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反抗期

神世は未だに、そんな維心の様子など知るよしもなかった。

もう、維心が神世を回さなくなって一年以上になる。

謁見に行っても会えるのは維明だけで、維明も確かに聞いてはくれるのだが、維心ほどの素早さはないので、龍の宮に嘆願に来る数はガクンと減っていた。

神世自体がバラバラになりそうな気配がし始めてはいたが、本来バラバラになるのは、上位の王達がそれぞれに付く神を統率し始め、そうして天下を取ろうとし始めたらの話で、事情を知っている上位の王は、そんな動きは全くなかった。

あれほど危惧された、事情を知らない公明ですらそうだったので、特に問題はないように思われた。

だが、いつの世もそんな流れに敏感な王はいる。

昔、龍と鳥が世を二分していたのは皆が知る事で、その龍と鳥の諍いでこんなことになっているのは、また世が変わるのでは、と誰にも思わせた。

それでも、今回のことで世を治めるということが、どれほどに面倒なのか、上位の王達は身に染みていた。

天下を取るなど、何も知らない愚か者が考えることだ。

力のある王達は、皆そう思って世を厳しく見張っていた。


炎嘉が維心に会いに行って半年、他の王達にも軽く今の維心の状態をその後話して、それなら早々に戻るやもと皆に期待を持たせてから、もうそれだけの時が経っていた。

とはいえ、維心が生まれてまだ一年、本来ならまだ赤子でよちよち歩き始めたぐらいの歳だ。

もうものが分かっているだけでも、重畳だと思いたかった。

神世にそんなに待たれているなど知る由もない維心は、あの時育ってから体が大きくなる様子はなかったが、それでも毎日、いろいろな事に興味を示して、月の宮のあちこちでいろいろなものを見て、吸収していた。

特に図書館は気に入ったようで、毎日通っては神世の動きや流れなどを、じっと読みふけっていることが多かった。

実は、維心の記憶を戻せば、全て知っていることなのでそれは無駄な努力となるのだが、それで心が育つかもと、維月も何も言わなかった。

そんな維心がある日、いつも一緒の寝台で並んで寝ているのだが、目覚めたら隣りの維心が起きていて、神妙な顔をして維月を見つめて、言った。

「…維月。頼みがあっての。」

維月は、身を起こして言った。

「まあ何でしょうか。」

身長は同じぐらいとはいえ、まだ子供の維心なので、婚姻とかそんな事ではないはずだ。

何しろ、維心はまだそんなことすら知らない状態なのだ。

思った通り、維心は言った。

「月の宮の事はよう分かったのだがの、我は龍王だというのに、あちらの宮を知らぬでおる。ゆえ、そろそろ龍の宮へ参りたいと思うのだ。何か事情があってこちらで育っておるのだろうが、守るべき臣下を放って置いて、このように恵まれた場所で遊んでばかりもいられぬだろう。」

維月は、維心がたった一年で、そんな事を考えるようになったのかと驚くと共に感動した。

だが、まだ宮に連れて行くわけには行かない。

何しろ、あちらでは臣下は知っているが、知らぬ者も居るし、隠された存在なのだ。

「維心様…どうしましょう。お話したいのですが、私一人の判断ではお教えできぬことなのですわ。あの…父に聞いてから、ご納得が行くようにご説明致しますので、しばしお待ち頂けませぬか。どちらにしろ、今すぐには龍の宮へ帰ることが出来ぬのです。」

維心は、じっと維月を見つめて、言った。

「…主は、理由を知っておるのだな。」

維月は、小さいながら鋭い維心の目に見据えられて、頷いた。

「はい。だからこそお育てしておるのですから。維心様は大切なかたなのです。きちんと成人されたお姿になるまでは、こちらで完全に守られた状態であられるのが望ましいと、皆考えておるのですわ。」

維心は、眉を寄せた。

「守られるなど、我は皆を守るべき命であると聞いておる。こんなところで安穏としておる間に、宮がどうにかなっておるのではと案じられてならぬ。それに、神世はどうなっておるのだ。蒼に聞いても、あやつは宮を閉じておってあまり詳しゅうないとかで、図書館で得られる知識も限られておる。ここでは、知識を蓄えることもできぬのに!」

維心は、イライラしているようだった。

皆を守らねばという意識が、皆に守られているという体たらくに許せぬ心地で居るのだろう。

維月は、困った言った。

「ですが…私には今、ここでお話することが出来ぬのです。少しお待ちを。」

維心は、まだ食い下がろうとしたようだったが、ぐっと堪えて、横を向いた。

「…分かった。」

維月は、ホッとして寝台から降りると、気持ちを切り替えて、急いで言った。

「さあ、ではお着替えを。本日は書見ですが?それとも、お庭に?」

維心は、首を振った。

「…裁付袴を。甲冑を着て、訓練場へ参る。」

珍しく不機嫌に言う維心に、維月はため息をついて、そうして言われるままに甲冑を着せて、訓練場へ向かう維心を見送った。

そして、早めに碧黎に相談に行こう、と、自分も着替えて碧黎の対へと向かったのだった。


維月が入って行くと、碧黎が自分の対の正面の椅子に座っていた。

維月は、碧黎に寄って行って、頭を下げた。

「お父様。維心様が、龍の宮へ帰りたいとおっしゃって。朝から大変に不機嫌になられて…これが、反抗期と申すものでしょうか。」

碧黎は、苦笑して言った。

「維心の場合は、反抗期など無いままに多くの生を過ごして参ったからのう。主から自立して、己の足で立ちたいと願い始めたと言う事ぞ。そうなって来ると、かなり心が育ったという事であるから、そろそろ説明したら分かるのではないかの。」

維月は、息をついた。

「蒼も恒も反抗期という反抗期が無かったので、戸惑いますわ。もちろんのこと維心様のお子達は、皆そんなものはありませぬし。ただ…維心様は、自分が龍王であるのに、宮や臣下を放って置いてこちらに居って守られておるのが、不甲斐ないと感じておられるようで。お気持ちがわかるだけに、ご説明したい心地です。」

碧黎は、頷いた。

「ならば、我が話そう。今は訓練場に居るようであるし、あれが戻ったら申せ。話に参る。」

維月は、頷いた。

「はい、お父様。それにしても…お子様であるのに、もうあんな風になられるなんて。驚きました。」

碧黎は、大きなため息をついて、頷いた。

「体も大きくなって行動が制限されず、回りに補佐されて学ぶのに苦労もせぬ。今の状況なら、あれの命の力を考えたら、それはそうなろうな。加えてあの理解力で、生まれて一年であるのに宮の書庫の歴史書はもう、ほとんど読み終えておった。己の宮が龍の宮だと教えられておるし、案じるのも分かるのだ。神世が、安全ではないのを理解したと思うからの。」

維月は、維心の気持ちを考えると、すぐにでも碧黎のもとに連れて来てやって、話してもらった方が良かった、と後悔した。

あれだけ責任感が強い命なのだから、居ても立ってもいられないのは分かるのだ。

だが、今から訓練場に押し掛けて行って、戻って来いとは乱暴な話だ。

なので、維心が戻って来るのを待とうと思って、維月はまた、維心の対へと帰って行ったのだった。


維心はというと、しばらく訓練場で皆が立ち合うのを眺めていたが、一度遠く龍の宮が気になると、そちらばかりが頭に浮かんで、とても立ち合いなどしている心地にはならなかった。

なので、皆が立ち合うのを背に、そっと訓練場を抜け出すと、幼い姿の時からよく維月に抱いて連れて行かれていた、湖の方へと足を向けた。

維月の事は、本当に慕わしかった。

母ではない、と聞いていた。それに、母という感情ではないような、違う感情で維月を大切だと思っているような気がする。

どちらにしろ、維心にはまだ、その感情はよく分からなかったが、それでも維月が大切なのは確かで、傍に居るのが心地よかった。

だが、そんなものに安穏と甘んじている場合ではないのだ。

自分には、責務がある。龍王だと聞かされているのに、まだ生まれて間もない頃に居ただけの、記憶しかなかった。

あちらは、王も居らずでどうやって過ごしているのだろうか。

維心は、それが気になって仕方がなかったのだ。

…そういえば、十六夜の結界には穴がある。

維心は、ふと思い出した。

前に、碧黎に抱かれて上空からこの、月の宮の結界の中を見た時に、脆弱な所があるなと思って見た記憶があるのだ。

今より意識が幼い頃だったので、碧黎になぜにあの場所は弱いのだ、と聞いた覚えがある。

碧黎は、力が完璧に丸く形成されるのは難しいのだ、と言っていた。波動と申して波があり、それを全て把握して常に同じ厚さ、同じ強さで固定するのは難しいのだと。

それで、ああして弱くなる場所も出て来るのだと…。

つまりは、今この瞬間も、あの場所は弱いはずなのだ。

…ならば、出られるかもしれない。

龍の宮の方向は知っていた。もし、何か支障があって自分がこちらへ連れて来られているというのなら、誰にも気取られずにそっと様子を見てくれば良いのだ。

維心は、サッと回りを探って、誰も居ないのを確認すると、奥の大銀杏の近くにある、結界の穴と言われる場所へと、向かったのだった。

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