起こったこと
蒼は、杏奈を侍女達に任せて、自分は客を放って置くわけにも行かないので、広間へと戻っていた。
十六夜が前の畳に座って琴を弾いていたらしく、皆が手を叩いて喜んでいる。
十六夜は、それでも面倒そうな顔をしていた。
「オレばっかでなくお前らもやれよー。そうだ維月、一緒に弾くか?」
維月は、確かに、と頷いた。
「そうね。月の陰陽で合奏って皆様に聴かせたことがありませんもの。」
炎嘉が、嬉しそうに言った。
「おお、おお、良いな。聴きたいぞ。」と、帰って来た蒼に気付いた。「お。もう大丈夫か。」
蒼は、維月の隣りに収まりながら、頷く。
「はい。元々碧黎様の気に当てられたら良いことはあっても悪い事は無いので。侍女に任せて来ました。それより、十六夜がずっと弾いてたんですか?」
それには、十六夜が畳から答えた。
「そうだぞ。親父が作曲した奴を聴きたいとか言って、親父は別に弾いてやるが良いとか言ってどっか行っちまうし、仕方なく弾いてたんだ。今から維月と何か弾こうかなって言ってたとこ。」
侍女達が、琴と几帳を畳の上に更に乗せる。
維月は、腰を浮かせた。
「じゃあ、弾こうかしら。よろしいでしょうか、維心様?」
維心は、微笑んで頷いた。
「主らが合奏するのは聞いたことが無いゆえ。楽しみぞ。」
維月が頷いて移動しようとした時、嘉翔が慌てたように入って来て、蒼に膝をついた。
「王。急ぎご報告しなければならない事が。」
蒼は、嘉翔を振り返った。
「どうした?そういえば主は大丈夫だったか。嘉韻でも顔が赤かったのだが。」
嘉翔は、頷いた。
「我は感動で涙は出て参りましたが、支障ありませんでした。」
嘉翔は、嘉韻と維月の間の子なので、恐らく月の命がそうさせるのだろう。
蒼は、頷く。
「それで、何かあったのか。」
嘉翔は、頷いて声を落とした。
「その…事件がありまして。高瑞様が、女神を一人処刑されました。」
蒼も驚いたが、他の王達も妃も驚いて目を丸くした。
「え…処刑?!オレの臣下を?!」
嘉翔は、皆が聞いているのでどこまで話して良いものかと困った顔をしたが、蒼は続けた。
「良い、何を言うても良い間柄であるから。何があったのだ。」
嘉翔は、神妙な顔をしながら、淡々と答えた。
「は。実は、こちらの側に来ていた子達のうち、二人が行方不明でありまして。それが、比呂と浬の二人でした。どうやら、抜け出したものの演奏で具合が悪くなり、その際に八重という女神に行き会って、比呂という子を預けて、浬が治癒の対へと助けを呼びに参っておりました。その間に、八重と比呂は忽然と姿を消しておって。我らも探そうとしておる所に、高瑞様が来られました。」
蒼は、嫌な予感にどんどんと眉が寄って行く。
他の王も、何となく分かるのか険しい顔になった。
「…八重は宮に入ることは許していない。役目についていないから。」
嘉翔は、頷いた。
「はい。それは他の女神も申しておりました。なので、軍神に外へ出されて具合が悪い比呂はコロシアムへ運ばれたのではと最初思いました。ですが、母の松が案じて探してそこに居たので、高瑞様がその気を読んで、その場で探されました。」
高瑞ならそれができる。
皆は、そう思って聞いていた。
そういう能力は気の大きさによることが多いのだが、高瑞の気の大きさなら広範囲を調べることができるので、あちこち気を探って探すのなどお手の物だろう。
ちなみに維心は、もっと広域を探すことができるので、近くに寄らなくてもどこまで探れるのかは、本当にその気の大きさに準じていた。
だが、普通なら王が子一人を探すような事はしないので、その比呂という子はラッキーだっただろう。
「じゃあ、すぐに見つかったんだな。」
嘉翔は頷いた。
「はい。すぐ背後の、物置の中で。」
蒼は、息を飲んだ。
物置の中。
「…では…八重は。」
嘉翔は、答えた。
「は。高瑞様が踏み込んだ時には比呂に覆い被さっておるところで、高瑞様は激昂されて気で締め付けて宙に。その隙に我は比呂を保護しました。高瑞様がおひとが変わったようなご様子で…王のご許可が要ると申しましたが、我ではお留めすることができず。高瑞様は、熱を放って八重を処刑されました。肉片しか残っておりませぬで、只今部下達に片付けさせておりまする。」
全員が、今あれほどに楽し気にしていたのに、重苦しい気を纏って黙っている。
蒼は、言った。
「それは…確かに、その…虐待しておったのか。」
嘉翔は、頷いた。
「は。我がこの目で確認しておりますので。」
血は争えないのか。
いや、むしろ前ならば、叔母が何かをやって宮を追放されている事実を知っているので、少しは抑制できたのかもしれない。
だが、今は何も覚えていないし、ブレーキを掛けるものが何もなかったのではないだろうか。
高瑞が、それと知らずに己の敵の姪を、その手に掛けてしまうことになってしまうとは、思いもしなかった。
蒼は、息をついた。
「…仕方がない。高瑞は北の対へ戻ったのだろう。また、正月が終わったら話を聞くと伝えておいてくれ。」
見ると、さっきまでそこに居たはずの天媛は、いつの間にか居なかった。
恐らくは、何かを気取ってここから消えて行ったのだろう。
「…天媛様は、先ほど高瑞様をお留めしようとしておりました。」維月が、小声で維心に言った。「もしや、見えておったのでは…。」
維心は、小さく頷いた。
恐らくは、天媛にはこれから起こることが見えていたのかもしれない。だからこそ、高瑞を止めようとして、それが叶わないと見て、心配そうな顔をして見送っていた。
嘉翔は、蒼からの命を受けて、頭を下げた。
「は!」
だが、嘉翔が戻ろうと戸口へ向かうと、そこで高瑞が来るのと行き会った。
嘉翔が驚いて道を開けると、蒼が高瑞に気付いて、言った。
「高瑞!あの、ええっと、北の対へ行くか?」
だが、高瑞は首を振った。
「いいや。主に先に謝らねばとならぬと参った。嘉翔から報告は受けたのだな。」
蒼は、頷いた。
「聞いた。でも、ここでなくてもいいぞ。」
高瑞は、首を振った。
「良い。主に詫びを言わねばならぬ。我は、主に確認を取らずでその場で己の判断で犯罪者を処刑した。主の宮の中で主の臣下であるのに、追放されても仕方がないと思うておる。」
蒼は、慌てて首を振った。
「高瑞を追放になんかできないよ!それに…それは、妥当な判断だったと思う。オレなら、どうしようとまたうじうじ考えてしまったんだと思うんだ。でも、高瑞が代わりに手を下してくれたから。でも、八重は奈河の妻だったんだ。子供が居るんだけど…どうする?追放したいと思うか?」
高瑞は、それには首を振った。
「いいや。あれらには一切罪はないから。我は…どういう事か、一つの命を奪ったというのに、その瞬間に幼い頃の己まで救った心地になっての。」と、高瑞は、本当にスッキリしたような顔をして、遠くへと目をやった。「心の中の、いろいろなものが洗い流されるようだった。被害にあった子の、記憶は消して来た。二度と、あのような思いをして育つ命が無いように。」
蒼は、頷いた。高瑞の心の中に、いつもあった何かが消滅しているのを感じるのだ。
もしかしたら、高瑞は比呂を助けることで、幼い自分を助け出したのかもしれない。
蒼は、おずおずと言った。
「それで…あの、処刑ってひと思いに?」
高瑞は、首を振った。
「いいや。体液を沸騰させて爆破した。ゆっくりの。案じずとも、膜を張ったのであちこち飛び散ってはおらぬ。」
それを聞いて他の王達が、その様を想像したのかウゲ、という顔をした。
綾は険しい顔をしながらも大丈夫なようだったが、燈子と玉貴が気を失いそうな顔になっている。
炎嘉が、言った。
「ま、良い良い。もう終わった事であるし、そんな鬼畜なヤツが悪いのだから。それより、維月と十六夜の合奏が聴けるのだろう?正月であるぞ、そんな事は忘れて楽を楽しもうぞ。」
高瑞は、苦笑した。
「我は、天媛が部屋で待っておるし出直して参るわ。」と、蒼を見て微笑んだ。「蒼。すまなんだの。」
蒼は頷いて、出て行く高瑞を見送った。
そして、これは奈河に話を聞いておかなければならないと、やっぱり皆の世話を十六夜に任せて、蒼は嘉韻を探してコロシアムの方へと向かったのだった。




