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久方の

その頃、翠明は謁見の間で、公明と会っていた。

公明は、老いが止まって今では翠明と同い年の見た目で、しかし何やら戦国を経験したような険しさも加わった見た目に変貌していた。

貫禄が出た、とでも言うのだろうか。

翠明は、言った。

「…誠に久方ぶりであることよ。公明、どうしておったのだ。全く外との交流もなく、この百年余り、皆案じておったのだぞ。」

公明は、言った。

「長く何も申せずすまなんだの、翠明殿。我は、その説明に参った。然る後に、今の世の事を詳しく聞きたいと出て参ったのよ。」

前より、数段どっしりした感じになったの。

翠明は、思いながら頷いた。

「説明を聞こう。」

するとそこへ、慌てたように紫翠が駆け込んで来た。

「父上、公明が…、」そして、目の前に立つ、公明に目を止めて、飛び付かんばかりに前に出た。「公明!主、案じておったのだぞ!明蓮も…何事かとしょっちゅう文を我と行き来させて!」

公明は、紫翠を見てうっすら微笑んだ。

「すまぬな、紫翠。これから翠明殿にも話そうとしておったところ。主も聞くが良い。」と、翠明を見た。「翠明殿、我は、脳の病に苛まれておった。」

翠明と紫翠は、目を丸くした。

「…何と申した…脳の?して、それは治ったのか。」

公明は、ため息をついた。

「つい、ふた月ほど前にの。段々に正気でおる時が増えて参って、遂にこうしてまともに居られるようになった。だが、それまでは記憶が断片的で…臣下達は、突然に我がそのようになったので、混乱しておったらしい。何とか治そうとしたが、治癒のもの達も手に負えず。外に助けを求めようにも、我には皇子が居らぬし、宮が存続不可能とされて廃宮になると、案じて隠しておったらしい。何しろ、発狂して暴れるのでそれを封じるだけでも大層な術をあちこちから調べ上げて宮の結界の中に敷いて、外に出ぬように気を遣っておったらしい。それでも我は、さっさとそれすら破ってどこかへ行ってしまうので、軍神達も気が気でなかったと聞いておる。僅かばかりでも正気に戻るようになったのは、つい最近のことで。我とて、何が原因でそうなっておったのか全く分からぬが、そんなわけで主らに会うなどできるはずもなかったのだ。」

翠明と紫翠の二人は、顔を見合せた。

だから、宮の結界のほかに何か術がと義心が言っていたのか。

「…いったい、何が原因であったのかの。またそんなことになるのではないかと案じられる。今は落ち着いておるようだが、臣下にはまた同じ事になったら、廃宮などにせぬから外に助けを求めよと申せ。もしかしたら、龍なら何とかできたやも知れぬしの。」

公明は、頷いた。

「それはもう言うた。逆におかしいと警戒させる事になるゆえ、滅多な事はせぬようにと。それで、神世のことを聞こうと思うて。我にはここ百年のことが全く分からぬのだ。会合の記録など見せてもらえたらと思うておるのだが。」

翠明は、頷いた。

「そういうことなら、何なりと。次の会合には出るのか。」

公明は、頷き返した。

「このまま落ち着けば出るつもりよ。またぶり返さぬとも限らぬし、未だ原因が分かっておらぬ以上、何があるか分からぬからな。」

翠明は、立ち上がって言った。

「ならば、紫翠の方が気安いだろうし、これに説明させようぞ。応接間へ。紫翠、案内してやるが良い。」

紫翠は、頷いて公明を見た。

「こちらぞ。」と、目に涙を浮かべて公明を見つめた。「誠に…良かった。まさか命がないのを隠しておるのかと、明蓮が申すから我も案じて…よく無事で。」

公明は、苦笑した。

「無事ではなかったがの。まあ、何とか正気に戻っておる。」

幼い子供の頃から、ずっと友なのだ。

二人は、並んで微笑み合いながら、応接間へと歩いて行ったのだった。


龍の宮の治癒の対では、大騒ぎになっていた。

治癒のもの達が次々に倒れ、代わりのものがまた気を補充しようとする側から倒れてさながら地獄絵図のような有り様だ。

「大変!」一番早く到着した、維月が叫んだ。「皆、ここから出なさい!ここは私がやるから、あなた達は倒れたもの達の治療を!」

「王妃様!ですがもう、夕貴様が…!!」

夕貴の顔は、真っ青だ。

だが、母体が死ぬと産み出せないからか、まだ夕貴には僅かに気が残っていた。

「私がやるから!皆は早くここから出て、なるべく遠くへ!」

宮の中でも危ないかもしれない。

維月は、この勢いを見て、そう思った。

維心は、まだ赤子で何も知らないので、外へ出ても身を保てるだけの体を作り、その後自分の気を補充しきるための気を、回りから集めているのだ。

そうなってくると、とてもじゃないが夕貴一人の気では、賄えるものではなかった。

「…地の力を…。」

維月が手を翳すと、ごごごと宮が振動する。

地が震えて、気を吸い上げているのだ。

凄い…!維心様を産もうと思ったら、こんなに大変なの?

だが、維月には分かっていた。

早すぎたのだ。

本来、飢餓状態でも数ヶ月掛けて優先的に身を作り、生まれ出た時に一気にその乾きを潤すだけの事が、今は身から作って行かねばならないからなのだ。

しかも、こんなに短期間に。

維月が地から気を呼んでいるのに、この人型の気まで食らい尽くされそうな勢いで、今手を翳したばかりなのに、もう気が遠くなって来ていた。

「維月!」十六夜が駆け込んで来た。「外が大変だ!維斗も危ねぇから避難させろって言って置いて来た!ごねてたけどお前まで死んだらどうする!って言ったら聞いてくれた!」

維月は、冷や汗を流しながら言った。

「十六夜…!駄目、夕貴殿まで手が回らないの!月から何とかして!」

十六夜は、慌てて手を上げて、夕貴に気を補充し始めた。

「凄いな…!補充する端から持ってかれる!」

碧黎が飛び込んで来た。

「維月!主はならぬわ、陰なのだぞ!」と、浮き上がって上から一気に気を投下した。「人型が維持できぬようになる!離れよ!」

途端に、一気に碧黎の人型目指して地中から気が突き上がって来て、その気が夕貴へと一気に流れ込んで行った。

「…やはり維心は手強いの…!」

碧黎は、眉根を寄せて言う。

膨大な気が、夕貴に流れ込んでは腹へと集中して行き、見る間にその腹は、グングンとせり上がって来た。

腹の維心は、必死に生きようと、自分の体を形作っているのだと思われた。

「…こやつも不憫ぞ…本来なら、命の危機を感じて己で何とかせねばならぬような大きさではないのに。」

碧黎が、呟くように言った。

これが、記憶のある維心ならこの限りではないが、全く記憶がない赤子の維心が、このままでは死んでしまうと、必死に小さな体で戦っているのかと思うと、確かに維月も哀れに思った。

すると、夕貴がふと、薄っすらと目を開いた。

「夕貴殿?!分かりますか、我です!」

夕貴は、自分の手をグッと握った維月を何とか目だけを動かして、見た。

「維月様…吾子は、吾子はどう…」と、グッと眉を寄せた。「ああ、痛みが…!!」

生まれようとしているのか。

だから、夕貴は意識が戻ったのだ。

生み出してもらわねばならないので、維心が母親に気を分けているのだろう。

恐らくは無意識だろうが、生き残るための本能だけでそれをやる維心に、維月は恐れを感じた。

「大丈夫ですよ。」維月は、言った。「我が。我はたくさんの子を産んでおるから。さあ夕貴殿、痛みに乗って、力を入れて!」

夕貴は、言われるままに必死にいきんだ。

維月は、夕貴の手を放して足元へと向かい、状況を見た。

子宮口は全開大になっている。その向こうに、赤子の黒い髪が見えた。維心は、自分自身でも下へ下へと降りているのか、うねうねと腹が波打って動いている。

本来、何度も痛みと小康状態を繰り返すものだが、夕貴はずっと痛みに耐えているようだった。

「少し、息をつきましょう。」維月は、夕貴の体力も考えて、言った。「さあ、深呼吸して。」

夕貴は、何しろ初めてのことなので、言われるままに維月の目を見て、ふう、ふう、と息をつく。

そうして、維月は夕貴が落ち着いて来たのを見て、言った。

「では、また力を入れますよ。三、二、一、はい!」

夕貴は、また精一杯いきんだ。

赤子の頭は、どんどんと大きくなって来て、遂に外へと現れた。

五カ月であったはずの赤子の大きさは、間違いなく月満ちて生まれる赤子と、遜色ない大きさにまで育っていた。

「はい!力を抜いて!息をハッハッハと吐く!」

夕貴は、必死にそれに従った。

維月は、出て来た頭をそって引き出して、そうして体がずるりとそれに伴って外へと出た。

途端に、フッと夕貴は気を失った。

「おぎゃああああ!!」

赤子が、盛大に泣いた。

「まずい!親父、夕貴の気が食らい尽くされるんだ!何とかしろ!」

碧黎は、必死に額に汗を滴せながら、叫んだ。

「やっておるわ!維心が気を欲しておるのだ!待たぬか!」

待ったら夕貴が死ぬっての!

十六夜は思いながらも、自分の力を必死に夕貴へと流し込んだ。

維月は、治癒の者達が準備していた湯の入った桶へと急いで維心を連れて行って、そこで綺麗に洗った。

維心はまだ泣いていたが、少し落ち着いて来たのか、桶の湯に浮かんでいるうちに泣き止んで、ぱっちりと目を開いて維月を見る。

…ああ維心様…!

維月は、その深い青い瞳を見て、涙が溢れて来た。これは維心様…この、受ける気の感じが、間違いなく維心様だ…!!

途端に、スーッと気の放流が収まり、辺りはシンと静まり返った。

気が付くと、大惨状になっていた治癒の対の中で、夕貴は静かに寝息を立てていた。

「…終わったか。」十六夜は、ハアと肩の力を抜いた。「やったぞ、維心は母親を殺さなかった。まあ、地と月が必死になってやっとだがな。」

「本当ならここまで大層な事にはならなんだわ。」碧黎が、床に降り立って、ため息をついた。「なぜにこれほど早くにこのような。もしかして…将維か。」

維月が、おとなしい維心をタオルで拭いて、産着を着せ掛けながら言った。

「将維?あの子はもう、地ではありませんでしょう。大した力もないから、大丈夫だと言っておったのでは。これから修行をするのだと、お父様自身が仰っておられたのに。」

碧黎は、維月の作業を眺めながら、頷いた。

「その通りであるが、あれが一時地であった事実は消せぬ。僅かに影響があるようで、あれが必死に急いで成長せねばと思うにつけて、地の気が変動しての。とはいえ、悪いものではない。良くも悪くもやる気にさせる、アレぞ。それが最近、島を覆っておるのは確か。とはいえ、陰の地である主が居るから、悪い事にはならぬはずであるが…もしかして、腹の赤子にも影響して、特に維心のように元から賢しい命であれば、早く早くとせっつかれておるような心地になって、生まれねば、と必死になった可能性も無いとは言えぬ。」

十六夜が、顔をしかめた。

「将維が一生懸命になったらそうなるって、困ったな。天黎のやつ、オレ達の選択だからとか言ってるけど、その危険性だって知ってたはずなのに事前に言いもしないで決めさせといて、これじゃあ将維一人が悪者になっちまう。あいつの気持ちも考えろっての。」

維月は、もはや黙ってじっと維月を見つめている、維心を抱いてその頭を撫でながら、言った。

「私もさすがに天黎様には少し、腹が立って来たわ。こんなことになって…天黎様だったら、一瞬で何とか出来たでしょうに。結局お父様と十六夜で、何とかしたわけでしょう?もっとお気を遣ってくださるかただと思うておったのに。そういった性質のかたって、私嫌いよ。」

またはっきりと。

碧黎は、苦笑した。

「まあ、とりあえず終わったのは終わったのだからの。赤子は月満ちておらなんだから死んだと告示するしかない。維斗を呼べ。」

十六夜は、頷いて外へと出て行った。

碧黎は、大きなため息をついて、維心の顔を覗き込んだ。

小さな維心は、まだ何の記憶もないのだが、ただひたすらに、じっと維月を見つめていた。

維月は、フフと笑って維心の頬をぷにぷにとつついた。

「まあ維心様、私にご興味がおありですか?愛らしいこと…維明や維斗の赤子の頃も愛らしかったけれど、維心様は殊更に。」

維心は、維月を見て薄っすらと、微笑んだ。

碧黎は、言った。

「どこかに記憶は持っておるからの。主を慕わしいと思う気持ちがあるのだろうて。」そして、ぎゅっと握っている、拳に指を突っ込んだ。「…お。やはり持って来ておるな。術の気配がするゆえ、あれはまたこれに術を掛けて参ったか。」

維月は、言われて急いで小さな拳の中を見た。

そこには、前世今生、そして維心にとっての今生と持ち続けて来た、結婚指輪が握られていた。

「ああ。」維月は、涙を流した。「維心様…。」

この指輪に、維心の心を感じる。

維月は、それをそっとその拳から取ると、維心の目につかないように、スッと懐へと仕舞った。

すると、維斗が十六夜と共に駆け込んで来た。

「夕貴!」と、夕貴が静かに寝息を立てているのを見て、ホッとその手を握ると、こちらを見た。「母上…。」

維月は、頷いて維心を包んだ布を開いて、見せた。

「父上よ、維斗。あなたのお蔭で、帰って来ることができたの。指輪をお持ちだったから…間違いないわ。」

維斗は、あり得ないほど大きく育っている、赤子の維心を見た。

何しろ、まだ五カ月だったのだ。普通なら、生きて生まれることなどできなかっただろう。父だったからこそ、無理やりに自分の体を他から気を食らいながら大きくし、そうして生きて生まれ出て来たのだ。

「…ならば、夕貴には赤子は助からなかったと。」維斗は、眠る夕貴の頬に触れた。「五カ月では…本来絶対に助からなかったでしょう。父上であったから無理やりに回りから気を集めて体を大きくされましたが、普通の赤子であったなら命を落としておった。夕貴も、納得するでしょう。こうして夕貴の命を留めてくださったのですから…我は、そう納得致します。」

維月は、夕貴の悲しみを考えると、気持ちが沈んだ。だが、これは神世に必要な事だった。どうか、早く立ち直って欲しいと言った。

「夕貴殿には、私ができる限り癒しの気を。こうして、維心様を命を懸けてお産みくださったのですから。」

維斗は頷いて、足を戸口へと向けた。

「治癒の者達を呼び戻して参ります。倒れた者達が多かったのですが、皆回復して参っておりますし。夕貴の後の処置を頼んで、部屋へ連れて帰ります。」

維斗は、そう言って外へと出て行った。

維月は、まだじっと自分を見つめている維心を抱きしめて布にくるみ、そうして奥宮へと逃げるように戻って行ったのだった。

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