俺は心が広いから特別に許してやってるんだけどな」
「それは貴方の自分勝手です。この学校はどの生徒も平等であると謳っています。アゾスタ、貴方はそのルールを破っているんですよ」
「あーあー、うるせぇなぁ。お前らは教師に敬語を使って敬うだろ?それを俺らにもしろって言ってるんだよ。立場の差は、はっきりしとかねぇといけねぇからな」
「その行動に傷つけられた人が何人いるか、分かっているんですか………!?」
エリスは怒りで身体を震わせる。彼女の我慢もそろそろ限界のようだ。しかしヴォイドはそれを怖がるどころかその様子を愉しんでいるように見える。かなり癪だが、やはりここは俺が奴の言う通りに引き下がるべきか。俺はヴォイドを睨むエリスに声をかけようと手を伸ばし。
「やはりカスは何を言ってもカスの鳴き声に過ぎん。お前もそうだが、お前の妹とやらも相当やかましいカスなんだろうな。いや、それを言うならお前の家族全員カスとゴミの塊か。どうせ見るに堪えない醜態を晒しているんだろうなぁ」
「―――あ?」
その言葉に動きを止められた。
今、こいつは、何と言った。誰のことをカスと言った?誰と誰と誰を、何と言ったんだ。この■■■■■は。
エリスもエリカちゃんも自分の家族を大事にしてて、他の人にも優しくて、こっちが驚くほど律儀で、彼女達の両親だって自分の娘をとても大切に思っていて、そんな人達が、一体何故、こんなふざけた奴に、カスだのゴミだの、悪口を言われて、嗤われなければいけないんだ……………!!!
「アゾスタ、貴方いい加減に………!!」
家族を侮辱されたエリスが怒りに押され、ヴォイドに詰め寄ろうとする。だが、ヴォイドはニヤついた顔を貼りつけて大袈裟な仕草で後ろへ下がり、逆に背後に控えていた仲間が前に出て来た。
「おおっと、怖い怖い。取り柄のお顔が台無しだぞ?それに、俺知ってるんだぜ、お前の妹が中等部に入学したこと。特別に挨拶しに行ってやろっかなー」
「……………ッ!!」
エリスも動きが止まる。エリスが下手に手を出せば、今度はエリカちゃんが巻き込まれるとヴォイドは言っているのだろう。エリスもそれを分かっているからこそ、奥歯を噛み締めて怒りを堪えている。それを見て、ヴォイドとその仲間は勝ち誇った顔を見せている。
恐らく、似たような手口を何度もしてきたはずだ。そしてその全てが成功している。そうじゃなければ、人をここまで貶めて馬鹿にすることはできない。そして、こんな真似をする相手は立場が同じかそれより下の人間だけ。少なくとも上の立場を貶めることはなく、むしろ他を犠牲にしてでも取り入ろうとするタイプの輩だろうな。こんな下衆な奴らに、上に刃向かう肝っ玉があるはずがない。
……俺は、こんな奴らに従おうとしたのか。それこそが人としての恥だ。こういうふざけた人間には絶対に屈してはならない。どうにかして、あいつらを叩きのめしてさっきの発言を撤回させなければ。何か、方法はないのか。
「………あった」
怒りに沸きあがる頭の中に、一つだけ思いついた。これならヴォイド達に一泡吹かせることができるかもしれない。相手の力量が未知数なところが少々心配だが、まあ大丈夫だろう。フォンホルン先生は俺に魔術師の才能があると言ってくれた。今こそ信じよう。十年の修行と先生の太鼓判が、あんな奴らに劣るわけがないのだから。
「ヴォイド・アゾスタ」
俺が名前を呼ぶと、ヴォイドは愉快そうな顔から不機嫌な顔に急変し、俺を強く睨みつけた。愉しんでいるところを邪魔されたことが彼の気に障ったようだ。ご機嫌でも不機嫌でも、俺にとってはどうでもいいことだがな。
「ああ?ヴォイド様だろうが、テメェ。せめてでもヴォイドさん、だな。ほら、もう一回」
「ヴォイド、俺と決闘しろ」
「………馬鹿にしてんのか?」
「だったら、どうする?」
ヴォイドの額の血管がピキピキと浮き上がっているように見える。俺に舐めた態度をとられたことがよほど気に食わないらしい。俺達にここまで偉そうにして、上の立場の相手には従順になるかもしれないのだから、人間というものには本当に驚かされる。
そして、ヴォイドは怒りで引き攣った笑いを浮かべ、こう叫んだ。
「いいぜ、受けてやる。そのムカつく顔面、泣き顔にしてやるよッ!」