南西の宮の婚儀
様々な裏の憶測も流れる中、それでも翠明と綾の婚儀の日はやって来た。
当日、維心と維月は一番最後に入る事になっているので、ゆっくりと準備をすれば良かったが、それでも夜明けから準備を始めて、日が少し高くなって来た頃には、輿に乗って宮を出て、大層な行列と共に龍の宮を飛び立った。
何しろ、祝いの品は先に贈っておいて当日の荷物は少なくしたのだが、三日の間滞在することになるので、維心と維月の着替えや、侍女達の着替えなどを合わせた厨子を後ろに持っていて、その上、侍女侍従が乗る輿もあり、大変に仰々しい列になるのだ。
長い列を引き連れて到着口へと降りて行くと、翠明ではなく紫翠が、出迎えてくれていた。
本日は、翠明の婚姻なので、どうやら紫翠が立ち働いているようだったが、少し疲れて来ているようだった。
維心が、輿から降りて、維月の手を取って降ろしながら、言った。
「紫翠。本日はめでたいの。我らで終わりか。」
紫翠は、維心に会釈して答えた。
「本日はご参列頂きましてありがとうございます、維心殿。はい、皆式場へと入って、着席しておる状態でございます。お二人をご案内して、開式となりまする。」
維心は、いつもの事なので、頷いた。
「では、参ろう。」
維月は、維心に手を取られて、いつもより数段軽い着物にホッとしながらも、その斜め後ろを歩いた。
いつも思うのだが、こうして龍王の妃として来ると、全く待たされる事も無いし、席に着いたらすぐに始まるので、とても楽だ。
ということは、先に来て座っている妃達は、きっと重い着物に長い時間我慢して、席に座って待っているのだろう。
そう思うと気の毒になって来て、何とかして早くたどり着けないかと思うのだが、何しろ軽くなったとはいえ、かさばる着物なので、維月は思うように歩けなくてイライラした。
そんな維月とは違い、宮の中は祝いムード一色で、侍女も侍従も皆、それはおっとりと微笑んで今日の日を楽しんでいるようだ。
維月は、気持ちを整えないと、と、必死に足を進めながらも、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせていた。
そうやって、謁見の間に案内されて入って行くと、赤い毛氈の両脇に、ずらりと並べられた多くの椅子に、それぞれの宮の王族が座って、維心達を待っていた。
維心と維月は、その中を皆の視線に晒されながら、ずっと歩いて最前列の席へと向かった。
これがまた、結構な距離があるのだが、維月は必死に着物を蹴りさばいて、早く座らないと、と足を進めた。
維心は、そんな維月を気遣って着物を気で持ち上げてくれているので、思ったよりすんなりと、最前列の上座へと、座ることが出来た。
紫翠が、二人を案内した後、檀上へと登って行って、脇の仕切り布の中へと歩いて行く。
そうして、緑翠と白蘭を連れてまた戻って来て、檀上の親族席へと腰かけて、式開始を待った。
翠明が出て来て、皆の挨拶に立つ。
例によって、隣りの炎嘉が維月を挟んで維心に声を掛けて来た。
「維心よ、なんとの、維月の着物は良いなあ。石が一つもついておらぬのに、なんと豪華に。主が選んだのか。」
維心が小声で答えた。
「そうよ。維月が倒れてはたまらぬからの。我が龍達に考えさせたのだ。」
炎嘉は、感心したようにまじまじと隣りの維月の着物を見つめた。
「ベールの中で見えづらいが、この方が品が良い。初めて知ったわ。我もこういうのを作るように我が鳥に申すかの。」
維心は、眉を寄せた。
「それは良いが、翠明の話を聞かぬか。終わるではないか。」
炎嘉は、まだ話している翠明に、チラと視線をやったが言った。
「どうせ型通りよ。我らはここに座っておるのが務めであって、別に話など聞かぬで良いわ。」
分かっているけど、ちゃんと聞こうよ。
維月は、内心思って聞いていた。
向こう側の隣りの箔炎が、またかと呆れたようにこちらを見ている。
そんなことをしている間に、翠明の挨拶が終わり、向こう側の仕切り布の間から、相変わらず美しい燐が、ベールに包まれたさらに美しい綾の手を取って、歩いて来た。
その後ろには、綺麗に飾られた維織もしずしずとついて来る。
燐が、言った。
「我、鷲の宮煽の第一皇子燐の第一皇女、綾を、主に任せる。」と、綾を見た。「綾、これよりは翠明を夫とし、仕えて参るが良い。」
綾は、答えた。
「はい、お父様。」
ベールの中で高々と扇を上げていた綾が、翠明の前に進み出て扇を下ろした。
翠明は、綾の美しさに面食らったようだったが、燐から綾の手を受け取り、そうして、そのベールを下ろした。
「おお…!」
客席からは、どよめきがした。
綾は、それはそれは美しい姿で、しかもそれは幸せそうに翠明を見ていたのだ。
翠明は、あまりにも綾が美しいので狼狽えるように視線を動かしたが、その手を引いて側へと寄せた。
ざわざわと、客席では皆がそちらを見て話している。
維月は、どうせ綾があまりにも美しいので、自分が娶りたかったとか思っているのだろう。
炎嘉が、言った。
「誠に美しいのー。見ておるには退屈せずで済むような。しかし、気を付けねば欲しい王は、この中に山ほど居ろうぞ。翠明もまた、気が揉めるの。」
そんな中で、翠明は宣言した。
「我、西の島南西の宮王、翠明は、鷲の宮煽の第一皇子燐殿の第一皇女、綾を、ここに正妃と定めると宣言する。」
これで、綾は翠明の正妃となった。
壇上では、翠明が臣下から目録を受け取って、それを燐に渡したりの儀式が進行している。
結納はとっくに済ませているので、これは皆にこんなものが結納として燐に贈られたと知らせるためのものだった。
聞いていると、結構な品が鷲の宮へと贈られたようだ。
その中には、綾が好む柑橘の木々もあった。
どうやら、里帰りしてもそちらで綾が問題なく柑橘を口にできるようにという、翠明の配慮のようだった。
「…誠に…羨ましいこと。」
維月が、呟くように言う。
隣りの維心は、それを聞いて落ち着かない顔をしたが、炎嘉が言った。
「まあな。こんな風に正式に式を待って、しかも正妃として迎えるなど、昔なら多かったが今はのう。」
維月は、チラと炎嘉を見た。
「え、昔は多かったのですか?」
炎嘉は、渋い顔をして頷く。
「昔はな、宮同士の取り決めで、政略などが多かったし、お互いの皇女を正妃にすることで関係を保ったりしたのよ。今は己が気に入った妃を正妃にできるゆえ、恵まれておる。とはいえ、こういう風に迎えられるのは、皇女達の憧れであろうな。今は殊更にの。」
だから今はいきなり正妃ということがないのか。
維月は、合点がいった。だが、維心もいきなり維月を正妃にしたので、本当なら羨むこともないのだ。
ただ、式の前に先に妃になっていただけで。
「我だって、主をいきなり正妃にしたぞ。」維心は、横から割り込んだ。「順序は違うが。」
炎嘉が、眉を寄せた。
「そこが重要なのだ。こうして待つのが誠に大切に思うておると感じるらしいぞ?ま、我には分からぬ。別に正妃にしたのだから同じではないかとは思うがの。」
これが王の本音だろう。
だが、翠明の評価が神世で爆上がりしたのも事実。
翠明には、あちこちから綾との婚姻前だというのに、縁談が舞い込んで大変だったのだと聞いている。
維月は、言った。
「…何にしろ、綾様がそう扱われるのにたる素晴らしいかただということですわ。ゆえに羨ましいと申しただけですの。」
炎嘉も黙ったが、維心もじっと沈黙している。
そのまま、式は滞りなく終わり、席は宴の大広間へと移ったのだった。




