着物
維心が維月の気持ちを明るくさせようと庭へ誘おうと思っていると、縫製の槇が訪ねて来て、頭を下げた。
「王。王妃様の、冬のご衣裳の布をお決め頂きたいと、参りましてございます。」
そうか、そうだった。
維心は、渡りに船と頷いた。
「ならば決めようぞ。」と、維月を見た。「さあ、正月の衣装など布を決めよう。そこへ立つが良いぞ。」
維月は、次々に運び込まれて来る厨子を見て、またアレか、としばらくマネキンになるのを覚悟した。
春夏秋冬、こうして季節にあった着物を誂えるために、王、王妃用に織り上がった反物を持って、縫製の龍がやって来て布を見せるのだ。
維心は、それをいちいち維月の肩に掛けさせて、どれが似合うだの、重ねはこれだの、決めて行くのだ。
布はそれはいつも美しいので維月も見るのは好きだったが、それでもこれは結構疲れるものだった。
だが、年に四回の事なので、維月は観念して、維心の前へと立った。
槇は、頭を下げたままスススと進み出て来て、維月の肩に布をサッと乗せて前へと流し、維心に見せた。
維心は、言った。
「これは絹か。とりあえず、軽い着物が良いのだ。ゆえ、布も軽い物を優先的に見せて参れ。」
重いのは、維心様が宝玉の類いを付けろと言いまくるからだと思うんですけれど。
維月は思ったが、何も言わなかった。
もちろん、槇もそんなことを維心に言うことは出来ないので、黙って頭を下げて、軽い反物ばかりを転がして維月の肩へと掛けて行く。
維心は、それを見ながらウンウンと頷いては、そうではない、ああではないとあれこれ槇に指図しては、維月に似合うかと真剣に見ていた。
維月は、立っているだけなので暇なのだが、それでも普段はそんなに楽し気にしない維心が、こういう時にはとてもワクワクとしているのは気を感じ取って知っていたので、こんなことが楽しいのなら、と微笑しながら立っていた。
しばらくそうやって着物の布地を見ていた二人だったが、維心がたくさんの着物を命じて、維月はまた着物が増えることになった。
いつも、そんなに要らないと言うのだが、そんな事を言うてはあれらの仕事がなくなると維心が言うので、仕方なくいつも、誂えてもらっていた。
槇が、数々の反物を大切に巻き取って厨子へと納めながら、言った。
「王。それから、先日お命じになられました月見の宴の際の、着物が縫い上がって参りましたが、御覧になられますでしょうか。」
維心は、頷いた。
「出来たのか?ならば見せよ。」
槇は、頷いて、別の平たい厨子からその着物を取り出した。
維心はいつも維月には紅やら緋色やら、派手な色合いの物を着せたがるのだが、これは珍しく裾から濃紺で、上に向かって鮮やかな青から白に変わる美しい染めで、白い辺りは銀糸が織り込まれてあってそれは美しい着物だった。
それにまた、生地の色に合わせて青玉、金剛石と細かい石が無数に取り付けられてあって、かなりの重さなのは見て分かる。
それでも、あの七夕の着物に比べたらマシだろうと、維月は槇から侍女へと渡ったその着物を、肩から羽織ってみた。
「おお」維心が、嬉し気に言った。「よう似合う。誠に主は何を着せても甲斐があるの。簪は銀が良いな…今から磨かせておいて、龍王石の額飾りも着けたら完璧ぞ。」
うわー重そう。
維月は、内心思っていた。
金は結構軽いのだが、銀は一層ずっしり首に来るのだ。
槇が、言った。
「細工の多紀を呼びましょうか。」
維心は、考えたが頷いた。
「呼んでくれぬか。」
簪も選ぶのか。
維月は、さすがに長いなと思ったが、しかし維心の楽しみを奪うのもだったので、黙って立っていた。
多紀を待つ間、じっと立っていたのだが、きちんと着付けているわけでもなく、羽織っているだけの着物が、かなり重い。
…こんなに重かったかしら。
維月は、不思議に思った。
そもそもが、あの七夕の着物にしても、試着した時は重いとはいえ、倒れるほどではなかったのだ。
龍達だって、いくら維心に言われたからと、倒れるほどの重さの着物を作ったりはしない。今着ている着物にしても、いつも難なく着ている公式の着物の仕様とそう変わらないのだ。
それなのに、こうしてまとっていると、その重さがずっしりと肩にのしかかるような、いや、どういう事か体全体を締め付けられるような、そんな感じがして苦しくなって来る。
「…王妃様?」
侍女が、心配そうに顔を覗き込む。
維月は、答えたいのだが、思ったより消耗しているのか、声が出なかった。
「維月?」維心が、維月の異変を感じて顔を覗き込んだ。「どうした、何と青い顔を…着物が重いか?」
槇が、驚いて慌てて着物を気で持ち上げた。
「王妃様、お脱ぎくださいませ。また七夕のような事があっては…!」
あの後、槇達が維心から、いくら何でも倒れるほど重い物を作るとはと、叱責を受けたのを知っていた。
なので、維月は急いで腕を抜きながら、首を振った。
「違うのです…おかしい、のですわ…。常、なら、ば、」
維月は、そこまで必死に声を絞り出したが、そのまま、気を失って倒れた。
「維月!」維心は、必死に維月に気を補充しながら、抱き上げた。「なぜに!これは…主が言う通り常ならば何ともなかった着物であったのに。」
そうだ、これぐらいの重さで、重いと愚痴ってはいたが倒れるほどではなかった。
縫製の者達が、重さを考えずに着物を作るはずなどないのだ。
いくら維心が宝玉をたくさん付けろと指示しても、何とかして間を空けては、石を減らそうと努力していたのだ。
なので、龍王妃の衣装なのにと一度、七夕の衣装造りの前に叱責したことがあって、そのせいで龍達は必死に赤玉を取り付けたのだと思い、自分のせいでもあるのに、維心はまた、維月が倒れた事で龍達を叱責した。
臣下にしたら堪らないのだが、よく考えてみたら、おかしい。
これぐらいで、維月が気を失って倒れるなど、おかしいのだ。
「…とにかく、着物は持って参れ。原因を調べねば、もしや維月が体調を悪うしておるのやもしれぬ。七夕からこっち、おかしいのだ…これまでの反応と、明らかに違う。とにかく、治癒の者を呼べ!」
七夕の時と同じように、気の消耗が激しい。
維心は、維月を奥へと運んで寝かせながら、その手を握って気を補充し続けた。
あの時も、着物を脱いで気を補充していたら、すぐに回復して元気になっていたし、宴にも出ていた。
その宴の時も、きちんと正装用の着物を身に着けていたし、重そうにはしていたが、具合は悪くなっていなかった。
これまで、疲れるとは言っていたが、ここまでの事は一切なかったのだ。
治癒の明花が、慌ててやって来て、居間から声をかけて来た。
「王。明花でございます。」
維心は、振り返った。
「入れ。」
明花は、慌てた様子で入って来て、頭を下げた。
「王。王妃様のお加減がお悪いとか。」
維心は、頷いた。
「七夕の時と同じぞ。着物を着てしばらくして、顔色が悪うなったと思うと、気を失って倒れた。そもそもが、これまであれぐらいの重さでこんなことにはならなんだし、気を消耗したりはしなかったのに。」
明花は、急いで手を上げて、維月の様子を探った。
そうして、じっと何かを凝視していたが、険しい顔をして、首を振った。
「申し訳ありませぬ。あの時と同じように、ただ消耗されておるのしか、我には分かりませぬ。只今は、王が気を補充されておるので、段々に回復していらっしゃるご様子。なぜにこのような事になっておるのか、我には分かりませぬ。」
月の眷族は、それでなくても神には診察が難しい。
体が光で出来ているので、光り輝いて中を透視出来ないのだ。
「…しようがない。月の眷族の事は、月の眷族に聞くよりないの。ただ倒れたぐらいなら、回復したら問題ないが、度重なると問題ぞ。維月の命に、何か起こっておったらと思うと落ち着かぬ。」
明花は、頭を下げた。
「王妃様の御身のためには、月の宮へ問合せをするしかありませぬ。月の宮の治癒の者に連絡を入れてみましょうか。」
月の宮の治癒の対の者達は、ほとんどが龍なのだ。
なので、明花もあちらの者達とは顔見知りで、話が出来た。
維心は、首を振った。
「良い、我が聞く。主は下がれ。」
明花は、自分が役に立たなかったと項垂れて、そこを出て行った。
「…明花のせいではありませぬのに。」維月が、目を開いて言った。「ただ、私が月であるから…。」
維心は、急いで顔を覗き込んだ。
「おお気が付いたか。誠にどうしたことか…常とは違う。やはりおかしい。」
維月は、楽になって来た体を起こした。
「はい。あれぐらいなら倒れる事もありませんでしたのに。どうした事でしょうか。」
維心は、頷いた。
「とにかく、十六夜を呼ぶ。」と、窓を見た。「十六夜!維月が具合を悪うしておるのだ!」
すると、パッと十六夜が現れ、そして、続けて碧黎、天黎が目の前に出て来た。
…どうして全部来るのよ。
維心は、驚いて身を退いたが、十六夜が構わずズンズンと維月に近付いて、その手を取った。
「維月。」と、気を読んだ。「なんだ、大丈夫そうだな。」
維月は、頷いて答えた。
「今は平気よ。重い着物を着ると、気を失うの。」
十六夜は顔をしかめて維心を見た。
「なんだよ、お前のせいじゃねぇか。別に何着てても一緒なんだから重い着物なんか着せるな!」
維心は、ブンブンと首を振った。
「違う、常なら平気だった着物まで、着たらしばらくして顔色が悪うなって、気を失って倒れるのだ。明らかにおかしい。維月の命に何か起こっておるのではないのか。」
しかし、碧黎が首を振った。
「維月は健やかぞ。特に命に何もないぞ。」
天黎も、頷く。
「そも、維月の命に何かないよう、我も常見ておるから、これに何かあることなどない。なので何事かと思うたのだ。」
なぜに天黎までそんなことを。
維心は思ったが、今はそれどころではない。
なので、言った。
「ならば何故にこんなことに。常は平気だったと言うておろうが。」
碧黎が、考えながら、言った。
「…その着物とは、どれぞ?」
維心は、頷いた。
「まだ、居間に。」と、立ち上がった。「こちらぞ。」
維月も、寝台から降りて歩こうとする。
維心は、慌ててその手を取った。
「今倒れたのに、大丈夫なのか。」
維月は、首を振った。
「もうなんともありませぬ。とにかく、七夕の時の着物も持って来させましょう。」
維心は頷いて、出て来た三人と共に居間へと出て行った。