懐かしい
維心は、後ろから維月のそれは楽しげな気を感じ取って、ふと振り返った。
何がそんなに楽しいのかと、気になったのだ。
すると、そこには維月と楽しげに話す、焔の後ろの女神が居た。
維心は、我が目を疑った…在りし日の、綾にそっくりだったからだ。
炎嘉が、気付いて振り返った。
「何ぞ?…ああ、焔が連れて来た姪よ。燐の皇女。主は初めてか?」
維心は、頷いた。
「生まれておるのは知っておったが見るのは初めてぞ。驚いた…綾にそっくりではないか。」
焔が、脇からそれを聞いて、ああ、と頷いた。
「それは燐の子であるから。似てもおるだろうが、あやつは気も気性もそっくりでな。燐が申しておったように、誠に生まれ代わりではないかと思うほどよ。」
志心の位置からは、仕切り布で着物の端ぐらいしか見えない。
志心は、言った。
「誠に?よう見えぬが、そんなにか。」
焔は、頷いた。
「そっくりそのまま写し取ったかのようにの。では…」と、声を張り上げた。「綾。こちらへ。」
隣りの維月も、驚いてそちらを見る。
綾は、焔が王達が居る方へ呼ぶのに固い顔をしたが、出て行かない選択肢はないので、また扇を高く上げると、立ち上がった。
それを見た維月は、若い綾が気がかりで自分も行こうと維心に視線を送った。
…私もそちらへ呼んでくださいませ!
維心には、その心の声がハッキリと聴こえた。
なので、鬼気迫る勢いの維月に、手を差し出した。
「維月。」
維月は、我が意を射たりとばかりにサッと立ち上がると、重い着物をものともせずに、維心の方へと向かった。
綾は、維月も立ち上がったので、ホッとしてそれに倣って前へと進み出た。
すると、焔は容赦なく言った。
「主、扇を下げてみよ。」
さすがの綾も、驚いて躊躇っていると、維月が維心に、皆にも聞こえるように言った。
「まあ…。若い未婚の皇女を皆様に晒されるなんて、いったいどういう事なのでしょう…。」
こういう時は、維月は怒っている。
維心は、仕方なく言った。
「焔、確かにそれでは酷というものぞ。まだ成人前の皇女をそのように。父親の燐も居らぬのに。」
焔は、さすがにまずかったかと顔をしかめた。
「皆が見たいと思うたからぞ。」と、自分でも乱暴なことを言ったと気まずいのか、黙って見ている翠明を見た。「綾、そら、いつも主が無理を言うて柑橘を送ってくれておるのがその、翠明ぞ。礼ぐらい言うておかねばと思うてな。」
そんなことは、言うておらなんだではないか。
皆思ったが、黙っていた。
綾は、おずおずとそちらへ視線を向けたが、翠明を見た途端、パッと目を輝かせて、言った。
「翠明様。いつもたくさんのお品をお届け頂きまして、誠にありがとうございます。」
そう言って、頭を下げる綾に、翠明は困ったように答えた。
「別に我が領地にはそこらにいくらでもあるからの。気にすることはないぞ。」
綾は、それには顔を上げて、扇を上げるのも忘れて言った。
「まあ、そちらにはいくらでもあるのですか?」
翠明は、その顔を見て、絶句した。
その反応、話し方、声、そして姿から気に至るまで、全てが綾にそっくりだったのだ。
そう、まるで綾が、生きてそこに居るかのようだった。
「綾…。」
懐かしい。
翠明は、心底そう思った。
とっくに遠くなったと思っていた胸の底にあった想いが、生前の綾にそっくりな、別の綾を前にそうではなかったことを翠明に悟らせた。
「なんとの、誠にそっくりではないか。」箔炎が、言った。「思い出すの、琴の指南に主の宮へと通っておった時、いつも見掛けたそのままに見える。燐の子とはいえ、ここまで似るものか。」
翠明は、何か返さねばと思うのだが、衝撃が強過ぎて声も出ない。
箔炎は、さもあろうと苦笑して椿を見た。
「椿。主も会うておくと良い。主の母にそっくりぞ。」
椿は、箔炎に言われてスススと進み出て来ると、綾を見た。
そして、見る見る涙ぐむと、言った。
「お母様…。」
綾は、あまりに皆が驚くので困ったように扇を上げた。
「あの…我は、何か粗相をしてしまい申しましたか。いつも兄にも、咎められ申して…。」
兄は烙だ。
烙は綾をしつけるのを手伝っていたと聞いているので、恐らくそうなのだろう。
翠明は、首を振った。
「そうではないのだ。ただ、主が主の祖母によう似ておるので、驚いておるだけぞ。そのように思うことはないのだ。また柑橘を送ろうの。気にするでない。」
綾は、それを聞いてパッと嬉しそうな顔をした。
「はい、翠明様。」
翠明は、心が温かくなるのを感じた。
綾…以前、維心が主は長い生があるから、また巡り会えるかもしれぬ、と言っていた。もしかしたら、自分はまた、綾に巡り会えたのかもしれない。綾…誠に、生きて帰って来たかのようだ。
維月が、言った。
「お二人は燐様を通してお従妹同士であられますもの。募る話もおありでしょうし、菖殿も共に、こちらで話しませぬか。」と、維心を見上げた。「王、我の隣りにお二人をお連れしてよろしいでしょうか。」
席順は、己の夫の後ろと決まっている。
それを違えるには、王の許可が要るし、自分から夫の目の前で他の王に問うわけにはいかないので、維月は維心にそう言った。
維心は、頷いて箔炎を見た。
「箔炎、では椿を維月の隣りへ来させぬか。こちらで女同士話をさせては。」
箔炎は、椿を見た。
「主、話したいか。ならば参って良いぞ。」
椿は、すぐに頷いて答えた。
「はい、王。長らく維月様にもお目通りしておらぬし、話したいと思うておりましたの。綾殿とも、我には遠い縁ではないのですもの、これを機会に仲良くして頂きたいのですわ。」
箔炎は頷いて、維心を見た。
「では、そちらへ行かせよう。」
すると、維心の後ろの仕切り布の間では、千秋を始め維月の侍女達が、急いで席を設えようと動き出すのが見えた。
維月は、微笑んで維心を見上げた。
「では、王。我は失礼して後ろの御席に戻りたいと思います。」
維心は、自分で呼べと圧をかけて来ておいて、戻りたいという維月に苦笑したが、頷いた。
「参るが良い。」
そうして、維月は機嫌よく立ち上がり、他の女神達にも頷きかけた。
「さあ、こちらへ。お話し致しましょう。」
そうして、皆、一斉に立ち上がると、維月についてそちらの仕切り布の間へと入って行った。
炎嘉は、それを見送りながら、小声で維心に言った。
「…主は維月の言いなりであるな。こうしてみると、我では無理であったやもしれぬ。少々無理を申す時もあるゆえなあ。」
維心は、確かに維月は勝手なところもあるのだが、自分もそうだからと、苦笑した。
「お互い様であるしの。まあ、これぐらい良い。分かっておって娶っておるし。」
維月には、その声がたまたま聴こえていて、自分でも内心勝手だなと思っていただけに、恥ずかしくなった。
維心の事を勝手だと思うのに、結局自分もこうして維心に無理を通しているのだ。
維心の言う通り、お互い様なのだろう。
それでも愛しているのだから、こうしてお互いを理解して許してやって行けるのだ。
維月はそう実感しながら、奥に設えられた席へと座った。
すると、皆序列に従って椿、菖、綾と並んでその回りに座る。
そこには、維月が先ほど命じておいた、パウンドケーキと茶が準備されて置いてあった。
「さあ、ではこの菓子を食しながらお話ししましょうか。」と、楊枝を手に取った。「皆様、楽しんでくださいませね。」
椿も、嬉しそうに言った。
「まあ、懐かしいこと。最近ではついぞ目にしておりませんでしたわ。パウンドケーキですわね。」
維月は、頷いた。
「はい。綾殿にはこういったものを好まれるかと思うて。どうぞ、召し上がってくださいませ。」
綾は、見たこともないものに目を輝かせて、維月に倣って楊枝を手に、それを切り分けて口へと運んだ。
そして、途端にパアッと明るい顔になった。
「なんと良い味わいでしょう。このようなもの、初めてですわ。甘くて、ふんわりとして…。」
維月は、微笑んで頷いた。
「よろしければいくらでもお出し致しますわ。昨日、ふと思い付いて台番所で我が侍女達と作りましたもの。こういったものはまだまだありますので、またお見せ致しますわね。」
菖も緊張気味にしていたのだが、菓子を口にすると明るい顔になった。
「まあお母様、このようなものがあるとは、我は知りませんでした。幸せな心地になりますわ。」
椿は、頷いた。
「我もこちらへようお邪魔していた頃には、龍王妃様から戴いておったの。母が殊に好んでおって…懐かしいこと。」
そうして、四人はパウンドケーキを楽しく食べて、会話に花を咲かせた。
なので、宴が終わる頃には綾も菖も、すっかり寛いで、名残惜しげにそこを後にしたのだった。