王達は
炎嘉は、あれ以来ニコリともすることがなくなって、宮でも皆が案じていた。
あれほど饒舌で、臣下相手にも軽口を叩くほどに気さくな炎嘉が、あの翠明の婚儀の時に龍王と言い争いになったと聞いた後から、むっつりと黙っていて、表情は険しいままだ。
何度か龍の宮へも訪れているようだったが、それでも状況は変わらなかった。
どうやら、龍王がへそを曲げているらしく、攻め込むほどではないものの、炎嘉に怒っているのは確かのようだ。
龍王は、正月の挨拶にも節分にも出て来る事は無く、年明けの初めての会合でも、ただじっと黙って炎嘉の隣りに座っているだけだったらしい。
それはいつもの事だったが、本当に一言も言葉を発することも無く、後の宴にも出ずにさっさと宮へと引き揚げてしまい、結局炎嘉と話し合う事もなかったそうだ。
臣下筆頭の開は、困ったことだと思った。
いったい、何を言い争ったのか知らないが、これまでならすぐに機嫌を直して、特に問題なくやっていた。
それを、龍王がこれほどに怒るほどとは、いったい王は何を言うてしまわれたのか。
開は思ったが、それでも今のところ、龍の宮と鳥の宮の臣下レベルの交流は変わりなく滞りなく行われていて、宮同士の関係が悪化している様子はなかったので、とりあえず様子見をしている状態だった。
炎嘉はというと、誰にも維心が死んだ事実を話すことができない宮の中で、ただ維心が戻るのを待って、神世を回すことに注力していた。
志心、箔炎、焔が戦国を生き抜いた記憶があるので、この三人と共に、駿達新参者の王達に教え、何とかやっていた。
こうして見てみると、維心がやっていた事の多さに舌を巻く。
維心は、たった一人で事もなくいろいろな処理をしていて、おかしいと見たら義心を使って詳しく調べ、神世を見張っていたのだ。
それを、この上位の王達で分けてやっているのに、結構な神経を使うことが多かった。
恐らくは、他の王達も、維心がどれほどに優秀な神であったのか、今更ながらに知っていることだろう。
維明も、かなり優秀な神で、確かに維心と同じような事はできるのだが、維心ほどの知識も、経験もない。
なので、恐らくこのまま数百年も経てば同じようにできるのだろうが、今の時点ではそれは無理だった。
今日は、焔と箔炎が訪ねて来て、三人で神払いをし、それでも小声で話し合っていた。
「…公明は動く様子はない。」箔炎が、言った。「あちらには、こちらの事は漏れておらぬようぞ。ただ、主と維心が仲違いしておるのはあちらからしても良い機であるのは確かだし、もしかしたら何かしてくるやもしれぬ。維明が義心を使って見はらせておると言うておったし、突然に何かが起こることはなかろうとは思うが、我も気を付けておるのだ。」
焔も、頷く。
「だがあれの宮の中までは分からぬのだ。義心は中まで調べては参っておらぬか?」
それには、箔炎もため息をついて首を振った。
「それが、義心でも入り込むのは難しいようで。何やら結界の他に、術のようなものがあるらしく、どうしても宮の結界内に気付かれずに入れぬのだそうだ。」
炎嘉は、眉根を寄せた。
「…そこまでして、隠したい何かがあるという事か。」
箔炎は、ため息をついた。
「その通りぞ。いよいよ西の島中央から、目が離せぬ状態ぞ。」
炎嘉は、義心で駄目ならうちの嘉張でも無理だろうと中身が見えぬ事に、イライラとした。
維心が居ない今、事が発覚してからでは遅いかもしれないのだ。
翠明は、直接に公明の宮へ訪ねて行ってみようかと言っていたが、そんな事をして捕らえられでもしたら、面倒な事になる。
維心が居ない今、大事にはしたくない。なので、翠明には気を付けているようにとだけ、言っていた。
何しろ十六夜すら、その宮の中を見ることが出来ないほど、完璧なシャットアウト状態なのだ。
どんな結界も十六夜の光を通すのだが、窓にしっかりと物理的にカーテンが掛けられてあって、遮断されて垣間見ることもままならない。
いったい、隠して何をしているのかと思うのだが、そんな状態になってからかなりの年数で、それでも静かなのが逆に不気味だった。
だが、何もして来ない以上、こちらから軍を引き連れて行くわけにも行かない。
そんなわけで、この日もお互いの管理している範囲の報告をボソボソと済ませて、箔炎と焔は帰って行ったのだった。
維明に呼ばれた維斗は、何かあったかと急いで王の居間に向かった。
最近では、ここに維明が居る事が多い。
維月と十六夜が居るせいなのだが、なぜ十六夜が居るのかと言うと、急に何かがあった時に、すぐに維心に化けて対応できるようにだった。
実際、それで何度も維心の不在を知られずに済んでいるので、今では十六夜はこの宮に必須だった。
気の大きさは十分なので、後は気の色を碧黎に付けてもらってカムフラージュしていて、誰が見ても維心になれた。
ただ、十六夜は口が悪いので、話す事は一切できなかったのだが、神世では地位の高い者は永遠に黙っていられるシステムなので、それでもなんとかなっていた。
居間へと維斗が入って行って頭を下げると、維明が言った。
「来たか。主に、知らせねばならぬことができたのだ。座るがよい。」
維斗は、座って維明を見た。
「何かありましたか。」
維明は、頷いた。
「主、あれから北西の宮へ行っておらぬな。母上が弓維と文をやり取りしておって、知らせて参ったのだ。あちらには、父上が炎嘉殿と諍いを起こしていて、表に出ておらぬのだと公の理由を知らせたのだが、その返事の中で、夕貴が身籠っているのだと。」
維斗は、びっくりして目を見開いた。
子…子ができたのか。
「え…三月前の?」
維明は、頷く。
「その通りよ。ゆえ、このまま放置もできぬ。急ぎこちらに迎え入れ、然る後に十六夜に父上になってもらい、目通りを。文言は覚えさせるゆえ、問題ない。それからは会うこともないだろうし、夕貴は父上の不在を知らぬままで居れるだろう。」
維斗は、頷いた。
「は。では、夕貴にはこの事は伏せるのですね。」
維明は、頷いた。
「匡儀殿に知られてはならぬから。どこにも漏らすわけにはいかぬのよ。主の妃を信じておらぬわけではないが、それでも万が一ということがある。そこは弁えよ。」
維斗は、頷いて頭を下げた。
「は。では、早急に我の対で迎え入れの準備を。」
維明は、頷いた。
「そうせよ。臣下から、迎えをやると連絡を入れる。主の侍女にも、ようよう言い聞かせておくがよい。漏れてはならぬからの。」
維斗は、頷いた。
「はい。では、御前失礼を。すぐに準備を致します。」
そうして、維斗はまだ実感がないのか、少しふわふわとした様子でそこを出て行った。
維月は、それを見送ってから、重い口を開いた。
「…なんと申せば良いものか。夕貴殿はどうあっても、命を落とすのかしら。お父様にもどうにもできないこと?」
十六夜は、顔をしかめた。
「どうだろうな。」
「我には無理ぞ。」
急に声がしたので驚いて見ると、碧黎がそこに出現していた。
維明が、一瞬息を詰めたがフッと力を抜いて、言った。
「…慣れぬ。いきなり出るでないわ。驚くではないか。」
十六夜も、苦笑した。
「オレは出る側だったから知らねぇけど、確かにな。」
碧黎が、言った。
「聞いておったからぞ。夕貴の腹の器には、維心が入っておるのは間違いない。どうやら別の誰かを押し退けて、無理やりに入ったようよ。本来、白龍の王族の誰かが入る予定であったようだが、維心があちらへ行ってすぐに談判に参り、相手は譲るよりなかったようだ。お陰で弓維が、また身籠ることになりそうだがの。」
あちらでも、維心は戦っていたのだ。
維月は、言った。
「維心様には何が何でも生まれていただかないといけませぬが、それによって維斗が、やっと娶った妃を失うのは私も案じてならぬのですわ。どうにもできぬのですか。」
碧黎は、ため息をついて首を振った。
「黄泉で、維心ほど特殊な命はないのだ。本来あり得ぬほどに気が大きく、優秀な命ぞ。我ら月の眷属にも匹敵する力を持ち、それを使いこなすのは並大抵の命では無理なのだ。あれを死なずに産み出せるのは、月の眷属しか居ない。つまりは維月、主か瀬利しかおらぬのだ。」
十六夜が、言った。
「だったら天黎なら?あいつにできねぇことなんかねぇだろう。ここまでいろいろ世話してやったんだから、命を助けるぐらいやってくれてもいいじゃねぇか。」
碧黎は、十六夜を軽く睨んだ。
「我が、それを考えぬと思うのか。とっくに言うたわ。だが、これが我らの選択の先にあったことだからと手を貸す様子はない。天媛が聞いておって口添えしてくれたが、首を縦に振らぬ。あれが同意しないことを、天媛もできぬし、海青も黙って聞いているだけだった。那海には元より、そこまでの力もないし頼むこともできぬ。」
碧黎なりに、なんとかならないか考えてくれたらしい。
まさに万策尽きたのだろう。
つまりは、夕貴はこれまで維心を産んだ母達同様、産み出すと同時に気を失って死ぬということなのだ。
「…それをどうやって維斗に伝えたら良いものか。」維月は、がっくりと肩を落とした。「せっかくに来てくれた妃でありますものを…。」
碧黎は、腕を組んで言った。
「だが、維心は生まれたとてそれを告示することはできぬだろう。夕貴が生きておれば、ここで育てる事はまずできぬ。なぜなら、あれは維心であって、今隠しておるのはあれをまた、七代龍王のままであるとし、神世に戻すためなのだろう。主が育てるつもりのようだが、夕貴は子を取り上げられたと感じるぞ。あれを生かすとして、子は死んだと伝えて月の宮へ連れて行くしかない。そこのところは、どうするつもりだったのだ。」
維月は、言われて確かに、と思った。自分達は知っているから維心と扱うが、夕貴にとっては自分の子でしかないのだ。
だが、だからと言って夕貴が死んで良いということにはならない。
ギリギリまで、策を考えたいのだ。
「…お父様がおっしゃることはわかりますが、それでも…。もし生かす方法があるのなら、それをこうじてやりたいのです。それからのことは、また考えるしかありませぬ。私は、最後まで諦めませぬわ。」
碧黎は、維月らしい、と目を細めた。
「ならば我も、何か思い付いたら話に参る。だが、期待するでない。我とて無駄に命を散らせたくはないのよ。」
それは、夕貴の命のことを碧黎が天黎に聞いていたことでも分かる。
維月は、頭を下げた。
「はい。よろしくお願いいたします。」
そうして、碧黎は消えて行った。
宮では、維斗が臣下に命じて、夕貴を迎える準備を始めていた。




