謹慎
維月は、息を切らせて奥宮の居間へと帰って来た。
着物は重かったが、そんなことより高湊と燈子の事が気になって仕方がなかったのだ。
維心は、維月の必死の形相を見て一瞬ギョッとした顔をしたが、苦笑して言った。
「維月、簪が歪んでおるわ。何を慌てて戻って参ったのだ。」
維月は、ずるずると着物を引きずって維心に寄って行き、言った。
「あの、高湊様は?!やはり燈子様は宴に出られぬのですか?!」
維心は、息をついて維月を落ち着かせるように肩を抱くと、自分の隣へ座らせた。
そして、言った。
「忠告はしたのにあれは己が感情にあかせて燈子を叱責していて、我を忘れてこちらへ連絡できなかったと己の非を認めたのだ。ならばどう償うと言うたら、答えられなんだ。ゆえ、仕方なく謹慎処分にして後にまた同じ質問をすると言い渡した。大事にしたくなかったのに、あれは己の非だと聞かぬでな。しようがなかったのだ。」
ということは、やはり燈子は来られないのだ。
維月は、常々高湊だけ上位の中では王らしくないなあ、とは感じていた。それでも、若くしていきなり王座に就いたらよくあることで、そのうちにと思っていたのだ。
それがどうやらそうではないらしい。
普通なら、皇子なり妃なりに非があったと謝って、それらに軽い罰を与えて手打ちにする。
なぜなら、王に非があるとなると大層な事になるからだ。
それを、生真面目に維心の前で己が悪いと認めてしまったので、こんなことになってしまったのだ。
「まあ…困りましたわね。やっと炎嘉様と仲直りという形で落ち着かせようとしておるところですのに、こんなことに。やはり私が、こちらへ事前練習などに呼んでしもうたから…。」
維心は、首を振った。
「違う。あれは妃を妬んでおるのだろうの。高湊は此度の合奏には参加せぬが、皆それが練習云々ではなく、弾けぬからだと知っておる。あれは特に王としての某かを教えられずに育っておるゆえ…何しろ、罪人から生まれておるから、高司も高晶もそんなことは考えなんだであろうしな。歳が近い高瑞が優秀であったし、そんな機会もないはずだった。それが…こんなことに。燈子は宇州が大切に育てた皇女で非の打ち所もないだろう。そんな妃が、己は出られない合奏に浮かれておるとなると良い気はせなんだのだろうと思われる。なので、こんな嫌がらせをしたのだ。それが、こちらに礼を失する事になるとは思いも至らなかったのだろうの。」
維月は、椿から箔炎も同じようなことを言っていたと聞いていたので、恐らくそうなのだろうと思った。
それにしても浅はかな…それでまた宮が面倒に巻き込まれるのに。
「どうしたら良いのでしょうか。これ以上となると序列にも関わって参りますし、気が揉めますこと。」
維心は、ため息をついた。
「我もそのように。できたら、高瑞に戻ってもらいたいところだがあれは月の宮でやっと落ち着いて暮らせるようになっておるし、気の毒ではある。とりあえず宴の席に来るようであるから、話はするつもりよ。だが、難しいの。せめて高彰がもう百年育っておったらと悔やまれるわ。」
維月が黙り込むと、義心の声がした。
「王。ご報告に参りました。」
維心は、戸の方を見た。
「入れ。」
義心は、入って来て膝をついた。維心は、言った。
「高湊の事を見て参ったか。」
義心は、頷いた。
「は。あちらは大混乱で高彰様が何とか落ち着かせている状態でありまする。詳しい話を高湊様から聞いて、考え込んでおられました。」
維心は、あきらめたように頷いた。
「あれは若いし案じられるわ。まさか殺そうとはしておらぬよな。」
義心は、頷いた。
「それは未だ。しかし長引けば何をされるか分かりませぬ。」
やはり王座を入れ換えるしかないのか。
維心が思っていると、義心は続けた。
「そんな折、高瑞様が月の宮から渡られた由。恐らくは蒼様からお聞きになって、放って置けぬと参られたのではないかと。我がこちらへ戻ろうと飛んでおる時に月の宮の軍神二人と共にそちらへ向かわれるのを見ただけで、お話の内容は分かりませぬが。」
維心は、ハアとため息をついた。
「高瑞も放置しておけなんだのだの。仕方がない、何を話しておるのかまた、聞いて来てくれぬか。主ぐらいしか気取られずにそれができる者が居らぬしの。」
義心は、また戻って調べて来いと言われているのに、嫌な顔ひとつせずに頭を下げた。
「は!」
そうして、出て行った。
維月は、維心を見上げた。
「高瑞様が御自らお戻りになると決められるやもしれませぬわね。」
維心は、それには首を振った。
「今の高瑞は、恐らく戻るとは言うまいの。我とて戻ってくれたらと思うたが、それは高彰が育つまでのことぞ。あれが王座に正式に戻ると、いろいろややこしい事になるのだ。高彰は確かに王族ではあるが、高瑞が戻るともし高瑞に皇子ができたら、王位継承の順位が下がる。つまりは、高瑞の子が王座に就くことになる。そうなると、せっかくに優秀である高彰が、何のために戻ったのか分からぬようになろう。高瑞も分かっておるし、月の宮で落ち着いておるのもあって戻ろうとは言うまい。ただ…戻らぬでも裏で高湊を何とかして欲しいとは思うがの。あれが指示して高湊を動かし、あと百年を過ごしてくれさえしたら、高彰が継いで後に繋がる。我は、それを期待しておるのだがの。そう上手くは行くまい。」
維月は、維心を見上げた。
「なぜですの?高湊様も、いろいろお教え頂いたら助かるのではありませぬか。此度のような事が起こらぬようになりますでしょうし。」
それでも、維心は首を振った。
「高湊の誇りが許さぬだろうと言うのだ。臣下もそうなって来ると王とは名ばかりと雑に扱うようになろうし、居心地も悪うなる。宮では王とは呼ばぬようになるやもしれぬ。それだけ、王というのは難しい地位なのだ。それと認められなければ、誰も王と敬って仕えてはくれぬからの。」
誇りとか言っている場合じゃないとは思うけど。
維月は思ったが、高湊の気持ちを考えるとそうなるのだろう。
高瑞が何とかしてくれたら良いのだが、高瑞もかつて狂って離れた宮。
本当に、あの宮はここのところ、災難続きだった。
君臨する王によって、こんなに宮の状況は変わるのだと、維月も思い知らされた心地だった。
いずれにしろ今高瑞が、高湊と話して助言していると思われた。
当面はそれに期待するしかないと、半ば諦め半分で維心と維月は義心の報告を待つ事にしたのだった。
高瑞は、かつて君臨した己の宮に降り立った。
本当に久しぶりで、狂った状態でここを出てからこの方、月の宮から出た事がなかったので、見ることすらなかった宮だ。
臣下達が気取ってわらわらと出て来る中、高瑞はじっと立って待った。
前王とはいえ、ここはもう自分の宮ではないので、高湊の許可を待って入るのが礼儀だからだ。
喜久が、涙を流さんばかりに喜んで、高瑞の足元にひれ伏した。
「おお、王よ!よくお戻りに…我ら、もうどうしたら良いのか分からずでおりました。」
高瑞は、首を振った。
「我はここの王ではないぞ、喜久。高湊はどこぞ?宮に立ち入りたいのだ。話がある。蒼から此度の事を聞いたのでな。」
喜久は、何度も頷いた。
「は、高湊様は奥に。」と、高彰が慌てて出て来るのが見えた。「高彰様でございます。」
高瑞は、これがそうかと高彰を見た。
噂には聞いていたが、何しろ月の宮から出ていないので顔を合わせた事はない。
高彰は、高瑞に頭を下げた。
「叔父上。高彰でごさいます。ようお戻りに。父上は奥で半ば臥せっているような状態でありまして。どうぞ、中へ。」
こんな時に臥せっていると。
高瑞は、その体たらくにため息を付きたい心地だったが、頷いて連れて来ていた李心と奈河を見た。
「主らはここで待て。長引くようなら蒼に報告に戻ってもらわねばならぬしな。」
二人は、頭を下げた。
「は!」
そうして、高瑞は高彰について、奥へと入って行ったのだった。




