決まり
維月は、どこか知らない宮のような場所で目が覚めた。
ここは、覚えがある…。
天黎と天媛と、海青、那海と共にしばらく住んでいた屋敷だ。
体を起こして回りを見ると、穏やかに窓の外を、あの時作った川が流れるサラサラという水音がしていて、ここはあの時から全く変わってはいなかった。
…どうしてここに居るのかしら。
維月は、自分の記憶を探った。
そういえば、自分は膜の中に囚われて、洞窟に籠められて出口を求めてさまよっていたはず。
そうして、疲れて眠ったところまでは、覚えていた。
ハッと自分の指を見ると、いつもそこにあった指輪が、跡形もなくなっていた。
「…大変!」
維月は、前世今生と維心との絆として持って来ていたあの指輪が、無くなっている事実に狼狽えた。
すると、穏やかな声が答えた。
「何が大変なのだ。」
維月が振り返ると、天黎が普通にそこに、立っていた。
まるで、隣りの部屋にでも居て入って来たようだったが、これまで誰かの気配など、全く無かった。
なので、恐らく維月が目覚めたので、ここへ出現したのだろうと思われた。
維月は、言った。
「維心様との結婚指輪が…!とても大切な物なのです。高価なものではありませぬけれど、長く一緒に来た対の物で…。」
天黎は、ため息をついて維月の方へと歩いて来ると、維月が横たわっていた寝台へと腰かけて、言った。
「今主はの、指輪どころの騒ぎではないのだぞ。膜の中に籠められて…光の玉になっておった。」
光の玉に?!
維月は、ハッとした。
…そういえば、着物を着ていない。
慌ててシーツを体に巻き付けると、天黎を見た。
「あの…もしかして、私は死んだとか?」
天黎は、首を振った。
「主は不死。膜に籠められておったのは月から分断された主の人格。それ単独で黄泉へ行くことはできぬから、それは死とは言わぬ。消滅ぞ。そう、主は本来、もう消滅しておった。あの、アマゾネスとかいう命の恨みをかった、龍への見せしめとしての。」
ということは、自分はもう、消滅してあちらへ帰れないのだろうか。
「私は…消滅したということに?」
天黎は、苦笑してまた首を振った。
「消滅しておらぬではないか。ここに居る主は何ぞ。」
維月は、ハッとした。
「まさか、天黎様が助けてくださったのですか。」
干渉だと何もしないのではなかったか。
維月が思いながら言うと、天黎は頷いた。
「本当は、こんなことはせぬ。いくら主を特別に想うておっても、神世で起こったことは神が解決すると決めておったから。だが、碧黎はそれを破って主を助けようとしておった。あやつは、我のせいで主が消滅すると、我を許さぬと罵った。我は、あれを強制的に光に戻して地に籠めた。今、あれは意識がない。」
お父様…。
維月は、碧黎を想った。命を懸けても自分を助けようといつもしてくれる。
「ならば…どうして、私をここに?」
天黎は、それにはふうと大きなため息をついて、しばらく黙った。
そして、維月を見ると、言った。
「…我のせいだと思うたからぞ。」維月が驚いていると、天黎は続けた。「碧黎が言う事は的を射ておる。確かに、将維に地の一部を担わせたのは間違いだった。我にしか出来ぬことであったし、決めたのは将維であったがその危険性を説明しなかったのは確かぞ。碧黎ならば、恐らく共に地に潜って同じように手取り足取りやって見せて、こんな事にはならなんだ。維心も死ぬ事は無かっただろう。それを指摘されて、直後は憤ったものの、考えてみると確かにその通りだと思うたのよ。ゆえ、主を助けた。ここに居れば、主は消滅することはない。我の保護下に居るからぞ。実際には、主の意識の一部がこちらに来ておるから、他は向こうで消滅して無くなった。だが、維心達が事態の核心に迫って来ておるから、発見するとなったらあちらへ返す。もちろん、こちらへ来た時と同じ状態でな。光のまま、あのおかしな膜の中に籠められた状態ぞ。それが不自然ではない方法よ。主は、我に助けられたと維心達には言うでないぞ。これからも我が助けると思うようになると、学びが滞るからの。だが、これが最後ぞ。これよりはいくら主でも、我は手を貸す事はない。」
維月は、そうだったのかと、ただ頷いた。
「はい。でも…発見されても、膜があるのならまた消滅の危機に…。」
天黎は、フッと笑った。
「案ずるな。主の夫が帰って来ておるわ。」と、床を見たかと思うと、手を上げた。「もう参れ。時ぞ。」
維月は、慌てて言った。
「え、ですけれど維心様が…?」
だが、維月はそこで目の前が真っ暗になって、また意識がなくなるのを感じ、それ以上聞くことはできなかった。
嘉張が軍神達を置いて来た小屋へと取って返すと、そこには他に多くの軍神が集まっていた。
小屋を出たり入ったりと慌ただしい上に、その周辺を軍神達が飛び回り、何かを探しているのかピリピリとした空気を感じた。
嘉張が降り立つと、軍神の一人が寄って来た。
「王!嘉張殿!」と、膝をついた。「嘉張殿がこちらを去られてすぐに、あの女達が突然我らに気弾を放って参って…!二人やられ、その隙に小屋を飛び出して逃げました。騒ぎを聞いて他の軍神達も集まって参ったので、皆で探しておる最中です。」
維心が、ズンズンと歩いて小屋の中へと入ると、中を見回した。
床には、気弾に撃たれた二人の軍神が、他の軍神達に介抱されて倒れている。
維心は、キッとそちらを睨んで、言った。
「どけ!」
と、グイグイと気で倒れている軍神を脇へと寄せる。介抱していた軍神が戸惑っていると、炎嘉が言った。
「待たぬか維心。外へ運ばせるゆえ。」
それを聞いて、軍神達が倒れた者達を急いで外へと、気で持ち上げて連れて出て行った。
維心は、そんなものは構いなく床の麻布をパッとめくって、コツコツとその下の板を叩いた。
「…ここが新しい木ぞ。」と、それをガンガン素手でめくって行った。「維月はここでは!」
板をめくった下には、木箱があった。
維心がその木箱の蓋を開くと、もはや小さくなって今にも消えそうな、光の玉が膜に包まれてそこに存在した。
「見つけたぞ!」維心は、言って膜へと手を伸ばした。「維月!」
だが、膜はぷるんとした触感で、維心の手を押し返す。
維心は、その膜を掴んで膜ごと維月を引き揚げた。
「おお維月…!このように小さくなってしもうて…!」と、膜をじっと凝視した。「…む。何やら覚えのある気。ベンガルの気配がする…?」
十六夜が、物凄い勢いで入って来て、その光の玉を見て、涙を流さんばかりの様で、その前にしゃがみ込んで言った。
「ああ、もう駄目かと思った…!まだ残ってたか!維月、しっかりしろ!維心が戻って来たぞ!待ってただろ?!」
炎嘉が、息をついた。
「術者を殺さねば。仮にベンガルの術だとして、アマゾネスであるから血筋の、例の仙術ぞ。殺さねば消えぬ。イゴールが言うておったではないか。僅かに違うと。」
維心は、キッと戸の外を睨んだ。
「…ならば我が一気にこの辺りを焼き払ってくれるわ。その中で業火に焼かれて果てるが良いわ。」
今にも着火しようと手を上げる維心に、炎嘉は慌てて言った。
「待て!力は絞って使え!巻き添えになる神が多過ぎるわ、まして軍神達も追っておるのに!冷静にとか言うておったのに、主は極端なのだ!」
記憶がない方の維心の方がまだ良かったかもしれぬ。
炎嘉がそんなことを思っていると、志心の声が遠くから叫んでいるのが聴こえて来た。
「維心ー!炎嘉ー!アマゾネスぞ!ベンガルの術の偽物を使っておるが、あやつらはベンガルではない!ゆえ、術が薄まっておって恐らく解けるぞ!こやつらは死なねば解けぬとか思うておるようだが、多分いける!浄化ぞ!やってみよ!」
炎嘉が、後ろの空を振り返った。
「志心?なんぞ、捕らえたアマゾネスを尋問したのか。それにしては早いの。さては拷問したか。」
十六夜は拷問という言葉に顔をしかめたが、維月の玉の様子を見守っているのでそれどころではないようだ。維心は、そんな炎嘉に構わず、手を上げた。
「…ならばやる。」と、青い炎を手の上に出した。「これに浄化を混ぜて、放つ!」
ポッと紫色に変わった炎は、維月を包む膜を包み、それは燃え上がるように膜全体へと広がった。
「…維月まで燃えちまいそうだ。」
十六夜は、気遣わし気に言う。
だが、維心はじっとそれを見守っていて、フッと炎が消滅したかと思うと、膜が綺麗さっぱり消え去って、無くなっていた。
「おお、維月…!」
維心が、その光へと手を伸ばす。
維月の気配が、その手の先から維心へと流れ込んで来て、維心は心の底から懐かしい、慕わしい、と思った。
「じゃあ、月へ戻る!」十六夜は、いきなり大きな光の玉になった。《維月を連れて一回月に戻って来る!後で戻るから心配すんな!じゃあな!》
十六夜は、大きな光で維月の小さな光を包み込むと、一気に月へと打ち上がって行った。
志心が到着して、戸の外に降り立って、言った。
「間に合ったか…?!記憶の玉を取って、やっと記憶を見終わったところでな。主らに知らせねばと参った。もう間に合わぬかと思うた。」
維心は、左手の小指にはまっている、維月の指輪に触れると、立ち上がった。
「…許さぬ。」と、振り返った。「我が妃をこんな目に合わせおって…!」
志心は、維心の姿を見てハッと目を見開いた。
…また大きくなっている。というか、もうこれは維心ではないのか。
「維心…?!主、思い出したのか!姿が元のままぞ!」
やっと戻って来たのか。
維心は、頷いた。
「許しはせぬ。我が妃我が軍神を術などで貶めおってからに…!まずは、ここに居った軍神ぞ!探し出して嬲り殺しにしてやるわ!」
これは、本当にやる。
炎嘉は、慌てて言った。
「待たぬか!捕えて沙汰を下してから殺せ!術は解けたのだ、話を聞いてから殺しても遅くはない!通常通りにせぬか!」
維心は、小屋を飛び出した。
「うるさいわ!そんな権利などあれらには無い!」
維心は、空に閃光弾を打ち上げた。
まるで昼のように明るくなったその一帯では、地上が丸見えになった。
この下で、隠れおおせる者などなかなかに居ないだろうと、炎嘉も志心も思いながら、維心が激昂して逃げたアマゾネスたちを探し回るのを見守った。




