持つべきものは金より友なり
固い地面を歩く度、カツカツと靴の音が鳴る。周りを見渡すと、自分と同じ制服を着ている人がちらほら見られる。彼らも俺と同じく試験という壁を乗り越え、魔法学園の生徒となった者達だ。
校門の向こうには校舎がそびえ立っており、周囲の人々は吸い込まれるように校舎の中へ入って行く。
こうして目の前の校舎を見上げるのは三回目だ。試験の時と結果発表の時、そして今。改めて考えてみると、この数日あっという間だった。
「―――入学式、かぁ」
そして、とうとう魔法学園の入学式がやってきた。天気は素晴らしいほどの晴れ。初めて着た制服はまだ身体に馴染んでいないが、着ていること自体に喜びがこみ上げてくる。できればおじさんにも制服姿を見せてやりたかったが、その前におじさんは村に戻ってしまった。仕事が忙しいということもあるが、元々は最低限の案内だけするつもりだったらしく、「細かい所は友達に教えてもらえ。友達出来たらの話だがな」とのこと。
「………フッ、みくびられたものだな」
友達の一人や二人、俺にだって出来る。冒険者ギルドに行ったときは完全に忘れていたが、それ以来片時も忘れていない。初日で十人くらいと打ち解けてみせるさ。
止まっていた足を動かし、校舎の中へ入る。向かう先は、魔力測定をしたあの講堂だ。いつもより一歩一歩の歩みが大きいのは自身の興奮のせいだろう。
今からが楽しみで仕方ない。これからどんな学園生活が待ち受けているだろうか?俺はこの学園生活が平和なものであることを願う。荒事の無い、穏やかだがかけがえのない日常。
「いや、違うな……」
その時、気付いた。それは願うのではなく実現するものだ。それは俺の日常なのだから。
☆☆☆
「これで、入学式を終わります。生徒は担任が来るまで教室で待機してください」
入学式といっても、学園長と教頭が長話をするというものだった。長かったのは主に教頭だけだったが。しかし、なかなか興味深い話もあった。周りの生徒の話では、学園長は超優秀な魔術師だとか、右目の傷跡は戦争で失ったとか。詳しい話は聞けなかったが、もし歴史の授業があればその辺りの話も知ることができるかもしれない。
これからの事に心を躍らせながら廊下を歩いていると、通路の窓から外の景色が見えた。ここから見るだけでもこの学校の広さが分かる。その敷地面積は格段に広いが、五つの棟に分かれている校舎も普通の建築物よりはるかに大きい。
横の景色に俺が目を奪われていると。
「……キャッ!?」
押されるような感覚と小さな悲鳴。
俺が余所見をしている隙に、曲がり角で誰かにぶつかってしまったらしい。正面に向き直ると、金髪の少女が目の前に座り込んでいた。少女は俯いているためその顔を見ることはできないが、少女の制服に赤色のバッジが付いているのが見える。
この学園の生徒は、学年によって付けるバッジの色が変わる。俺も赤色のバッジを付けているので、俺とこの人は同学年ということだ。
少女は怪我をしたようには見えないが、俺は少し見ただけで何かを見抜けるような慧眼は持ち合わせていない。
「すいません。大丈夫ですか?」
「……大丈夫です。こちらこそすみません………って、あれ?」
咄嗟にしゃがみ込み、少女と目が合う。その瞬間、思考が止まった。俺は今、かなり驚いている。
縁というものは本当にすごい。この再会を誰が予想できただろうか。
目の前の少女も信じられないといった顔をしている。つまり、俺のことを覚えてくれていたらしい。その事実に嬉しくなる。
「―――久しぶり、だな。エリス」
「はい。ここで貴方に会えるとは思ってませんでした。アレスさん」
俺の挨拶に少女、エリス・ミルリットは笑顔で応えてくれた。俺が手を差し伸べるとエリスはその手を取って、「ありがとうございます」と言いながら立ち上がった。
「ここの生徒だったんだな」
「実はそうなんです。といっても、隠してたつもりはなかったんですけどね。でも、私だってびっくりしましたよ。あのとき言ってくれればよかったのに」
「あー、特に訊かれなかったからな。許してくれ」
それに、エリス達とはすぐに別れてしまった。もう少し雑談でもしていれば、俺が魔法学園を受験したことを話していたかもしれない。そうすればエリスも自分のことを話しただろう。今となっては後の祭りだが。
俺が謝ると、エリスは不満そうな表情から一転、悪戯っぽく笑った。その変わりように、俺は思わず面食らってしまう。
「……フフッ、冗談です。命の恩人にこんな事で怒りませんよ。でも、また会えてよかったです」
どうやらさっきの様子は演技だったらしい。一瞬でも騙されたことに怒りが沸くわけがなく、むしろエリスを怒らせてはいなかったことに安堵する。
「―――ああ、俺も。エリスは何組だ?俺、A組」
「わ、すごい偶然ですね。私もA組なんです」
「おお、そりゃあ運が良いな。良かったぁ」
同じクラスということにホッと胸を撫で下ろす。喜びで肩から緊張が少し抜けた気がした。
知らない人達に囲まれる環境より一人でも知り合いがいる方が安心できる。この巡り合わせを神様に感謝したいぐらいだ。
「じゃあ、一緒に教室まで行こう」
「そうですね。色々話したいこともありますし」
笑顔で頷いてくれたエリスの隣に並んで歩き出す。ここから教室まではまだまだ距離がある上に、エリスは敢えて遅いペースで歩いているので、たくさん話ができそうだ。
「エリスも新入生なのか?」
「いえ、私は中等部のときからこの学園にいました」
「そうなんだ。それじゃ、ここのことは俺よりエリスの方がよく知っているんだな」
この学園は中等部と高等部に分かれており、それぞれ三年間の在籍が可能だ。基本的に中等部から入学した生徒は自動的に高等部に入り、また三年間過ごすことになる。俺は高等部から入学した人間だが、エリスは今年で四年目らしい。つまり、この学園ではある種の先輩となる。
「そうなりますね。ところで、エリカも入学式にいたのですが、気付きました?」
「え。何それ初耳。ってことは……」
「はい。エリカも中等部の一年生として入学したんです。アレスさんも私達と同じ生徒だって知ったら、あの子すごく驚くでしょうね」
「だな。後で会いに行かないとな」
再会したとき、エリスがあれだけ驚いたのだ。同じ状況でエリカちゃんが驚かないわけがない。あの姉妹はそっくりなので再会したときの表情も恐らく姉と同じようなものだろう。
と、その顔を想像してみると自然と顔が綻んだ。それを見て、エリスが不思議そうに首をかしげる。
「アレスさん?」
「いや、何でもない。会うのが楽しみだと思っただけだよ」
「……?はぁ、そうですか」
首を横に振って誤魔化す。
人の驚く顔を想像して一人笑っていたなんて、わざわざ言うほどのものでもないからだ。
エリスは少し気になっている様子だったが、尋ねることはしなかった。その代わり、何か思い出したような表情になっていた。
「あっ、そうだ!お礼のこと、覚えていますか?」
「お礼……ああ、覚えてる覚えてる」
俺の記憶が正しければ、助けてくれたお礼を準備しておく、といった言葉を別れ際に言っていた気がする。あまりそこの辺りを考えたことはなかったが、お礼ってどんな物だろうか?
「とりあえず百万ゴールドほど用意しようと思っているのですが」
「ひゃく………!?」
驚きで足が止まる。俺はあまりの衝撃で動きが止まったが、今さらりとすごい金額を口にした目の前の少女は俺の様子を訝しむように見ている。
こんな反応をする俺が間違っているのだろうか。いやいや、そんなことはないはずだ。………うん。ちょっと自信なくなってきたぞ…………。
「それ、すごい大金だってこと分かってる?」
とりあえず確認のために訊いてみた。
エリスがもしその金にどれだけの価値があるのか理解していないのなら、どれだけ時間がかかっても教えなければならない。
しかし、俺の問いにエリスは言い返したそうに眉をひそめる。
彼女の反応を見るに、一応百万ゴールドというものの価値は分かっているらしい。つまり分かっていて、俺にそんな大金を渡そうとしているということだ。
「あのですね。私達三人はアレスさんに命を救われたんですよ。しかも馬車まで直してもらいました。あのときは命だけ助かっても危ない状況だったんです。つまり、私達は二度助けられたということです。だからそのくらい当然で、むしろ足りないくらいなんです」
「お、おお……。ちなみに、ご両親はなんて?」
「娘達を助けてもらったのだからそのくらいお安い御用だ、と」
「マジか……」
まずい。勢いではこちらが完全に負けている。エリスの両親が少しでも渋っているのなら、それを盾にして遠慮できるかと我ながら卑劣な考えが浮かんだが、その可能性も潰された。そもそも俺だって家族を助けられたら最大限のお礼をしたくなるのだから、余裕がある限り大金を贈ろうとするのも頷ける。要するに、このままでは本当に百万ゴールドを受け取ることになってしまう。
――――いや、だいたい何故オマエはそこまでして受け取ることを拒むんだ?
向こうは問題ないと言っているのだから貰ってしまえばいいじゃないか。値段に日和っていても仕方ないだろ。金さえあれば生活に悩むこともない。魔道具の材料だって買い放題だ。贅沢もできる。貰って困ることなんて、何一つない。そう、何一つ――――
そうじゃないだろ。それじゃ俺自身の成長に繋がらない。お礼なら貰えればいい。けど、それが怠惰に繋がるのなら、そんなもの要らない。金が足りないなら自分で稼げばいい。そのために冒険者登録をしたんじゃなかったのか。それに、今の俺には金より欲しいものがある。
「なぁ、エリス」
「はい、なんでしょうか」
「悪いけど、そのお金は貰えない」
「え……?」
自分で言って、申し訳ないと思った。エリスは純粋に感謝と善意で俺に大金を贈ろうとしていた。だから、それを拒むのは罪悪感で心が痛む。エリスは驚いているような困惑しているような様子だ。
「そのお金は俺自身のためにならないと思うんだ。その代わり、エリスに頼みがある」
「頼み、ですか」
「ああ。俺の、友達になってほしい」
言葉に緊張が宿っていることを自覚する。今思えば、正面から友達になってくださいと言うのはこれが生まれて初めてだ。エリスは驚いたように目を見張り。
「―――良いですよ。こちらこそよろしくお願いします」
少し照れながらもコクリと頷いてくれた。無意識のうちに肩に力が入っていたのだろう。ほっとすると同時に軽く力が抜けた気がした。
「―――ありがとう。これからもよろしくな!」
嬉しさから勢いよくエリスの手を握った。すると、何故かエリスの顔が赤に染まってゆく。紅潮した彼女の視線は俺達の手に注がれている。勢いはあっても優しく握ったつもりなので痛くはないはずだが……。
「どうした?体調悪いのか?」
「い、いえ。そうゆうわけではないのですが、あの、手が」
「手?痛かったか?」
「そ、そうじゃなくて」
エリスが慌てている理由は分からないが、手を握っていることが問題だと気付いたので取り敢えず手を離すと、エリスの顔色が徐々に戻っていく。しかし気分はまだ落ち着かないようで、何回か深呼吸をしてようやく平常になってくれた。
「……大丈夫か?」
「はい、なんとか。じゃあ、行きましょうか。―――本当に、良かったんですか?お金、貰わなくて」
教室に向けて足を進めながら、こちらを窺うように尋ねてくるエリスに、俺は頷きで返した。
「今はお金よりももっと大事なものを手に入れたからな」
「……あ、確かにそうですね」
俺が何のことを言っているのか察したらしく、エリスは元気な笑顔を見せる。
今手に入れた友情はどれだけのお金よりも価値のある。今回はそれを得ただけで充分。これ以上の何かを求めるのは流石に贅沢、というより身の程知らずというものだ。
「アレスさん、着きましたよ。ここが私達の教室です」
「ここが……」
歩いてそう時間は経たず、エリスは目の前を指し示した。指の方向には表札に『1-A』と表記された部屋が見え、俺達は扉の前に立っている。
「嬉しそうですね」
「……ああ、まあな」
ぎこちなく言葉を返す。ここで俺の学園生活が始まると思うと緊張よりも興奮の気持ちの方が大きい。一度、深呼吸をして身体中から沸きあがる興奮を落ち着かせる。
ついに始まるんだ。俺が十年間夢見たことが今ここに実現する。何者にも脅かされない、平穏で素晴らしい学園生活が。いろんな人達との新しい出会いが。
新しい出来事への期待に突き動かされ、俺は扉を開けようとして―――――
「おい、ヴォイド様が通るぞ。そこをどけ、白髪野郎!」
―――――突然の罵声に、それを遮られた。