二日目
奈河が出勤すると、皆何事も無かったように整列して将からの指示を待っていた。
奈河も己の隊へと合流してその列に並ぶと、前に並んでいた修が、わざわざ振り返って小声で言った。
「奈河、気持ちは分かるぞ。我も同じ。我の妻は侍女で、安奈様の頚連を盗んで参って捕まった。我が見付けて通報したのだ。」
奈河は、そこまでは基憲に聞いていなかったので、驚いた顔をした。
「え、主が通報したのか?」
修は、頷く。
「まるで戦利品でも見せるように我に自慢して参ったからの。全く悪いと思うておらぬと、すぐに嘉韻殿に報告した。そして、追放になった。あれが少しでも後悔していたなら、我も共に謝っても良かったのに、あの心根ではダメだと思うたのだ。王に助けて頂いたのに、何の感謝もしておらぬ。あれではご迷惑をお掛けするから。ゆえ、子は治癒の対に預けておるのだ。まだ赤子でな。」
確かに、それなら奈河も同じことをしただろう。
王に、ご迷惑をお掛けしたくないからだ。
「ならば…しばらく結界外で。」
修は、頷く。
「生きておった。助けて欲しいと何度も懇願されたが、我は無視し続けた。そのうちに、丸裸になって殺されて見付かった。恐らく、はぐれの神の誰かが来て身ぐるみ剥いで殺して行ったのだろう。なので、我が塚に埋めて参ったよ。誠に虚しい限りぞ。」
奈河は、追放より処刑の方がマシだと言った、基憲の言葉が身につまされた。
家族が罪を犯しただけでも相当につらいことなのに、それが相手が生きている限りずっと続くのだ。
もちろん中には、ここを離れてまた、はぐれの神の集落へ行って生きている者も居るだろう。
だが、恵まれた生活をしてからまたそんな所へ放り出されるのは、耐えられない神の方が多いのではないか。
なので大半は、中へ入れてくれと結界外に居続けて、そうして死んで行くのだ。
「…我は、まだマシであったのやも知れぬの。」
奈河が言うと、修は何度も頷いた。
「その通りよ。どんな凄惨な最後だったとしても、長引くよりはずっと良いぞ。ゆえ、主も気にせずにおれ。ここには、そんな神が多いのだ。」
奈河は、頷いた。
こんな想いをしているのは、自分だけではない。
確かに八重の罪は他より重いが、自分は真面目に王にお仕えするのみだ。
李心がやって来て、前に立った。
全員が膝をついて頭を下げる。
奈河もその中で頭を下げながら、決意を新たにしていた。
今日は一月二日だ。
蒼は日が高くなってから目が覚めて、水道で顔を洗うと侍女に助けられながら着物を着替えた。
蒼の侍女が、言った。
「王。ただ今広間には維心様、炎嘉様、焔様、志心様、駿様、公明様、翠明様、樹伊様、高湊様がいらしておられ、朝の茶と茶菓子をお出ししております。」
全員じゃないか!
蒼は、慌てた。
あの時間に寝て、みんな起きるのが早すぎる。
そこで、ふと思った。
王妃達が居ないのだ。
「あれ?妃達は?」
侍女は答えた。
「はい、朝は女だけで茶会でもと維月様がおっしゃって。皆様南の応接間に居られます。」
まあ、いつも一緒じゃ疲れるもんな。
蒼は、合点がいった。
でも、じゃあ安奈は?
「じゃあ安奈は?」
侍女は、蒼の寝巻きを畳みながら答えた。
「はい、王に茶会に出て参るとお伝えするように言付かっておりまする。」
では、先に起きて出て行ったのだ。
ということは、すっかり回復したのだろう。
安堵した蒼は、立ち上がった。
「じゃあ、オレも広間に出るかな。主らもゆっくりするといい。あ、先に治癒の対の様子を見てから行く事にするよ。」
侍女は、微笑んで頭を下げた。
「はい。恙無くお出ましくださいませ。」
蒼は頷いて、宮の中を治癒の対目指して歩き出したのだった。
治癒の対では、松が比呂の介抱をしながら居た。
比呂は目を覚ましたが、何があったとそれとなく聞いても、回廊で具合が悪くなって、それから何も覚えていないと答えるだけだった。
いったい、あの女は何をしていたのだろう。
松は気になったが、ここに居る誰もが何も知らなかった。
そこで、奈々が軍神からいろいろ聞いて来た。
八重は宮に侵入した上、あの物置から物を盗もうとしていたということらしい。
それだけでは飽き足らず、比呂の着物まで盗んで行こうとしていたので、その場で高瑞様に処刑されたということだった。
確かに、比呂の着物は良い物に変えられていて、それはあの時演奏を聞きに行くからだったが、それが裏目に出てしまったようだった。
比呂の袴の紐は解かれていたし、着物もはだけていた。
身ぐるみ剥がされそうになった、比呂の恐怖を高瑞は取ってくれたのだろう。
松は、今は落ち着いて茶を飲んでいる、比呂の頭を撫でながら二度と目を離さぬでおこうと心に決めていた。
奈々に聞いて知ったことだが、ここではよくあることのようだった。
とはいえ、こんな強盗のような事は滅多に無いが、たまに宮の物を盗んで捕まり、追放になる神も多いのだと聞く。
松は、ため息をついた。
やはりはぐれの神で育つとなかなかに慣れないものなのかも知れない…。
それでも、一生懸命頑張っている者達だって居るのだ。
ここで働く何人かも、そうだった。
松がそんなことを考えながら比呂の側に座っていると、治癒の神達が慌てたような気を発した。
何事かと振り返ると、蒼が何の前触れもなく、そこに歩いて入って来ているところだった。
松も慌てて立ち上がって深々と頭を下げると、蒼は言った。
「良い、そのままで。」と、傍に立って頭を下げている、奈々と麻実を見た。「子達は皆無事か。」
奈々が、答えた。
「はい、気を失っていた者も、どこも具合が悪い事も無く、ただ眠っていただけでありましたので。皆、本日は元気にしております。なので、迎えに来た親に既に連れて帰られた者もおりまする。」
蒼は、頷いた。
「そうか、良かった。地の本気の演奏など、滅多に無い事なので、これからはこんなことはないゆえな。それに、地の気を受けただけなので、良いことはあっても悪い事にはならぬ。案じるでない。」と、松を見た。「ところで松。比呂は、災難であったな。賊が入っておるのに行き会うなど。嘉韻ももっと警備を厳しくしておれば良かったと申しておった。」
松は、顔を上げた。
「とんでもない事でございます。これらが抜け出しておったのが悪いのと、あのような非常の時でありましたし、軍神達も倒れたりしておりましたので。誰が悪いというのではないと思うておりまする。」
蒼は、また頷いた。
「確かにの。悪いの賊ぞ。とはいえ、賊は罰したしもうこの世には居らぬ。忘れて日常に戻るが良い。」
松は、また頭を下げた。
「はい。お気遣いありがとうございます。」
蒼は、比呂を見た。
「比呂、具合はどうよ?」
比呂は、小さい体で品よく頭を下げた。
「はい。我は何も覚えておらぬで…回廊で具合が悪うなって、そこで意識が途切れたようでありまする。気が付いたらここでありました。今は何ともありませぬ。」
蒼は、微笑んだ。
「それなら良かった。主も母と屋敷に戻ってゆっくりするが良い。」蒼は、それだけ言うと、踵を返した。「では、オレは客を待たせておるから。主らの様子を見たかっただけなのだ。ではの。」
蒼は、来たばかりだったが、そう言ってそこを出て行った。
松は、王があのようにこんな所にまで自ら降りて来て、わざわざ臣下の様子を確かめに来るなど、自分の父の渡でもしている所を見たことがなかった。
どれほどに蒼が臣下を思いやる王なのかと、だからこそはぐれの神すら受け入れて、一生懸命皆を助けてやろうとしてくれるのだと、心から感謝してその背に頭を下げたのだった。




