どうしたものか
そのまま、実に五分ほどの間、ただ黙ってどう答えたものかと逡巡する高湊と、オロオロと高湊を見る喜久を上から見ていた維心は、これはまずい、と思っていた。
土壇場になると、どうも判断がすっ飛んでしまって頭が働かないタイプの神らしい。
分かってはいたが、高湊は高湊なりに頑張っていたのだ。
いきなりに高瑞があんなことになってしまい、王座に就けと回りから言われて仕方なくついたので、本来まだ早いと思われる時期だった。
しかも、満足に教育も受けていなかったので、王としてどうしたら良いのかなど、臣下にしか教わることはできなかっただろうし、王が臣下の言うことを聞くのも外聞が悪いので、恐らくまともに王としての気概など育たぬままに王であったのだろう。
こちらも分かっていながら、それでも何とかやっているし、高彰が育つまでだと放置していたのだからこちらも悪い気持ちはあった。
それでも、こんな様子ではとても許すとは、言えそうになかった。
なので、仕方なく言った。
「…もう良い。では主には我から申す。しばらくはこの龍の宮への立ち入りを禁じ、しばらくは会合にも出て参る事を許さぬ。他の王にはその理由を話しておくゆえ、主は謹慎しておるが良い。然る後に今一度こうして話し、その時に今一度、今の質問をしようぞ。そこで主から良い答えを得られれば、我はもうそれ以上は言わぬ。此度は公式の事でも無かったし、本来これほどに長引く事でもないのだぞ。全て主が、そのていたらくであったからこの様ぞ。宮で籠るうちに、少し学ぶが良いわ。」
維心はそう言い渡すと、特に怒っている様子でもなく、ただ呆れたように椅子から立ち上がって、そこを出て行った。
高湊は、確かにそうだがハッキリと喜久の前で言われてしまったことに、こんな屈辱はない、と、顔を真っ赤にして歯を食い縛って、それを見送ったのだった。
維月はと言えば、高湊の事は気になるものの、こちらはこちらで、夕貴が入ってそれは美しく演奏を仕上げることができてホッとしていた。
夕貴は謙遜していたが、大した腕前でこちらも聞き惚れてしまい、己の番が来ても弾くのを忘れるほどだった。
夕貴もそれは楽し気に顔を上気させて演奏を終えて、それを冷ますように茶を口にしながら、皆と談笑していた。
思えば、こちらへ嫁いで来てから一度は死産、そしてまた出産して子育てと、こんな風に雅事に関わる暇も無かっただろう。
夕貴としても、これは良い気分転換になるのでは、と維月は良かったと思っていた。
だが、気になるのは燈子のことだった。
高湊は、上手く維心に申し開きできたのだろうか。
維月は、とにかくは奥へ戻ったら、先にそれを聞こうと思っていた。
綾が、言った。
「それに付けましても燈子様の事は案じられますが、しかしながらこれは王同士の事であるのですし。ここは夕貴様が大変に美しい音を出されるのですし、我らは楽しむことを考えましょう。」
維月は、相変わらず気遣いができる綾に、苦笑した。恐らく維月がそれを案じているのを気取ったのだろう。
「…そうですわね。夕貴様の胡弓を聞くことができて幸運でありましたし。誠に匡儀様は、夕貴様を大切にお育てになられたのですわね。」
夕貴は、確かにそう、と思って頷いた。
「はい。父は表立って何か世話をするかたではありませんでしたが、いろいろ命じて指南役を見つけて来てくれまして。たくさんの事をお教えいただきましたこと、今は感謝しておりますわ。」
その時は、習い事ばかりで面倒だと思うものですものね。
維月は、思って頷いた。匡儀は、きっと娘が笑いものにならないようにと必死にいろいろ教えさせていたのだろう。
それもまた、愛情だった。
椿が、言った。
「楽しい時は早いもので、もう夕刻も近くなって参りました。本日は、お暇させて頂こうかと思いますわ。」
それには、綾も頷いた。
「誠に。つい長居してしまいましたわ。菓子も大変に良いお味で、本日はありがとうございました、維月様。宴が楽しみでございますわ。」
そうして、立ち上がって頭を下げる綾、椿、桜に、維月は言った。
「我も大変に楽しゅうございましたわ。夕貴様も、これからは宴でなくとも共に楽を楽しめるのだと嬉しく思いましてございます。たまには子育ても離れて、奥へいらしてくださいませね。」
夕貴は、深々と頭を下げた。
「はい、王妃様。」
そうして、その日はお開きになった。
維月は、もう高湊のことが案じられてならなくて、皆を見送った後急いで奥へと走ったのだった。
奈河は、蒼と高瑞と共に合奏の練習をしていた。
合奏などしたことも無い奈河なので、琴とどう合わせたら良いのかなど、丁寧に高瑞から説明を聞いて、すると奈河は、驚くほどしっくりと合わせることができた。
父と共に吹いた笛は、お互いに笛同士で寂しい感じがしたものだが、琴と琵琶が入ることで、音が重なってそれは美しい。
こんなものがあったなんてと、奈河は夢中で演奏していた。
一通り通しで演奏できるようになった頃、蒼がふっと息をついた。
「弾きやすいなあ。高瑞はめっちゃこっちに合わせてくれるし、奈河は初めての合奏だっていうのに空気読んで合わせるのが上手いし、オレって恵まれてるよな。でも、これに外の王達も加わるから難しいんだよ。」
高瑞が、クックと笑った。
「確かに難しいが、主の腕なら大丈夫ぞ。」と、奈河を見た。「それより主よ。やはり奈津の音に似ておる。あれから教わったのだの。」
奈河は、頷いた。
「は。笛の削り方から教わりまして。この曲はよく演奏されるのですか?父もよう吹いておりましたもの。」
高瑞は、頷いた。
「そうそう演奏されるわけでもないが、それでも演奏し慣れて来たら好んで選ぶことが多い曲。そういった感じかの。難しいところもあるが、静かなところもあって聞きごたえもあって皆の前で演奏するなら良い曲ぞ。」
蒼は、つくづく高瑞は優秀な神だったのだと思った。
幼い頃にあんなことがなければ、今もあの宮に君臨し、華やかにやっていたのではないだろうか。
それを、こんな閉じた宮などに押し込められて、能力を無駄にしているのではないかと思う時がある。
だが、高瑞本人はといえば、幸せそうにしていて、自分は幸運だったといつも言うのだ。
「…こんなところに置いておくのがもったいない気がするな。」蒼が言うのに、高瑞と奈河の二人はこちらを見た。「二人とも、すごくできた神だよ。ちょっと不運だっただけじゃないか。」
高瑞は、首を振った。
「蒼、ここは夢のような場所ぞ。我らは神世でも厄介者で、本来打ち捨てられていてもおかしくはない命。それを、主が手を差し伸べて拾い上げてくれて、今があるのだ。我はあのまま、死んでいても誰も気にも留めなかっただろう。それを、主は世話して癒してくれた。ここが何よりの居場所よ。主の役に立ちたいと思うておる。」
奈河も、何度も頷いた。
「我とて、はぐれの神など罪人ばかりであるのに。それを立ち直るきっかけを作ってくださった蒼様には、終生お仕えしたいと心底思うておりまする。このような場所に受け入れて頂きました幸運に、毎日どれ程喜んでおるものか。感謝致しておりまする。」
蒼は、そんな大層な、と慌てて手を振った。
「別にオレは特別な事をしてるんじゃないんだよ。オレは人世に居たしね。神世は何かと間違う事に厳しくて、それは人より優れた命なのだからそうだろうけど、あまりに理不尽に思う事もあって。よっぽど酷い命でなければ、やり直す機会も必要だと思うから。」
高瑞は、微笑んだ。
「主らしいの。まあ、つまりは我らはここを他とは比べ物にならぬほど良い場所だと思うておるということぞ。」
蒼が戸惑いながらも頷くと、そこへ恒が入って来た。
「蒼、ちょっと話があるんだけど。」
蒼は、恒を振り返った。
「なんだ?何かあったか。」
高瑞が、腰を浮かせた。
「我は場を外すか?」
しかし、恒は首を振った。
「いや、居てくださっていい。あの、高湊様のことで。」
高瑞は、眉を寄せた。
「あれがどうした。」
恒は、頷いた。
「今龍の宮から連絡があってね。高湊様の宮の者はしばらく龍の宮に出入り禁止だって。謹慎を維心様から言い渡されたみたいだ。」
蒼は、目を丸くした。謹慎処分?!
「え…いったい、何があったんだ?」
恒は、高瑞が居るので言いにくそうにしたが、頷いた。
「あの、鵬に問い合わせてみたんだ。オレもいきなりだったから何事かって思って。そしたら、どうやら高湊様が…その、無礼な事があったからって。今日、母さんが合奏の前に女楽の女神達を龍の宮に呼んでるのは知ってる?」
蒼は、頷いた。
「十六夜が朝言ってたからな。それがどうした?」
恒は、答えた。
「あのね、燈子様が昼ぐらいに来たらしくて。母さんは気にしてなかったんだけど、維心様がそれを知られて到着口で待ち構えて、追い返したんだって。なんか高湊様が楽ばかりで務めが疎かになってるって、出掛けに燈子様を叱ってたらしくて。それで遅れたんだけど、連絡もしないで行かせたんだってさ。維心様は申し開きに来いと言って、高湊様は行ったらしいんだけど…そこで、こじれたみたい。」
高瑞は、眉を寄せて言った。
「高彰は?あれはついて来ておらなんだのか。」
恒は、答えた。
「喜久が来ていただけみたいです。詳しい事は分かりませんが、そんなわけで宴には高湊様は来られないかと。」
蒼は、困った事になった、と、思った。
恐らくこんな時なので、維心も事を荒立てようとは思わなかったはずなのだ。
だが、高湊が上手く言い訳できなかったのだろう。維心としても、歯がゆいはずだった。
「…宮へ行って参る。」高瑞が、立ち上がって言った。「聞かねばならぬこともある。此度の事もだが、奈津のこともぞ。あれは何をしておるのだ。時々に様子は聞いておったが、高彰が優秀であるからあれが育つまでなんとかなるだろうと思うておったのに。高湊には、宮を守ることなど王としての気概がないのだ。何しろ王座につくことを前提に育てられたわけではないからの。困ったことよ…とにかく、話を聞く。」
蒼は、慌てて立ち上がった。
「もう夕刻なのに?高瑞、大丈夫なのか。せっかく隠居してたのに、面倒に巻き込まれるんじゃ。」
高瑞は、蒼を見て苦笑した。
「やはり己の宮は気になるものなのだ。我は王ではないが、一度は守っていた宮。このまま放置できぬ。とにかくは、此度の事だけでも何とかせねば。行って参る。案じるでない。」
そうして高瑞は、夕闇迫る空を、奈河と李心を連れて、高湊の宮へと飛び立って行ったのだった。




