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沈黙

すぐにでも話しかけて来るのだと思っていた十六夜も碧黎も、あれから全く話しかけて来るのも無く、月へと話しかけてみても、維月の気配もなく十六夜ばかりが面倒そうに答えるだけで、全く解決の糸口は見えなかった。

維心にしてみれば、碧黎が文句の一つも言って来て、それを聞いてまた、きちんと取り決めたら、維月は帰って来るのだと思っていたのだ。

だが、維月の姿も声すら聴けないまま、もうひと月になろうとしていた。

自分が行くわけにもいかず、蒼への書状を持たせた義心をやって、内情を調べさせてみると、どうやら月の宮は、今は楽器の音があちこちで聴こえる雅な様子で、維月も十六夜と碧黎、そして天黎と共に、碧黎の対に籠って一日中、いろいろな楽器の練習をしたり、合奏をしたりと過ごしているようだった。

月の宮の楽器の種類の多さは恐らく神世一ではないかと義心は言う。

蒼に聞いてみると、人世から取り寄せた珍しい楽器も含めて、相当な数の楽器があるらしく、中には和楽器の他に、ピアノという楽器や、バイオリンという楽器など、それは多岐に渡っているのだそうだ。

維月は少しだけピアノが弾けたらしく、簡単な曲を弾いては喜んでいるのだそうだ。

このままでは、本当に百年帰って来ないかもしれない、と維心は心配になった。

臣下には里帰りだと言ってあるが、いつもならひと月ほどの里帰りが、もうふた月になろうとしているのはさすがにおかしいと思い始めているようだ。

それでも維心は、ここ数年ろくに帰っていなかったからだと説明しているが、段々無理が出て来ているのは確かだった。

そう、思えば本当にここ数年は里帰りという里帰りはしてこなかった。

帰ったと思っても、ほんの二週間ほどで戻って来るか、もっと早く戻るかなので、ゆっくりする暇などなかったのではないだろうか。

それでも維月は不満も言わず、維心もそんなものだと慣れて来て、維月が居るのが当然になっていた。

本当にこの百年で、ルーティンが変わってしまっていたのだ。

維月は月の眷属で、普通の妃とは違う。

なのに、ここのところは本当に、普通の妃として側に居て、それが当然で疑問を持つこともなかった。

維心がどうしたものかと考え込んでいると、そこに将維が入って来て頭を下げた。

「父上。戻りましたのでご挨拶に参りました。」

維心は、顔を上げた。

そして、ハッとした。

そういえば、将維はあちらに地の制御を習いに通っていたのだ。

誰より碧黎の側に居るはずなのだ。

「主、月の宮はどうであったか。」維心は、矢継ぎ早に言った。「維月は?碧黎はどうしておった。何かこちらの事を言うておったか。」

将維は、あまりに維心が必死なので驚いた顔をしたが、神妙な顔で答えた。

「は…。母上には毎日、月の眷属達と楽器の演奏をしてお過ごしであります。我も誘われて箏など弾きましたが、維黎すら良い腕で。碧黎は琵琶を母上にお教えしておりましたな。なので母上もそれなりの腕におなりで。」

あれは琵琶まで弾くのか。

維心は思いながら、言った。

「…母とは話したか。」

将維は、頷く。

「はい。また月の宮で楽の宴などして、椿殿や綾殿と合奏したいとおっしゃっておりました。」

月の宮で。

維心は、それでまだまだ維月が帰って来るつもりはない事を知った。

つまりは、まだ話し合うつもりもないのだ。

「…父上には、あちらには行かれないのですか?」将維は、案じるように言った。「母上はお楽しそうでありましたが、父上のお話も出ることはなく。何やら十六夜が、話がそこへ至るのを避けておるように見えました。我がその事を訊ねようとしたら、十六夜にはぐらかされたので。もうあれからふた月にもなりましょう。」

維心は、十六夜がまだ怒っているのだろうと思った。

確かに、自分は己の気持ちを押し付けて、あのように維月を責めたのは悪かった。だが、話し合うのが先であろうに。

「…主から、我が話したいと申しておると、碧黎に伝えてくれぬか。」維心は、眉を寄せて言った。「少し維月と行き違いがあっての。」

将維は、頷いた。

「ならばそのように。ですが父上、蒼から聞きましたが、父上はもう、落ち着いておられますか?」

将維は、知っている。

それは前世の記憶がある将維なら、この状況がおかしいと気取るだろう。

それで、十六夜にはぐらかされるので、蒼に聞いたとしてもおかしくはない。

維心は、ため息をついて頷いた。

「もう、とっくにの。分かっておるのだ、あの時は頭に血が上ってしもうて。ここのところ誠に穏やかであったから、我はそれを、維持出来たらそれで良い。」

将維は、険しい顔をして、言った。

「…それは難しいかと。」

維心は、確信的に言う将維を、軽く睨んだ。

「主に何が分かるのよ。もう責めぬから、これまで通りに過ごしてそれで良いのでは。」

将維は、首を振った。

「あのままあの日、父上が穏やかに流しておったらこの限りではありませぬが、父上は以前の取り決め通りであっても否だと不満を母上にぶつけられた。その事実は消えませぬ。母上はなぜに父上がそんなことを言い出したのか分からず困惑され、いつ激昂されるのかと怯えて暮らす事になりまする。蒼が申すに、十六夜はそんなことはさせられないという考えのようで。人世の言い方ですと、モラハラ夫の機嫌がいつ変わるのかと顔色を窺って生きるのは、不憫だということのようで。」

維心は、首を振った。

「だから我は、あの時はつい、口から出てしもうたのだ。これからはそんなことはない。」

将維は、険しい顔のまま言った。

「それを信じさせるのが難しいと申すのです。」維心が黙ると、将維は続けた。「恐らく、帰るとなってもこれまで通りとは行かぬでしょう。十六夜が夫であった以前の通り、頻繁に里帰りさせる事になるかと思います。恐らく気を遣って母上が何も言わぬので、あちらが案じて頻繁に戻そうとするはずだからです。こうなったからには、母上にとっても里が一番に安心出来る場となるでしょうし。父上がなさったのは、そういうことだということです。」

維心は、甘かった、と思った。

維月と喧嘩になることはあったが、それでもあちらが己の考えを言い返し、そうしてお互いの考えを擦り合わせて妥協して来た。

しかしあの時は、こちらが一方的に取り決めを無視して維月の心を責めた。

心など、どうしようもないことなのだ。

維心が維月を想う気持ちをどうにも出来ないように、維月にもどうしようもないだろう。

それでも、誰とも婚姻関係になってもいないのに、そうなろうともしていないのに、想うな、とは乱暴な話なのだ。

現に維月は、碧黎とはそんな仲になるつもりはないし、碧黎もそれを守っていると訴えていた。

それなのに責め続けた、あの一度であちらの信頼を失ってしまったということなのだ。

将維にそれを指摘されて、維心はやはり、これまで通りには無理なのだ、と悟った。

他ならぬ自分自身が、それを崩してしまったのだ。

「…分かった。」維心は、視線を落として言った。「とにかくは、碧黎と話す。維月は、まだ何も言うて来ぬところをみると、まだ我が怖いのだろう。主は、あちらが離縁も考えておると思うか。」

将維は、首を横にも縦にも振らなかった。

「分かりませぬ。ただ、父上が冷静になられぬことには、あちらもこちらへ戻る事は考えられぬでしょう。その先には、あり得る事やも知れませぬ。」

結局、穏やかな者が勝つ。

維心は、痛感した。

分かっていたはずだった。ここ百年ほどの、平穏な幸福に酔い、忘れてしまっていたのだ。

出ていく将維の背を見ながら、維心は自分が真実どうしたいのか、真剣に考えた。

十六夜と、維月ですら男女の仲ではなくなった。

月の眷属を妃に持つ限り、その価値観を持って、生きて行くよりないのだろうか。

そうしないと、維月と二度と会うことも叶わぬようになるのだろうか。

維心は、ならばいっそ、月の眷属として生まれたかったと、初めて思ったのだった。

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