決闘の後
「儂に会いに来たということは、合格したんじゃな?」
お互い椅子に座って一息ついてから、ロジャーさんは話を切り出した。俺がその問いに頷くと、ロジャーさんは嬉しそうに笑った。
「そうかそうか。それはめでたいことじゃ。アレス、おめでとう」
「ありがとうございます。これも、いろんな人達のおかげです。勿論、ロジャーさんもその中の一人ですよ」
あの時追い出されて出入り禁止にされていたら、俺は試験を受けることができなかった。今こうしていられるのも、ロジャーさんの温情のおかげだ。
「おお、そうか。儂もまた良い事をしたものじゃ」
「ええ、本当に」
何はともあれ、これで本来の目的を達成できた。用事らしい用事はもう無い。暇があるなら色々と質問したいことがあったのだが、今はそれよりも優先して訊きたいことがある。
「あの、ちょっと訊きたいことが……」
「……ロナのことじゃろう?」
質問の内容を言う前ならまだやり直せるかと思ったが、ロジャーさんにはお見通しだったらしい。
俺は少し躊躇ったが、黙って頷く。
「答えたくないならいいです」
「いや、構わん。何が訊きたい?」
ここからはプライベートな問題だ。他人の俺が勝手に踏み込んでいい領域ではない。見方によってはただの迷惑行為になる可能性だってある。
そう思って答えたくないならいいと言ったのだが、ロジャーさんは全く気にしない雰囲気だった。
ならば、訊きたいことはこの際訊いてしまおう。無論、まずい質問だと分かったら極力避ける方針で。
「ロナさんとは仲が悪いんですか?」
「いや、仲は良い方じゃ。あの時は状況がアレじゃったからの。つい冷たく言ってしまったが、あの子も自分に非があると分かっとるから、あれで儂を嫌いになることはないじゃろう。仮に嫌いになったら、儂泣く」
なるほど。ロジャーさんは孫に対して甘々というわけではなく、それはそれとして区切りをつけることができる人のようだ。長い間ロナさんを見ていた人間だからこそ、ロナさんのことを理解しているのだろう。言葉に確信のようなものを感じる。嫌いに思われたら泣くというのは、やはり彼も孫を想うおじいちゃんということだな。
「状況がアレってことは、決闘は禁止だったんですか?」
「禁止ではないが、対戦相手と経緯が問題だったんじゃよ」
「?」
ロジャーさんの言っていることはよく分からない。
相手と経緯が悪いというのはどういうことなのだろうか?
「本来騎士と平民が決闘をすること自体滅多にない上に、賭けるものが軽いんじゃよ。儂程度の人間なら会わせても構わんというのに。まぁ、大事にするほど儂のことを思いやってくれた点に関しては嬉しいがの」
ロジャーさんの言葉の中には気になる部分があった。滅多にないということは、一度や二度くらいはあったということなのだろうか?
………いや、そう深く考えることはないだろう。昔あったと言われているだけで、ロジャーさんがそれを見たわけではないのかもしれない。
それよりもさっきからロジャーさんが言っている、『騎士』という言葉が気になる。
「騎士って、兵士と何が違うんですか?」
「兵士学校を卒業した兵士達は騎士試験というものを受けることができてな。それに合格すれば騎士になれるんじゃよ。大きな違いといえば、その実力じゃな。兵士より圧倒的に強いというのが騎士の特徴じゃ」
「……ああ、道理で強いわけだ。じゃあ、勝てたのは本当にまぐれだったんだ」
納得である。ロナさんは他の兵士達とは何もかもが違った。決闘も、最初はこちらが押し負けていたが、それは当たり前のことだったのか。我ながらそんな強者相手によく勝てたものだ。恐らくもう一度戦うと、そのときはこちらが負けてしまうだろう。
しかし、俺は国内で実力の高い相手と模擬戦をすることができたのだ。そんな機会、簡単に得ることはできない。
自分は本当に良い経験をしたと改めて思っていると、ロジャーさんが何故か俺を凝視していることに気付いた。その目は探るように俺を見つめている。
「どうしたんですか?」
「……アレス。お主、どうやってロナに勝ったんじゃ?」
「え、どうやってと言われても。互いに木剣一本で勝負しただけですけど」
そう答えると、ロジャーさんは俯いて、困ったように深く考え込んでしまった。
普通に答えただけだが、何か変なことを言ってしまったのだろうか?
「人間と戦った経験は?」
「さっきの決闘が初めてですけど、それが?」
「……お主、強くないか?」
「へ?いやいや、そんなわけないじゃないですか」
手をぶんぶんと振って否定する。ロジャーさんは真面目に訊いてきたはずだが、彼の言葉があまりにも可笑しすぎて、つい笑ってしまった。そんな俺を見て、ロジャーさんは不満そうな顔をしている。
「運良く勝てただけです。真剣で戦ってたら俺死んでますよ、多分。最初はこっちが負けてましたし、僅かでも隙を見つけられたから何とか勝てたんです」
それに、ロナさんは元々長剣の使い手だったが、俺に合わせて普通の木剣を使ってくれた。それだけがこちらにとってのアドバンテージだったのだ。今回はそこを突いて勝てただけ。次はこうはいかないだろう。
「そういうもんかのぅ」
「そういうもんです」
ロジャーさんはいまいち納得していないが、それで諦めてもらうしかない。そうでなくては説明がつかないのだ。全て偶々上手くいっただけなのだから。
「それでも、今から兵士学校に入ったりは?」
「しないです。気持ちだけ受け取っておきます」
「はは、冗談じゃよ。ちと残念じゃがの」
ロジャーさんは楽しそうにそう言っているが、こちらからはかなり残念がっているように見える。
まさかあの言葉、本気だったのか……。
ロジャーさんはひとしきり笑った後、椅子から立ち上がった。
「では、儂は戻るとしよう。あの部下達
の再教育をせねばならんでな」
どうやらあの訓練場に戻るらしい。彼らの行く末が心配だが、死にはしないだろう。多分。しかし、一応こちらからも言うだけは言うとしよう。
「お手柔らかにお願いします。死なない程度に」
老兵の背中に言葉を投げ掛ける。
老兵は立ち止まって振り向き、もう笑顔を見せると。
「うむ、了承した。お主の言う通り、ギリギリ死なない所まで追い込んでやるとしよう」
俺が自爆発言したことを教えるように、そう言い放った。
俺はそこで自分の発言が兵士達に何をもたらすかようやく気付いた。頭の中に彼らの阿鼻叫喚が思い浮かべられる。
「ちょっ、ちょっと待った!今のナシ!ナシで――!」
「ははは聞こえん。聞こえんなぁ!よぉし、今日はとっておきの超・訓練を奴らに課してやろう!ああ、楽しみじゃ!さきほどまで褒め称えてた相手に、地獄に突き落とされた時のあいつらの表情がどうなるか、見物じゃのぉ!」
しかし撤回する余地無く、ロジャーさんは愉しそうに叫びながらビューンという効果音が付きそうなほどの速さで訓練場の方へと走り去ってしまった。
あの速さ、おじいちゃんの動きじゃない。本当に引退のいの字も感じさせない走りだった。あんな人だから世にも恐ろしいであろう訓練をさせることができるのだろう。いやマジで恐いなあの人。
ロジャーさんの側近の兵士達も慌ててロジャーさんを追いかけようとするが、その寸前俺を鬼畜を見るような目で見ていたのが、かなり心苦しかった。
「………ホント、すんません」
皆が去って行った中、俺は一人彼らに向けて謝罪の言葉を呟いた。
さて、これからどうしようか?
今更止めようと戻っても、変えることはできないと思う。むしろロジャーさんが俺がそうするように言ったと皆に伝えていたとしたら、俺が行っても状況が最悪になるだけだろう。ならば、ここは。
「―――帰ろう」
逃げるのではない。戦略的撤退的なアレである。こうするのが最も適切なのだ。決して逃げようとしているわけではない。
心の中でそう繰り返し、俺は宿の方向に身体を向けて歩き出した。