異変
そうやって七夕も終わり、葉月は会合のみ、長月は月見としばらく淡々と過ぎることになる。
なので、今はおっとりと宮も回っていた。
維月は、文通相手が数人居るのだが、那海からは最近では忙しいようで月に一度ほど、天媛もそんな感じで、もっぱら最近では、椿や綾と文を取り交わすことが多かった。
椿は元より、綾の手は、在りし日の綾そっくりのそれは美しい手で、こちらも気合いを入れて書く必要があった。
それがまた懐かしく、維月は綾からの文を心待にしていた。
だが、綾と文を取り交わしているのは、維月だけではなかった。
西の島南西の宮、翠明とも頻繁に文を行き来させているらしい。
他ならぬ綾自身が教えてくれたのには、柑橘をまた送ってくれた翠明に、礼の文を綾から送ったのだそうだ。
そうしたら、翠明自ら筆を取って返事を書いてくれたらしく、その文字がとても懐かしく慕わしく感じるので、ついつい何度も御文を遣わせてしまい申した、と告白していた。
翠明も、面倒がることもなく、毎回自ら文を書いてくれるようで、綾はそれを楽しみにしているそうだ。
維月は、もしかしたらやっぱり綾は、あの綾の生まれ変わりなのではと思ったが、そんなことを言い出したら何を思われるか分からないので、何も言わなかった。
桜に育てられた綾なので、もしかしたら幼い頃に翠明の文字を見る機会があって、それで懐かしいのかもしれないからだ。
桜は、椿の子なので翠明からすると孫に当たる。
とはいえ、綾は燐と維織の子なので、翠明とは血が繋がらないし、このままもし嫁ぐとなっても問題はない。
維月は、そう密かに思いながら、綾からの報告を読んでいた。
維心も、維月に来た文は基本、横に居るので見ることになるのだが、その様子は知っていた。
なので、もしかしてと期待する維月に、言った。
「確かに文はやり取りしておるようだが、翠明は何も言わぬのだ。」維心は、困ったように言う。「主が期待するのは分かるが、特に色好い事も書いておらぬようだし、気候のことやら、柑橘の木のことやら、無難な内容なようよ。焔が言うておったのだから間違いない。今のところ、翠明は綾をどうのとは考えておらぬようよな。」
維月は、少しがっかりしながら言った。
「まあ。でも、宴の時も気にしておられたようですのに。まだ成人しておられぬからかしら。でも、早ければ嫁ぐお歳ですのに。」
維心は、息をついた。
「主の心地は分かるが、これは当人同士に任せるが良いぞ。翠明には翠明の、考えがあるのだろうて。焔もあれは気が強いゆえ、見た目に騙されるやつならどこにでも嫁げるから急いでおらぬと言うておったしな。」
維月は、焔、と聞いてハッとした。
そういえば、桜のことを聞かねばと思っていたのに。
「そうですわ、焔様。あの、桜様のことで聞きたいと思うておりましたの。綾殿も椿様も、その事にはお口が重くて教えてくださらぬのですけれど、私が直接にいきなり桜様に御文を書くわけにも行かずで。七夕でお会い出来るかと思うておりましたのに、焔様は綾殿を連れて参ったのに桜様はお連れになりませんでしたわね。理由をご存知ですか?」
維心は、聞いて欲しくなかった、と内心思っていた。
維月がおかしく思うのも道理なのだ。
何しろ、面倒がって誰も連れて来ぬなら分かるが、焔は綾は連れて来ていた。
烙が世話するからと言ったからだとは聞いているが、ああして宴の席にも連れて来ていたのだ。
桜を連れて来ないのは、どう見ても不自然だった。
炎嘉や志心でもおかしいと思ったのだから、維月がそう思わぬはずはなかった。
維心は、仕方なく答えた。
「焔はあの性格であるから、誰か連れて来るなど面倒なのよ。とはいえ、綾は烙に泣きついたらしくて、烙が己が世話するから連れて参って欲しいと焔に言うたから来たらしい。宴に連れて出たのは、烙が立ち合いに出るゆえ放って置けなかったからぞ。他意はないのよ。」
苦しい言い訳だったが、それしか言いようがない。
そもそもどうして自分がこんなことをして焔を庇わねばならぬのかと、維心は内心憤っていた。
思った通り、維月は言った。
「そのような…桜様も手の掛かる女神ではありませぬのに。椿様も来ることをご存知であられたでしょうし、普通は連れて来られるものでしょうに。もしや桜様は、鷲の宮でお寂しい想いをなさっておいでなのでは…。」
気になるのは分かる。
だが、こちらが口出しすることではないのだ。
なので、維心は言った。
「維月、他の宮の奥のこと、深く詮索するのは無粋というものぞ。こちらが同じことをされたらどうする。面倒なのではないのか。そもそも椿も駿も何も言わぬ時点で、詮索して欲しくないということぞ。滅多な事をするでないぞ。高晶の時の事を忘れたわけではないであろうの。主が動くと面倒なことになる。黙って見ておるが良い。」
確かに、維月が動いた事で、詩織と高晶が大変なことになった事があった。
維月は、それを指摘されてさすがに下を向いた。
「はい…分かっておりまする。もしかして、おつらい想いをなさっておるのではと、知らない仲でもありませぬので、気になっただけですの。」
維心は、維月があの時の事を気にしているのを知っていながら言ったので、労わるようにその肩を抱いて、頷いた。
「ならば良い。我らだって、神世一の宮として周知されておって、奥の事は皆、興味があるだろうに誰も何も言わぬであろう?ゆえ、こちらからも詮索してはならぬのよ。余程の事があって、外へと漏れて来るようであればこの限りではないが、何かあるなら一番に知るはずのあれの父母すら何も言うておらぬのに、我らが外から何やら言うたら礼を失する行為になる。主も、相談されたら考える程度にした方が良い。分かったの。」
維月は、しゅんとして頷いた。
「はい、維心様。」
維心は、当然の事を言っているのだが、それでも維月を叱るのは気が重かった。なので、焔には上手くやってもらって、桜が不幸だなどと誰も思わぬようには回してほしいと思っていたのだった。
将維は、今日も月の宮へと訪れて、碧黎から力の加減を教わっていた。
これが大変に難しく、碧黎の力の一部を借りている状態なので、仕損じても碧黎が何とかしてくれるので問題ないが、いつまで経っても上手くいかないのに、くじけそうになって来ていた。
何しろ、碧黎の本体は大き過ぎて、全てを見て調節するのは並大抵の努力では無理だったからだ。
今、将維が天黎により碧黎の一部を担わせられたのは、火山やらの内部の動きや、そういった場所の事全般の事だった。
これならいけるだろう、という事らしかったが、ということは、碧黎はもっとたくさんの事を、たった一人で調節して生きているという事なのだ。
将維が到底無理だと思っていると、碧黎が言った。
「…まあ、こんなものではないか。」将維は、顔を上げた。碧黎は続けた。「我は大きいであろう?そも、我は何万年も…もしかしたら数億年も前から地であって、生まれた時からこの体であったから、出来て当然なのだ。主は、まだ生まれてたった百年少し。地を担うには若すぎるのだ。我だって、目が覚めた当初は地上は荒れ放題であったし、それを落ち着けられるようになったのは、生まれて何年後であったことか。そこから地上が冷えて命が生まれ始めたのであって、今の地上を作ったのは我の試行錯誤の結果なのだ。それを、たった百年やそこらで扱えるはずがあるまい。とりあえず、この島の回りだけでもやって見たら良いのだ。後は我がやる。」
将維は、頷きながらも碧黎の大きさに感じ入っていた。
その物質的な大きさよりも、それを扱っている命の大きさに感心したのだ。
とても、普通の命では扱えないだろう。それを、生まれた時から誰に教わるわけでもなく、何とかしようと努めてここまでやって来た。
命が大きいのも、分かる気がした。
将維は、眉を寄せて調節に必死になっていたが、碧黎がその前で、少し顔をしかめた。
「…そうであるな、前も申したが、磁場があっての。」と、手を翳した。「主のやり方次第では、これが狂うのだ。面倒な気が発生するので、我は上手くやっておった。なのでここのところ無かった気が、不安定なので時に現れるのよ。今のところ地上に影響は出ておらぬが、主の修練次第では少し、主の受け持ちを少なめにして慣れるのを待った方が良いやもしれぬの。」
将維は、そうなのかと己がやっている事なのに、驚いた顔をした。
「…我は、それも気取れておらぬ。」
碧黎は、慰めるように頷いた。
「だから主はまだ慣れておらぬから。案じるでない、何かあっても我が何とかするゆえ。ただ、少し範囲が主にとり広かったやもしれぬからの。また天黎に相談してみるゆえ、大丈夫ぞ。」
碧黎はそう言ってくれるが、将維は気が気でなかった。自分で分からないところで、何かに影響して傷つけたりするなど、あってはならないからだ。
将維が落ち込んでいるので、碧黎は早急に天黎に話を付けて来よう、と思っていた。