時が無い
碧黎は、その様子を悲壮な思いで見つめていた。
維心は、確かに賢いが、今回ばかりは付け焼刃では間に合いそうにない。
維月の着物が、アマゾネスの女に運ばれ、川へとそっと沈めるように流されて、川を下って行くのが見えるが、それを見つけるのは下流のはぐれの神の集落を捜索している、軍神達になるだろう。
そして、恐らくはそれは夜明けぐらいになり、そこから流域を探しても、離れた場所に潜んでいるアマゾネスと維月を見つけるにはまだまだ時間が掛かるだろう。
維月の意識が完全に無いのは、着物が残されたことで分かった。
通常、意識がある時に光に戻ろうとすると、着物も共にと念じるので一緒に光となって、また人型になる時同じ着物を纏うということが出来るからだ。
だが、全く意識がない時だと、それを念じることが出来ないのでああして着物が残る事になるのだ。
…維月の胸の、巾着も共に流されて行ったな。
碧黎は、思いながら見ていた。
あの軍神は、抜け殻の着物をそのまま丸めて持って来たので、その中に紛れていた巾着にも気付かず、根こそぎ流したようだ。
維心の記憶も、あの着物が見つかるかどうかで戻るか戻らないか決まるだろう。
碧黎は、維月の光の玉を見た。
この膜は、この二人のアマゾネスの軍神が掛けたものだった。
一人は生まれて300年経っているかどうかという命、もう一人は生まれて400年経っているかどうかという命だ。
両方ともアマゾネスだが、片方は本神は知らぬようだったがベンガルの血を引く命だった。
実は空間を捻じ曲げる術は誰も知らぬで居て、知っていたのはかつて、ベンガルの力を真似て作った仙術だけだった。
アマゾネスの女王の血筋の女は、その術を知っていてそれを軸に策を練っていたが、本当ならあれはベンガルの血が無ければ失敗するはずだった。
だが、あのアマゾネスの女王の血筋の女は、少し変えることで有効にできると信じていた。
なので、碧黎も油断していた。動きは知っていたが、そんなことは成し得ないと思っていたからだ。
だが、たった一人混じっていた女が、その術を有効にした。
強い力が要ると考えた女王の血筋の女が、二人に掛けさせたのだが、そのうちの一人が、偶然にもベンガルの血を引く女だったのだ。
お蔭で維月は膜の中に捕らえられ、油断していた碧黎が気付いた時には、もう膜に囚われて攫われていた。
ベンガルの術は、気を使わせて消費して行く厄介なものだった。
本来なら、維月の気はもっと早く消費したはずだし、それを気取って維月もああして動き回ることもしなかったはずだった。
それが、図らずももう一人の力が混じっていたばかりに、緩和されてじわじわと消費して行く気に気付くことができず、維月は動き回って、そうしてああして気を失った。
そして今は、まだまる1日という速いペースで気が枯渇しようとしていた。
「…そろそろ、何とかするしかないか。」
碧黎は、じっと維月の気の減少具合を見ながら、思った。
あんな膜は、消し去るのは簡単だ。維心や他の王達が、ベンガルの術を破っていたからこそ知る浄化の力だった。
少し変化させてあるとはいえ、あんなことをさせているのは間違いなくベンガルの術。
同じやり方で、破れるはずだった。
つまりはアマゾネスたちは、己らでもよく分かっていない術を、分かっていないままに使って偶然が重なって成功してしまい、今に至っているわけなのだ。
碧黎が、じっといつ維月の膜を破ろうかと見つめていると、十六夜が言った。
《親父!アマゾネスが見つかったぞ!今、新月たちが追い詰めた!維月はどうだ?あいつらを始末したら助かるか?!》
碧黎は、それを聞いてまだその段階か、とため息をついた。
「…間に合わぬ。十六夜、我はまた気を失うか、最悪黄泉かもしれぬ。それでも、維月だけは助けるつもりであるが…後は頼むぞ。」
十六夜は、慌てて言った。
《待て。ヤバイのか?維月はもう?》
碧黎は、頷いた。
「今は光ぞ。ゆえ…、」
そこまで言ったと思うと、碧黎は突然に人型を崩し、大きな光の塊になって、スーッと地上へと吸い込まれるように消えて行った。
十六夜は、驚いて叫んだ。
《親父?!どうしたんだ、親父!》
《あれは、地に返した。》天黎の声が、答えた。《今は意識がない。目覚めておったら手を出すからぞ。維月は、今人型を維持できぬようになって光の玉になっておる。もう、時間の問題ぞ。》
十六夜は、叫ぶように言った。
《なんだよ!お前は維月を殺すつもりか!助けてもらったんじゃねぇのかよ!天媛の気持ちが分かっていい思いもして、維月には世話になった癖にお前って奴は!》
天黎は、フンと鼻を鳴らしたのは聞こえたが、もう答えなかった。
十六夜は、この地上のどこかで維月が光の玉になっているのかと思うと、気が気でなくて必死に地上を血眼になって探しながら、叫んでいた。
《維月!維月しっかりしろ!消えるんじゃねぇぞ、踏ん張れ!》
だが、維月からの答えは無かった。
新月は、静の後ろを低空で飛びながら、逃げた二人を探した。
恐らくは、茂みの中にでも潜んでいるのだろうが、全く気が気取れないのでいつものようには簡単に探すことができない。
必死に目を凝らしていると、静が急に、ドンと新月を押した。
「…こちら!」
「!!」
新月は、静に押されて空中で脇へと転がった。
弾き飛ばされた時の腕の痛みに顔をしかめて静を見ると、静は何かの力の波動に捉えられてふら付いていた。
「静!」
新月は、静が自分を庇ったのだと知って、急いで体勢を立て直して静の下へと向かうと、静は言った。
「我には利かぬ!」と、術の出所へ向けて、気を放った。「そこぞ!」
草の茂みの中、何の気配も気取れない場所に、その気弾は着弾した。
「ぐあ!!」
声が聴こえたと思うと、その茂みの中からパアッと何かの気が感じ取れた。
「そこか!」
新月は、気取った気を頼りに、気弾を降らせた。
「新月殿!」
わらわらと気配を気取った軍神達が、こちらへと向かって来るのが視界の端に見える。
静が、叫んだ。
「白虎だけ参れ!龍封じを放って来るぞ!」
それを聞いた龍の軍神達が、宙でピタリと動きを止めた。
何より、龍はあの術を警戒するのだ。
白虎の軍神達だけが、降りて来て言った。
「静殿!」
ガサ、と茂みの中が揺れた。
まだ、意識がある。
「囲め!」
静が言って、軍神達は言われるままに気配の回りを取り囲んだ。
「主はここに居れ。」静は、新月に言うと、己は降りて行って、言った。「ここに居る者達に龍封じは利かぬ。おとなしく出て参るが良い。出て来ぬのなら、一斉に気を照射して、消す。」
それほど大きな声ではないが、凛とした声音の声が響き渡り、しばらくシンと静まり返った。
そうして、もう出て来ないかと静が回りの軍神達に向けて手を上げて合図しようとした時、囲んでいる茂みに中央で、スックとボロボロの着物を纏った、金髪の女が立ち上がって、顎を上げてこちらを見た。
…やはり、気がそこそこあるな。
新月がそう思いながらそれを見ていると、遅れてその隣りに、茶髪の女がゆっくりと立ち上がる。
ふらふらしているところを見ると、恐らくこちらの女が龍封じの術を放ったのだろう。
奈河が言っていた通りの、二人の女がそこに立って、静を睨んでいた。
「…捕らえよ。」
静が言うと、回りを囲んでいた軍神達の輪がグッと縮まって、皆で決まった通りの気の拘束を二人に施して行く。
そこまで、もう諦めているのか、抵抗する様子はなかった。
「…捕らえたか。」
上から、聞き慣れた声がして振り返ると、志心が浮いていた。
静は、慌てて宙で膝をつくと、言った。
「王!は、新月と共に検分した女の小屋の通路を追って、こちらへ。龍封じの術を放って参ったので、間違いありませぬ。」
志心は、頷いて白虎たちに縛り上げられた二人を見下ろした。
「…我は、志心。白虎の王ぞ。」と、じっと二人の顔を見比べて、眉を寄せた。「…主、レイティアの若い頃に似ておるな。アディアより更に似ておるということは、もしや隠し子か。」
志心は、己で言っておいて、まさか、と思った。
こちらの常識では、王の隠し子なら出て来ることが多いが、王妃の隠し子など考えられないからだ。
だが、あちらでレイティアはディークと婚姻関係にあったものの、それぞれの城の王と女王であったので、離れている時も多かったはず。
もしかしたら、レイティアは知らぬ間に、別の男の子を産んでおったのでは…?
アマゾネスに限っては、あり得たからだ。
志心の頭の中でそんなことが巡っている間も、そのレイティアそっくりの女は黙ってこちらを睨んでいるだけだ。
志心は、どうせ口は割らぬか、と、静に顎を振った。
「…まあ良いわ。龍の宮では面倒が起こるやもしれぬし、我が宮へ。また誰が尋問するか決まったら、引き出すゆえ地下牢の最下層にでも放り込んでおけ。」と、言ってから、あ、と手を上げた。「待て。良いわ、面倒であるし記憶の玉を取るわ。そしたらそれをこちらが持っておる間これらは廃神になるゆえ、龍の宮の地下牢に放り込んでおけ。」
記憶の玉を取る、と聞いて、女達は目を見開いた。
「なに…?!主、そんなことが出来るのか?!」
志心は、頷いて光を放った。
「できぬとなぜに思うのだ?全部もらう。維月の居場所も知らねばならぬし、主らの正体も知らねばの。記憶の玉があったら主らなど用無しであるし、廃神が嫌なら死んで良いぞ?まあこんなことも皆忘れるがの。ではな。」
二人の女は、何とかして避けようと身をよじった。
「やめよ…!!ならば殺せ!」と光りが頭に当たった瞬間、何かが自分の中からどんどんと抜け去って行くのを感じて悲鳴を上げた。「あああああ!!」
何も、無くなる。
二人の女は、しばらくじたばたと暴れていたが、そのうちにドウと倒れて、動かなくなった。
志心が、2つの玉を手の上に置いて、言った。
「そやつらはもう何もないわ。今言うたように、龍の宮の地下牢へ連れて参れ。」
静は、二人に歩み寄って顔を覗き込んだ。
二人は、涎を流しながら目を大きく見開いて、あらぬ方を向いて固まっている。
「…龍の宮へ!」
静が言い、二人は空になった頭を抱えたまま、龍の宮へと運ばれて行ったのだった。




