本当の休日
王達は、蒼がまだ寝ているのはいつものことだったので、全く気にする様子もなく広間に集まって茶を飲んでいた。
妃達は維月に誘われて南の応接間に行っているので、ここには王だけしか居ない。
その方が、気にせず話ができるので、楽だなと皆が思っていた。
焔が、言った。
「やっぱりなあ、遊ぶからには女が居ると気になってしようがないわ。おかしな話もできぬしの。昨日の罪神の処刑の話にしても、燈子と玉貴は気を失いそうになっておったではないか。男だけならあんな事は無いしの。」
維心が、苦笑した。
「まあ、妃にもよるのだ。維月などは驚いてはいたがそこまでではないし、綾も椿も桜もであったか?芯がしっかりした妃も居るのだ。」
炎嘉が言う。
「焔が言うのはそういう事ではないのよ。下世話な話もあろうが、夜の褥の話であるとか。そんなものができぬと気を遣わねばならぬと申しておるのだ。確かに、こうして我らだけの方が、遊びに来たという気がしてホッとするもの。少々おかしなことを言うても噂にならぬだろう。月の宮の侍女は呼ばねば来ぬし、始終側で話を聞かれておるわけでもないしの。」
下世話な話などしても面白いのか。
維心は思ったが、何も言わなかった。
焔が、頷いた。
「そうよ、男同士の話がしたいということぞ!気を遣うのは面倒ぞ。せっかく今年はこうして月の宮に来ておるのにの。」
箔炎は、苦笑した。
「まあ、ならば良いではないか。椿もあまり遅くまではと昨夜言うておったし、あれらは先に帰そうぞ。公式の宴ならあれらを長く宴の席に置く事は無いのに、昨日は誰も咎めぬしずっと置いておったろう?よい時間で戻そう。それで良いの?」
皆に確認するように言うと、公明も翠明も樹伊も高湊も頷く。
なので、維心も仕方なく頷いた。
「それで良い。維月も早う寝たかったであろうし。」
駿が、言った。
「それは良いとして昨夜の事ぞ。うちの侍女が言うておったが、窃盗の罪で処刑されたと月の宮の臣下達は驚いていたそうな。実際は宮に入る事を許されておらぬ輩らしいと訂正しておいたが、この宮では珍しい厳罰に戦慄が走っておったらしい。」
それには、翠明が頷いた。
「まあのう、蒼にしては珍しいと思われようが。常は追放で済ませるらしいから。だがの、うちの勝己が言うておったが、追放処分というのは生殺しらしい。」
勝己とは、翠明の今の筆頭軍神だ。
志心が、眉を上げた。
「生殺し?」
翠明は、頷いた。
「そう。一度中で楽を覚えた神が、罪を犯して外へと出されるのよ。戻りたいと結界外に居座るが、それはここの当初から変わらぬ決まりで二度と入れぬことになっておる。もちろん、諦めて去るヤツも居るらしいが、ほとんどが外にずっと居座り、そのうちに身に付けておる着物をはぐれの神に狙われて、身ぐるみ剥がされて殺されるらしい。そんな神を、月の宮の軍神達は拾っては塚に埋める。中には、己の家族が罪を犯してそうなっておる軍神も居るらしく、キツい仕事のようよ。ここは家族は真面目であれば罰せられる事は無いが、逆にああして外に放り出される方が、罪神にも家族にも苦しいものだなと。つまりは、それならいっそ殺してしもうた方が良いのではというのが、外から見ている軍神達の考えぞ。何しろ、そんな神が出て来るのを知っていて、時々に誰か居ないかと見回りに来るはぐれの神も居るらしいからの。」
ならば蒼は、殺してはいないが殺しているのと一緒だ。
皆は、そう思いながらそれを聞いていた。
そうなるのが分かっていて放り出すように命じるのだから、直接に手を下さなくても、外からそう思われていてもおかしくはない。
炎嘉は、言った。
「…蒼は、殺せぬヤツだから。その方が惨い罰だと分からぬから、そうするのだろう。それを聞いたら、高瑞があっさりとその虐待女を殺してしもうたのはぬるいと思うの。だったら放り出して苦しむ様を見る方が良かったであろうに。」
維心は、言った。
「高瑞は、己の軍神の奈津の息子に目を掛けておるからの。その奈河という軍神の、妻であったらしいし、長く生き残っておっては奈河が苦しむと考えたのやもしれぬ。恥と考えるであろうからの。良かったのではないか?もう終わったことぞ。」
維心自身、高瑞がどんな想いを胸に持ってああして嬲り殺したのかは知っていたが、ここでは言わなかった。
殺された八重が、その高瑞のトラウマの原因になった女の、姪であることも。
それを言ったところで、現状は何も変わらないからだ。
炎嘉も知っていたが、その事については何も言及しなかった。
「ま、良い。そんな事はもう、維心が言うように終わったことぞ。せっかく面倒から逃れられておる正月なのだぞ?酒は抜けたし、何かせぬか。維心、昨日習った曲を主なら一人で弾けるか?」
維心は、ため息をついて首を振った。
「無理ぞ。我一人では単調に聴こえてしもうてどうにも上手く行かぬ。主らとパートを分けて弾くのが良いわ。あんなに難しい曲は初めてよ。まさかこの我が、これほどに手こずるとはの。」
焔が、ハッハと笑った。
「主ですらそうか。励める方向が決まって良かったではないか。主がとり澄ましているのが腹が立ったが、誠になあ。共に演奏できるように励もうぞ。」
昨日から、置いたままになっている琴が、布を掛けられて目の前の畳に並んでいる。
王達は、皆で畳の方へと移って、それぞれが更に琴を持って来てもらい、昨夜教わった曲をまた、お互いに教え合いながら練習を始めたのだった。
妃達はというと、畳敷きの応接間でゆったりと座って、王がお忙しい時に香合わせでもと伝えてあったので、皆、各々の宮から練り香を持ち寄って、自分の前に自分の香壺を並べていた。
維月も宮の奥にある沈香と甲香を混ぜて、蜜で練り上げて合わせて来たのだが、何も知らないので、それは維心に教わった。
ちなみに維月が毎日使っている香は、昔から龍の宮の奥にある秘伝の香であるらしかった。
問題なく維月は毎日自分の着物に焚き染めていたのだが、それは全部維心が合わせた香だったらしく、初めて聞いた維月はびっくりした。
維心が、そんな事をしていたとは思わなかったからだ。
維月には、自分が良いと思う香りを纏って欲しいと維心が秘伝の香を引っ張り出して来て、娶った時から維月が留守の時に、寂しい気持ちを紛らわせるために、せっせと奥で調合し作り貯めていたそうだ。
そんなわけで、維月の香りは龍の宮の秘伝の香で、維心の愛する香りであった。
ちなみに、教わって混ぜたはずなのに、維月が作ると調合が少し変わるのか、別の香りになるから不思議だ。
維心は、それもまた良いと褒めてくれていた。
綾が、わくわくと言った。
「香合わせなど久方ぶりですわ。こうして見るとどれも見事なこと。どちら様も、どうぞ端から試してみてご覧になってくださいませ。」
維月は、まずは自分だと隣りの綾の香壺に手を伸ばした。
「では、我から。」と、香壺を引き寄せて、袖で包むようにしてその匂いを吸い込んだ。「まあ…慎ましいのに華やかで、まるで夏の花畑を見るような。綾様のお気質でしょうか。」
綾は、顔を赤くして答えた。
「ま、まあ…恥ずかしいですわ。」と、照れ隠しなのか急いで維月の香壺を引き寄せた。「では、我も失礼を。」
そうして、維月と同じように香壺に袖を回して、ゆっくりと扇ぐような仕草をした。
そして、目を丸くした。
「まあ…!白檀が混じっておるようで…でも、何か他の香りもあって、なんと艶やかな香り。身が熱くなるような。」
維心様もそう言った。
維月は、思いながら苦笑した。
「我は陰の月でありますし。どうしても、なんと申しますか、艶のある感じになってしまうようですわ。でも、我が焚き染めておるのは王が調合された香で。龍の宮の王族に伝わる物の中で、王が好まれるものらしいですの。」
綾は、維月の香壺を隣りの椿へと回しながら、頷いた。
「初めてお会いしました時からとても凛とした、それでいて優しい愛情を感じるような甘さもある良い香りであるなと思うておりました。まあ、龍王様が御自ら調合を。」
維月は、椿の香壺も手元に引き寄せて、頷いた。
「はい。翠明様にはいかがですか?合わせたりなさいますの?」
綾は、首を振った。
「いえ、王は此度ご連絡を受けて我が香を合わせたいと言うたら、そんな道具はあったかと仰って。遠い昔に公明様の御父君、公青様に一度教わったきりだとかで。慌てて父が持たせてくれた嫁入りの道具の中を探したら、ありましたのでホッとしましたの。」
ならば前世は綾は、少なくとも嫁いでからは香を合わせていなかったのだ。
そんな風に話をしながら、一通り試してみた結果、あまりに皆がそれぞれ違う形で良い香りなので、一番など決められなかった。
それぞれの土地にある、秘伝の材料などを入れてあるので、皆違った趣になるのだ。
綾は、ふと言った。
「…そういえば、燐様をお見掛けしませんわね。」維月は、言った。「こちらにいらっしゃるのに。」
そうだ、維織も見ていない。
すると、安奈が言った。
「あの…せっかくの正月に水を差したくないとのことで。」安奈は、少し困ったように言った。「焔様とは、三日目の朝に話すとか。」
そうだった、そもそも燐は焔と仲違いしてここに居るのだった。
維月は、合点がいった。
燐は、元旦からもし、言い争いにでもなって皆がしらけてしまったらと気遣って、三日目に出て来る事にしているのだ。
だから、テーブルにまだ余裕があったのだろう。
綾が、言った。
「お父様には、回りにお気遣いばかりのかたで。我も気になっておりましたのに…口を出す事でもないかと思うて。」
維月は、言った。
「…燐様には正月のご挨拶もまだできておりませぬ。維織も居ることですし、ご挨拶に伺おうかしら。」
皆が、驚いた顔をする。
龍王妃が、自分から訪ねるのは地位からいってあり得ないのだ。
維月は、思わず言ってしまったと慌てて続けた。
「あの、維織は我と十六夜の子であるので。ここは月の宮でありますし、地位がどうのとうるそうないですわ。」
綾は、それでも言った。
「ですが、皆様がお揃いでありますし。ならば我から父に申しましょうか。我も父にも母にも会いたいですし…。」
維月は、息をついた。
「とりあえず、燐様には先触れを。」と、後ろに控える維月の侍女の、千秋に頷き掛けた。千秋は、頭を下げて下がって行く。維月は続けた。「やはり一度お伺いするとご連絡を入れてみますわ。王達も戯れていらっしゃるようですし、こちらの事は気になさらないでしょう。」
言われてみたら、琴の音が聴こえる。
それでも、皆はソワソワとした。維月がわざわざ会いに出かけたと、龍王に知られた時の事を考えると、恐ろしいからだ。
燈子などは、自分が怒られた時の事を思い出すのか、青い顔をしていた。
そこへ、千秋が戻って来て、頭を下げた。
「王妃様。燐様はそれならばこちらからお訪ねすると申されて。維織様と共にこちらへ来られるそうです。」
目に見えて、皆がホッと胸を撫で下すのが見えた。
維月は、内心苦笑しながらも、頷いた。
「分かったわ。では、お待ちしましょう。」
そうして、また侍女達に命じて茶を飲みながら香の話などをして二人を待つことにした。




