真夜中の特別会議
作者の都合により、この話で描かれる設定を少し変更しました。
申し訳ありません。
魔法学園入学試験日の翌日の夜、教室の一つである特別会議室にフロイド・フォンホルンはいた。
彼の前には貫禄のある教師達が十人、フロイドを囲むように座っている。彼らはかつて魔法学園の生徒として在籍し、卒業した後も教師となって今もなおこの学園を支え続けている古株である。魔物討伐試験でのアレスの様子を観察し、試験の採点を終えて彼の合格を知ったことでご満悦のフロイドだったが、合格発表の直前の夜に突然呼び出しを受け、今は会議室のど真ん中に立たされている状態である。
フロイドはその理由に一つだけ心当たりがある。常日頃この学園に貢献している彼にはそれ以外思いつかないのだ。小さな諍い事なら無いことはないのだが、それだったら自分一人が呼ばれるのは少々おかしい。
どんな質問をされるだろうかとフロイドが予想し始めた時、ドアの開く音がした。
「すまない、待たせたな」
ドアを開けて入って来た老人は、そう言ってフロイドの正面にある椅子に座った。老人の謝罪に、古株の教師達は首を横に振る。
「いえいえ私達は大丈夫です。お気になさらず、学園長」
魔法学園の現学園長、グース・ルディロス。その老人も魔法学園出身であり、今までの学園の歴史の中で最も優秀な人物だったとか。昔起こったエルフとの戦争にも参加していたらしく、それ故に様々な逸話も語り継がれている。右眼は義眼で、その時の戦争で失ったという話は有名だ。
厳かな雰囲気を漂わせる老人はフロイドを見据え、口を開く。
「今回呼ばれた理由は分かるかね?」
グースの低い声が会議室に響き渡った。
フロイドは向こうから話題が出ると思っていたので、その問いは彼にとって少し意外だった。単刀直入に言えば良いものを、と思ったがそれが表情に出ないよう真顔を保ち続ける。向こうはこちらが何かを隠しているとでも思っているのか、こちらから話題を引き出したいらしい。フロイドはため息をつきそうになるが、グッと堪えた。
老人からの問いかけに、フロイドは既に頭の中にある自分の考えを言葉として口に出す。
「昨日の入学試験に合格した、アレス・ウォルター君についてですよね」
「そうだ。その少年について、こちらが把握しきれていないことが幾つかあってね。その為に、彼を推薦した君に来てもらった」
やはり、と彼は自分の予想が当たったことを理解した。
今回の入学試験で、アレスは良い意味でやらかしまくった。それが常識に収まる範囲だったら、単純に才能ある田舎の少年と思われるだけなのだが、事実は違った。
恐らく自分はそのことについて問われるのだろうと、フロイドの中で確信があった。
「この際、全て訊くとしよう。まず、彼は何者だ?」
「アレス君は普通の農民の子供です」
「あり得んだろう、そんなこと!」
二つも三つも答えがあるわけではないので即答したフロイドだったが、教師の一人に食ってかかるように反論されてしまった。フロイド自身、今の状況ではその言葉が一番困るので、嫌々その教師に言い返す。
「あり得ないと言われてもですね。それが現実としてあるんですよ。話した感じ、何かを隠している様子もなかったですし」
「ならば、普通の農民の子供があの異常事態を引き起こしたというのか!?君の言っていることが正しいという証拠はあるのかね!」
「それは……」
証拠は無いが、それを認めてしまえばもはや何でもありだ。
フロイドが返答に困ったその時、救いの手を差し伸べたのは意外な人物だった。
「もうよい。無いならこちらで調べるまで。他の質問に移るとしよう」
そう言ったのはグースだった。問い詰めてきた教師は何も言えず、ただ小さく唸る。
………いや。これを救いの手とは呼ばない。単に埒が明かないと判断しただけだろう。
「君は何故彼を推薦したのかな?」
「私の知人がアレス君と同じ村の出身で、その人物がアレス君のことを教えてくれたのが事の始まりです」
元々はザウロの頼みだったから受け入れただけで、フロイドは最初はそう大きな期待はしていなかった。だから、初めてアレスを魔眼で視た時は鳥肌が立ち、自分の眼で見抜けないモノは無いという驕りはその瞬間に消え去った。
あまりにも大きすぎる気配、万物を呑み込むような黒い色。出会えたこと自体が奇跡だと直感した。興奮で珍しく我を忘れてしまうところもあったが、それは仕方のないことだ。アレスはそれほどに強大な力を持っていたのだから。
「なるほど。君は魔物討伐試験の時、担当と入れ替わってその少年の様子を監視していたはずだが、それを見て君はどう思ったのかな?」
アレスの活躍を見て、自分はどう思ったのか。フロイドは今までの経験を思い返して考える。
魔力、体術、精神力、練度。
自分が見て、感じたことは唯一つ。
「――――最強、だと思いました」
「――――!?」
フロイドが答えると周囲にざわめきが起こった。フロイドの答えに教師達は動揺し、顔を見合わせる者がいればフロイドを睨みつける者もいる。
フロイド自身も自分の言ったことがどういうことか理解している。この国には強力な魔術師が数多く存在し、誰が最強かという話題では派閥まで作られている。それほどに『最強』という称号には意味が持たされているのだ。
「………随分と彼のことを買っているのだな」
険しい顔をしたグースの呟きがフロイドの耳に届く。聞こえるつもりで言ったのかそのつもりはなかったのか。どちらにせよ、そこに怒りや動揺は感じない。
「ええ。彼は常に私達の予想を超えてくるので。魔力検知用の球が破壊された例なんて今まで無かったですし、魔道具で強化された《アースウォール》を地面ごと抉るのも予想外でした」
討伐試験に至っては、他の受験者は三十にも届いてなかった魔物の討伐数が、彼は五十だ。しかも、最後はAランク級の魔物であるジャイアントホーネットも倒している。
こんな活躍を見せられては、期待せずにはいられない。
「―――あぁ、魔道具が破壊されたことだが。その場合の判定はどうなったのかな?」
グースは思い出したように言い、教師の一人に尋ねる。魔道具の専門家であるその教師は気まずそうな顔で冷や汗を流している。
「は、はい。魔道具が壊れた原因について我々はアレスという少年の魔力によるものだと考え、現時点では規格外という風に判断しています。しかし、それ故に順位のつけ方に困っていまして……」
「高い順位にすれば名家の連中が黙っていない、ということか。全く、困ったものだな」
はい、と教師は頷く。
この学園は大規模であるが故にその費用も莫大だ。それを支えているのが貴族や地位のある魔術師の家からの支援。要するに、多少は彼らの機嫌も窺わなければいけないということである。
そして貴族の中でも考え方に違いがあり、それで発生する小競り合いもあるのだ。特に仲が悪いのは、貴族至上主義の下に平民を見下す者達と、自分と平民は平等で見下してはならないと主張する者達だ。
魔法学園の生徒は貴族と魔術師の名家の割合が高く、アレスが上位に立つと貴族至上主義の者達は教員達に抗議する可能性がある。それが暴走すると、最悪の場合アレス本人に危害を加えるかもしれない。
即ち、迂闊な順位決めは危険ということである。
「ならば、アレス君を最下位にすれば良いのではないでしょうか?」
グース達が考え込む中、そう言ったのはフロイドだった。余程意外だったのか周りの教師達は皆、驚いた目でフロイドを見ている。グースの顔に変化は無いが、少しは意外に思っているはずだ。
「………驚いた。まさか君がそれを言うとは」
「アレス君なら最下位でも納得はしてくれると思いますし、そうでなくとも私が責任を持って何とかしますよ」
アレスと話したことがあるフロイドは分かる。あの少年は自分が最下位でも激昂せず、むしろ更に上を目指そうとするだろう。グース達は彼が怒りに任せて自分達を攻撃してくることを恐れているようだが、その心配は全く無いのである。それに、アレスがどうやって成り上がるか楽しみということもある。しかし、あくまでこれはその場しのぎだ。結局、彼が上位に上がろうとする事実は変わらない。その時が来るまでにグース達は案を考えておかなくてはならないのだから、少々気の毒な話だ。
「―――承知した。そこは君を信頼するとしよう。では次の話だが、魔物討伐試験で君が見たのは本当にジャイアントホーネットだったのか?」
「はい。間違いないです。何故Aランク級の魔物があの森に現れたのかは分かりませんが、警戒はしておくべきでしょう」
フロイドの言葉に、グースは頷いた。
魔物討伐試験が行われた森は本来魔物の数が多いわけではなく、今回は偶々ワイルドウルフが大量発生していただけだ。Aランク級の魔物が出てくる場所ではない。アレスがあの時倒していなかったら、低ランクの冒険者が何人も犠牲になっていたかもしれない。
考えられる原因は幾つかある。本当に偶然来ていたか、大量発生したワイルドウルフ目当てで来た、または。
「―――もしかすると、魔族があの森に放し飼いにしていたのかもしれません」
「なんだと!?魔族が再び動き出したということか!?」
フロイドの考えに、周りが一斉にざわつく。
魔族は魔物の上位種であり、魔物と同じで人間に敵対する生物だが、魔物とは性質が少し違う。魔族は魔物と同じ能力を持っているがその姿は人間に似ていて、人間に魔物の特徴が現れたような姿形をしており、言葉を話すこともできる。寿命が長く、回復力や生命力も高い。そして、強い。魔物より遥かに強く、その圧倒的な強さはSランクに値する。何故かここ十数年は動きがなかったが、いつまでもその状態が保たれるとは限らない。
フロイドは深く考え込んでいるグースを見る。フロイドの発言を重く受け止めているのか、グースの顔の皺は更に深くなっていた。
「あくまでも可能性の話であって、絶対というわけではありません。しかし、その可能性を捨てるべきではないと思います」
「………分かった。その件についてもこちらでも調べよう」
フロイドの提案を受け入れたグースは教師の一人に何かを指示する。教師が走り去った後、グースは再びフロイドに向き直った。
「これで尋ねる事は全て尋ね終えた。呼び出して悪かったな。もう行っても構わんよ」
どうやら帰っても良いらしい。そうしたいのは山々なフロイドだったが、一つだけグースに訊きたい事が出来ていた。
さっきから散々訊かれたのだから、一つぐらいは構わないはずだ。大人しくお言葉に従う前に、それだけ訊いてから帰るとしよう。
「分かりました。最後に尋ねたい事が一つだけあるのですが、それだけよろしいでしょうか?」
何かな、とグースはそれを許可する。
「学園長はアレス君の事をどう思っているのですか?」
「私が―――?」
逸話を持つほどの男はアレス・ウォルターという規格外の存在に何を感じているのか。
フロイドのように歴史を変える希望を感じるか、教師達のように世界を壊す危険を感じるか。
グースは俯いて少し考えた後、答えが決まったのか顔を上げた。
「―――――そうだな。恐らく、私は危機感を抱いていると思う。私は想定外の存在にはめっぽう弱くてね。かつて、私の右眼を奪ったのも例外だった」
そう話すグースの口角は上がっており、その様子は懐かしんでいるとも自嘲しているとも取れる。
「……そうですか。それは少々残念です。―――では、私はこれで」
「うむ、少年のことは頼んだぞ」
老人の言葉を背に受け、フロイドは特別会議室を出た。真夜中の廊下は暗く、靴の音だけが反響している。
あの学園長ですらアレスを良く思っていなかったことが、フロイドにとって残念だった。アレスはかなり危険視されていたが、取り敢えず入学は問題無しという事自体に彼は安堵した。これからアレスはどんな学園生活を送っていくのだろうかと考えてみるが、具体的な予想は全くできない。そこでフロイドは思い至る。
そもそも彼の実力すら見抜けなかった自分がそれを為せないのは当然の話だ。だから、自分はただ楽しみにしていれば良い。少年が進む道を見守る。それが自分のするべき事だ。
それに気付いたフロイドは自己の妄想を完結する。
そして、新しい一日はすぐそこにやって来ていた。