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王でなくとも

維心は、まだ人で言うとほんの十代前半の姿でしかない自分を恥だと思っていた。

だが、今はそんなことを言っていられない。

なので、何も考えずに龍の宮の到着口へと降り立った。

すると、そこへそれを気取った鵬と祥加と公沙が急いで出て来た。

「王!」と、駆け寄って来て、膝をついた。「今、維明様が軍神達に指示を…!王に於かれましては、ご記憶は?」

維心は、この三人の臣下がどういう位置の者達なのか、全く分かっていないので眉を寄せたが、言った。

「…記憶はない。」三人が、ショックを受けた顔をするが、維心は構わず奥へと向かった。「維明に会う!奥か?」

鵬が、ハッと我に返って、慌てて駆け寄って来た。

「はい。只今、義心が戻りまして、会合の間へとお出ましになられました。ご案内いたします、こちらへ。」

龍の宮の見取り図は見たことがあったが、会合の間といって、多くある龍の宮の中なので、維心は常、こういう時にどこを使うのかまで分からない。

記憶がないのがこれほどに不自由かと思ったが、それでも維心は、歯を食い縛って鵬の後をついて歩いた。

どんな屈辱を受けても、維月を助け出すまでは耐えてみせる。

維心は、そう思っていた。


鵬の後をついて会合の間へと入って行くと、維明が驚いたように維心を見て、慌てて立ち上がった。

「父上!」

維明は、我の子か。そうか、碧黎が第一皇子だと。

維心は、思った。それすらも、覚えていないのだから仕方がない。

維心は、維明に首を振った。

「…碧黎に聞いた。だが、我にはまだ記憶がない。維月が持っておる巾着の中に、指輪があるのだ。それが無いと、我の記憶は戻らぬ。」

ならば絶望的か。

維明の顔に浮かびかけた希望の光が、それを聞いてまた消えるのが見えた。

維心は、それでも傍の椅子へと座ると、義心を見た。

「義心。報告とは、何ぞ。」

義心は、頷いて答えた。

「は。我は、維月様の痕跡を追って、あるあばら家に行き着きまして。ですが、そこには神の気配はなく、しかし中へと不用意に踏み入って、維月様のお命に何かあってはと思い、途中会った帝羽に命じて遠巻きに見張らせた後、こちらへ報告に戻りました。」

維心は、頷いて維明を見た。

「主はどう思う?」

維明は、顔をしかめて首を振った。

「分かりませぬ。義心もそこに神の気配を気取れなかったと申しておりまするし、我もここ一年、ずっと神世を見ておりましたがおかしな動きをする王は居らなんだ。他の王達からも報告はありませぬ。」

維心は、それを聞いて気取れなかっただけなのか、それとも皆の能力では分かっていなかっただけなのか、全く判断がつかなかった。

これがもし元の自分なら、分かったのだろうか。

しかし、維心はその考えを振り払った。今無いものをねだっても仕方がないのだ。今ある自分で対応して行くしか、維月を助ける術はない。

維心は、言った。

「…炎嘉は。炎嘉に知らせを送ったのだろう。あれは何か言うて来たか。」

維明は、頷いた。

「は。炎嘉殿はすぐに参ると知らせを。他の王達にも、こちらへ参るようにと伝えたとのことでありまする。何しろ、心当たりがないか聞かねばなりませんので。」

ならば、皆の話を総合して考えるよりない。

維心は、焦る気持ちを抑えながら、炎嘉が到着するのを待った。


その頃、ナターリア達はとっくに維月を隠した地下には居なかった。

自分達が居ると、維月が見つかるのが早くなると思ったのだ。

ナターリアは、龍の優秀さをよく知っていた。

きっと、自分達の居場所を探って来るものだと思い、自分達が囮となって別の場所へと誘導しようとしているのだ。

維月の気は、完全に遮断できているだろうが、それでも何を辿って来るのかなど分からない。

なので、二重三重に罠を敷いて、とにかく維月が消滅するまでに見つかることが無いように、必死に操作を攪乱する方法を考え出したのだ。

それは、ここ数年ずっと皆で考えていた策だった。

うまく誘導されてくれたなら。

ナターリアは、思っていた。

そもそもが、恐らく自分達が生き残り、こちらへまで来てこんなことをするなど、誰も思わないだろう。

ナターリアは、そう思いながら策の通り、ミラナと二人きりで自分達が向かうべき方向へと向かっていた。


その頃、維月はというと、目が慣れて来て辺りがよく見えるようになったので、このままここに居てはと、歩き出していた。

ナターリア達が、去った方向に出口があるはずなのだ。

松明の灯りは、とっくに去って見えない。

なので、そちらへ向かって気を使うのを避けるため、歩いて足場の悪い岩場を何とか進んで行った。

ゴツゴツとした足元に気をつけながら進むと、うねうねと入り組んだ道の先に、岩が立ち塞がっていた。

「え…?」

その岩に触れると、ガッツリとしていて全く動きそうにない。

どうやら、ナターリア達はここを去る前に、維月が逃れられないようにここを塞いだようだった。

あまり大きな音は聴こえて来なかったところを見ると、気取られないように慎重に岩を詰めたのだろう。

…これでは、気が使えない今、外へ行く事はできない。

維月は、項垂れた。だが、ここで諦めてしまっては、維心の記憶は失われて自分も二度と維心に会うことなく、消滅するしかない。

まだ気は残っている。月の気は大きいので、そこらの神よりは数段もつのだ。

「…地上に出る場所を探さなきゃ。」

維月は独り、声に出して言うと、そのまま来た道を引き返した。

ここは自然にできた洞窟のはず…このまま行けば、絶対にどこかに地上へ繋がる場所があるはずなのだ。

維月はまた、暗闇の中必死に戻り始めた。


炎嘉達上位の王は、深夜にも関わらず龍の宮へと集まり、会合の間へと次々に現れた。

皆甲冑を着ていて、どこかの王が反乱をと戦になる覚悟で来たのはわかる。

焔がむっつりとした顔で入って来た時、正面で維明の隣りに多くの書に埋もれて座る、幼い維心に目を止めた。

「…維心?!主、やっとか!」

維心は、しかし焔を見て顔をしかめた。

「主、誰ぞ?」焔がショックを受けた顔をするのに、維心は続けた。「すまぬが我には主らが言う前の我の記憶はない。まだ生まれて一年、月の宮で読み漁った書の知識しかないのだ。」

炎嘉が、見かねて言った。

「これは鷲の王の焔ぞ。」と、焔を見た。「これは本来まだ赤子。一年でこれならあり得ない速度であるが、まだほんの子供なのだ。本神は学ぶというて今、持って来させた書を片っ端から読んでおるが、あいにく維心の前の記憶は維月が持ち歩いておってそれしかやりようがない。して?主で最後ぞ。何か、変わったことは?」

焔は、首を振った。

「何もない。ゆえに驚いたのだ。急いで漏れは無かったかと確認して来たので間違いはない。なので、時を取った。」

確認して来たのか。

焔は、結局燐とは和解できずに己独りで何とかやっている。なので、それで何か漏れたのではと慌てたのだろう。

だが、問題なかったと。

「…ならばどこの宮か。」志心が、眉を寄せて言った。「維月を見付けたとしても、これだけ気取れぬとなると何か術が掛かっておるのだろう。それを解くにも、相手が分からぬと面倒なことに。」

箔炎が、言った。

「…公明は?」皆が振り返ると、箔炎は続けた。「あれは呼ばなんだのか。」

炎嘉は、首を振った。

「あれには維心の不在は知らせておらぬ。脳の病で知らぬ間にこうなっておるから、そのままにしておる。任せておる宮のことは、我も維明も毎回密かに確かめておるから問題ないのは知っておる。」

翠明が、それを聞いて目を丸くした。

「ちょっと待て、あれを信じておらぬのか?病であったのに?」

炎嘉は、困ったように言った。

「信じてやりたいが、百年もなしのつぶてで、戻ったと思うたら脳の病であった、では我らも完全に信じきる事はできぬ。一応信じたふりをして仕事を任せ、それ次第で信じようと泳がせておった。まあ、最近では信じて良いかと思い始めておるがの。」

翠明は、まさかそんなことを考えていたとは知らなかったので、黙った。

志心が、フォローするように言った。

「仕方がないのよ、翠明。我ら、何事も疑うクセがついておる。信じて寝首をかかれてはたまらぬからの。戦国ではしょっちゅうあったことであるから…そんな輩も、維心が全て消し去ってしもうたがの。」

戦国か。

翠明は、長い年月生きた記憶のある神には敵わない、と思った。

自分はここ数百年だが、これらは二千年以上の記憶があるのだ。

「…何にしろ、めぼしい宮が無いのなら、まず維月を見つけることからぞ。」維心が言った。「幸い、義心が維月の匂いを辿って連れ込まれた場所は特定できた。今行かせておるから、中に踏み込む許可を与えよう。碧黎が言うに、このままでは維月の人格が消滅してしまうのだと。」

炎嘉は、それは気を遮断する膜のようなもっと進化した膜に、囚われているのだと思った。

月と分断されて、危ない状態なのだろう。

「では、その匂いの行き着いた先を…」と言い掛けて、ハッとした。「ちょっと待て、義心は匂いを追える?獅子や虎でもないのに?」

志心が、眉を寄せた。

「こら、我らはそんなもの使った事はないぞ。」

駿も、心外な、という顔をした。

「我らとて。獣ではないからの。」

維心は、眉を寄せて言った。

「誇りが何ぞ。そんなものに囚われていたら、維月を見つける事は叶わぬ。義心はそれを使った。我はあれを誇りに思う。」

確かにそうだが…。

まるで猟犬を使うような様に、どこの宮でも軍神にそんな事はさせないのだ。

それでも義心は、犬と言われてもそれしかないなら維月を助けるために、それを使ったのだ。

だが、僅かな匂いを辿るなど、一朝一夕で習得できる技ではないので、恐らく以前から習得していたのだろう。

維明が、脇に控える明蓮に、言った。

「行け。相手は二人は残して他は殺しても良い。一人では膜のことを知らぬ可能性もあるしの。」

「は!」

明蓮は、そこを出て行った。

維心も行きたかったが、こんな幼い自分が行っても足手まといになる。

なので、ぐっとと黙って、報告待ちのその時間、また書を頭に入れるのに没頭したのだった。

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