対称的
次の日の朝、翠明は焔に、綾を娶りたい意思を伝えに、焔の控えの間へと訪れた。
綾は、昨夜は庭を散歩していたとか言って、しばらく一人で居なくなってはいたが、すぐに戻って平穏に部屋で休んで朝を迎えている。
なので、翠明が昨夜、忍んで来てどうのは、あるはずもなかった。
昨夜の宴で焔が水を向けても、乗り気でない風だった翠明なのに、急にどうしたのかと思ったが、焔にしたら翠明と落ち着いてくれるのが願ったりだったので、頷いた。
「我は良い。だが、あれは燐の子であるしな。一応、帰ってから燐に話をしておくが、主からこちらへ正式に申し入れて参る必要があるぞ。」
翠明は、頷いた。
「そのつもりよ。ただ、先に主に話しておかねばと思うたまで。帰ったら、燐殿に書状を送らせて、許可を得ようと思うておる。」
焔は、怪訝な顔をしたが、また頷いた。
「まあ…我としては良かったと思うのだがの。主は昨夜我が言うても良い顔をしなかったのに、急にどうしたのだ。」
翠明は、どう説明したものか、と思ったが、綾の記憶の事は自分からは言わずでおこうと言った。
「昨夜、庭で会っての。少し話したのだ。それで、あれなら十分に我が宮でも務められるかと思うたのでの。」
焔は、あの僅かな間に会ったのか、と驚いた顔をしたが、言った。
「ならば、そのまま連れて参って娶ってしまえば面倒もなかったのに。我だって燐だって主ならば文句は言わなんだであろう。また大層な形で婚姻まで待たねばならぬというに。」
翠明は、確かにそうなのだが、と思いながらも、言った。
「そう、急がせるような歳でもなかろうが。まだ若いのだしな。成人までまだ少しであるし、親にも話さずそんな事はしたくなかったのだ。きちんと燐殿に話して、それから結納を送って正式に迎える方が、あれにとっても良いであろうて。ゆえ、急いでおらぬから、ゆっくり準備してくれたら良い。こちらは合わせる。」
それを聞いて、焔は感心したように言った。
「主は落ち着いておるな。確かに勝手に娶って自分の妃だと上から目線で言われるよりは、そのように申し出てくれてからの方がこちらも快く送り出せると言うものぞ。ならば、宮へ帰って主からの書状を待っておる。」と、話を切り上げようとして、ふと、言った。「…綾には、会うて参るか?」
翠明は、首を振った。
「いや、綾には昨夜話したゆえ。また我が宮で会うのを、楽しみにしておるよ。」
そうして、翠明は笑って出て行った。
焔は、やはり歳を経た王の方が、娘を嫁がせるなら良いのだなと、つくづく思っていた。
翠明にしてみたら、とっくに娶っていた綾であるし、失ってこのかた長く離れていたのもあるので、今更輿入れまでが待てないとか、ないからであったのだが、焔は何を知らないので、そう思って翠明を見送ったのだった。
それとは対称的に、維心はずしんと落ち込んだまま、一睡もせずに朝を迎えていた。
朝になって、さすがに誰か訪ねて来たらまずいと思い、何とか着物は着替えたのだが、維月が本当に百年も戻らなかったらどうしようと、そればかりが胸をついて、どうしようもない。
するとそこへ、侍女が入って来て頭を下げた。
「龍王様。王と、炎嘉様がお越しでありまする。」
維心は、蒼と炎嘉が来た、と顔を上げた。
「こちらへ。」
侍女は頭を下げて、出て行った。
すると、すぐに扉が開いて、すぐ前で待っていたらしい、蒼と炎嘉が笑い合いながら入って来た。
「おお維心、蒼とそこで行き会っての。」と、維心が何やら思い詰めたような顔をしているので、驚いて言った。「…どうした?そういえば、維月はどこぞ。」
維心がこうなる原因は、大抵維月なので、炎嘉が維月を探してキョロキョロとする。
蒼は、炎嘉の隣りで言った。
「炎嘉様、月に気配が。恐らく維月は月に居ます。」
月へ帰っているのか。
炎嘉は、顔をしかめて維心を見た。
「主、また何かやったか。」と、何かに思い当たったようで、ハッと言った。「もしや、碧黎の事を何か言うたのではないだろうの。言うたよな、気を付けよと。」
維心は、言い訳がましく言った。
「気になって仕方がなかったのだ。ゆえ、どういう心地が知りとうて…つい。」
帰ったということは、怒ったのだろう。
蒼と炎嘉は困った顔で視線を合わせて、維心の前へと座った。
「そこはもう、素直に謝るのだ。だから言うたではないか、自信を持たぬか。一度それで揉めて、やっと平穏にやっておったのに。維月の怒りも、主が誠心誠意謝れば溶けるだろうて。」
維心は、首を振った。
「別に維月は怒ってはいないのだ。ただ、強く言い過ぎて怯えたような気を発しておって。十六夜が気取って、維月を引き揚げてしもうた。百年ぐらい離れたら、維月も落ち着くし、碧黎の心地も分かろうと。我は…そんなつもりはなくて。誠に百年降りてこなんだらどうしようかと、今思うておったところなのだ。」
十六夜が引き揚げたのか。
蒼は、だったら、維月も嫌ならすぐに戻ったはずが、今も戻っていないことから何かしら困っているということだろうと思った。
炎嘉は、言った。
「百年か。そういえば、落ち着いたとか言うておったのがその辺りからであるものな。しかし困ったの…月の眷属は皆、気が長いゆえ。確かに百年ぐらい、降りて来ない事もあり得るしな。」
蒼は、慌てて言った。
「いえ、十六夜はともかく維月はじっとしていられないし、絶対降りて来ますよ。ただ、今の状態なら龍の宮ではなく、月の宮にだろうけど。」
維心は、頷いて頭を抱えた。
「分かっておる。十六夜が時々会いに来ればいいとか言うておったから、百年とはいえ会わせないわけではないのだ。だが、あちらとこちらで離れて暮らすなど…我には、耐えられぬ。確かに我が、もう解決しておることをごちゃごちゃ申して悪かった。碧黎は約束を違えぬし、案じても仕方がないのに。」
炎嘉は、ため息をついた。
「分かっておるなら良い。だが、面倒なことに。執着していても、それを表に出してあからさまに縛り付けるような事を言うてはならぬのよ。逆に遠ざけると、学んだはずではなかったのか。あれは義心のように、維月のためを思うて己を抑えておる様に心を寄せて、無視出来ぬ気性。主のように己の権利を振りかざして、まだ起こってもおらぬ事に嫉妬して責める男は遠ざけようが。主はそのままで愛されておったのに…我だって、長く共に居て知っておる。愚かな事をしたの。」
維心は、項垂れて黙り込んだ。分かっていたのに、どうしていつも、自分の不安を維月にぶつけてしまうのだろう。
維月は維心だけを夫と愛してくれて、十六夜がそうでなくなっても側に居てくれた。
十六夜は兄、碧黎は父と分けて…。
天黎達が来て知ったはずなのだ。やはりあの眷属達は、愛情をわざわざ区分けしたりしないということを。
だからこそ、友であろうと兄弟であろうと夫婦であろうと、全て愛情と感じることも。
その中のどれであっても、相手が自分に感じているのならそれで良いのだ。
蒼が、庇うように言った。
「オレ達と神は違うので。オレはもちろん、人だったので皆と感覚は違うんですけど、みんな愛情の認識が違うんですよ。維心様が不安に思われるのも分かるんです。維月も理解してると思うんですけど…多分、怯えていたというのなら、困って帰ったんだと思います。維心様がどう反応なさるのか、予測が付かなくて怖くなったんだと思うから。」
炎嘉は、頷いた。
「恐らくはの。感情を抑える術を身に付けた方が良いな。初心に帰って維月を怯えさせたりせぬように、心掛けるしかない。とりあえず、今日のところは帰るのだ、維心。月に居るならどこに居ても話は出来る。あちらが話す気になれば、あちらから話し掛けて参ろうし。主が落ち着くのを、待っておるのかも知れぬから。」
維心は、それしかないか、と顔を上げた。
「…分かった。気強くしても、あれは怯えるばかりだろう。今は、宮へ帰る。」
蒼は、何度も頷いて言った。
「大丈夫ですよ、オレも話をするように説得しますから。維心様は心を落ち着けて、宮でお待ちください。」
維心は頷いて、炎嘉に気遣われながら、そこを出て出発口へ向かった。
蒼は、何回夫婦喧嘩をしたら気が済むんだろうと、内心疲れていたのだった。




