憂さ晴らし
根本的には何も解決しないまま、龍の宮ではとりあえず順調に回っていた。
維心に懸念がある事は確かだが、今はまだ抑えきれないほどの感情に苛まれる事もない。
それでも、内包する懸念があるので、自然表情が硬くなり、龍の宮はピリピリしていた。
維月は、そんな維心を真側で見ていたが、維心は表面上は普通だった。
ただ、死ぬ前までは毎晩求めて来ていた体の関係も、最近の維心はそうでもなく、せいぜい七日に一度あるかないかという感じになっていた。
恐らくは、赤子の感情であるので、そこまで性欲が強くはないらしかった。
それはそれで楽だったので維月は良かったのだが、維心はそれで憂さを発散させていたきらいがあるので、今の維心の厳しい様は、どうやら溜まりに溜まったストレスのせいのように維月は思っていた。
何か催しがあっても良いのかもしれない、と維月は思っていた。
とはいえもう年末なので、もうすぐ正月があり、その後節分と今は忙しい最中だ。
催しを開くとしても3月ぐらいになりそうだし、本来は無い物を開くとなると臣下の負担もあった。
何しろ龍の宮の催し物は多い。
3月に何か開いて、4月はまた花見がある。
それは内輪で開けるのでなんとかなるが、会合も合わせると確かに宮にとってとても負担が大きかった。
財政は心配無いのだが、働く臣下達の休みが取れなくなるからだ。
侍女達や侍従達は、ずっと宮に詰めて輪番制で働いているので、時々里帰りのために長い休みをまとめて与える必要があり、全員の分を確保できなくなるのだ。
維月は、ため息をついた。
このままでは、維心が爆発しそうな気がする。
どうしたものかと、今日も維心が政務に出て行って、一人居間で座っていた維月は、大きな窓から空を見上げた。
「十六夜。月の宮はどう?」
すると、十六夜がすぐに答えた。
《別に平穏だ。毎日おんなじ事の繰り返し。受け入れたはぐれの神達も落ち着いて来てるし、オレが進めてる子供の保護も、なんとなく形になって来たぞ。裕馬がいろいろ考えてくれて、保育園が学校に併設されることになったんでぇ。そこで務める女神も、侍女が余ってたから確保できたし上手く行きそうな感じ。》
あっちはあっちで充実した毎日なのだと維月はそれを聞いて思った。
「維心様が心配だから、里帰りもできないでしょう。お父様はあれからどう?怒って帰られて、心配していたの。」
十六夜は答えた。
《そっちは蒼が話してたよ。親父は見てて知ってたみたいで、別にもう怒ってない。だから帰って来たんだと思うんだけどな。》
維月は、だったら、と思いきって言ってみた。
「あのね、お父様のお琴なんだけど。あの、維心様はストレス貯めてらして、このままじゃまずいなあと思っていてね。何か気晴らしでもと思っているんだけど、ここの催しは多くて更に差し入れるのは難しいのよ。だから、そっちでお父様の琴を聴かせて戴く、催しを開けないかなって。物資はこっちからいくらでも送るわ。だから、どうかなと思うんだけど。」
十六夜は、うーんと唸った。
《どうだろうなあ、親父次第かな。催し自体は大丈夫だろうよ、こっちも最近じゃ財政も安定してるし、少々のことはいけるのはオレも知ってるからな。でも、問題の親父が弾くって言わなきゃ無理だろ?あの時弾いてやるって言ってたから、それは蒼も聞いてるし、問題無いとは思うけどよ。》
維月は、頷いた。
「うん、そうよね。お父様は約束したことを守る方だから。きっと大丈夫だと思う。私から頼んでみるわ。そしたら蒼も、開いてくれるよね?」
十六夜は、それには頷いたようだった。
《ああ、それは大丈夫だろう。別にこっちに面倒は起こってないしな。じゃあ、一応蒼には話しとくよ。お前も親父によろしくな。》
維月は頷いた。
「分かった。そっちもよろしくね。」
維月は、ホッとして宙に向かって声を上げた。
「お父様!こちらにいらして!」
碧黎は、その頃ぶらぶらと大氣を訪ねて話していた。
大氣は友なので、何かあったらいつも話しに行くのだが、今回も維心の事があった時、面倒なのだと話しに行って、憂さを晴らしたりしていた。
今は、もう維心の状態を理解しているので、子供相手に憤っても仕方ないと、特に怒ってもいなかった。
なので、今回は暇だったから訪ねただけだったのだ。
大氣は、言った。
「まあなあ、神世は落ち着いておるとはいえ、維心が案じられらるよなあ。あやつが龍であるのは、あやつのせいではないし、今回また転生したのも、あやつのせいではない。我としては、その原因を分かっていながら放置した天黎に腹が立つわ。」
碧黎は、渋い顔をした。
「それはそうだがどうしようもないわ。維月の事はなんとか助けてもろうたし、これ以上申さぬ。ヘソを曲げたら面倒ぞ。維心のことは、我が逐一見てなんとかするわ。」
大氣は、頷いた。
「ならば我は何も言うまい。だが、あれはかなり疲れて来ておるのだろう?」
碧黎は、頷く。
「そうなのだ。まだ赤子であるからな。知識だけはあるゆえ、なんとか己を律しておるがどこかでガス抜きが必要よな。我も考えておるのだ。」と、眉を上げた。「…維月が呼んでおる。」
大氣は、え、と碧黎を見た。
「え?ならば…」
言いかけた大氣に構わず、碧黎は立ち上がった。
「ではの。また来るわ。」
そうして、パッと消えた。
大氣は、むっつりと唸るように言った。
「何ぞ、いきなり来ていきなり帰りおって。勝手なのだから、あやつは。」
だが、もう碧黎は聞いていなかった。
碧黎は、パッと龍の宮の居間に現れた。
「何ぞ維月、十六夜と話しておったようだの。」
碧黎はどこに居ても何をしていてもあちこち見ている。
維月は、話が早いと頷いた。
「はい。あの、お琴のことですわ。弾いてくださるかなと思って。」
碧黎は、頷いた。
「主の頼みなら弾いてやろうぞ。今か?」
維月は、慌てて首を振った。
「いえ、月の宮で。催しのことですの。」
碧黎は、頷く。
「まあ聞いておったわ。確かに維心には癒しが必要よ。しかも、定期的に。とりあえずは、我が琴を弾く事でなんとかなるなら、弾いても良い。十六夜が蒼に話をつけておるようよ。今、会合に乱入して蒼が怒っておる。」
維月は、バツが悪そうな顔をした。十六夜は、こうと決めたらこうなので、すぐに言いに行ったのだろう。
それで、蒼が怒っているのだ。
「…蒼には悪い事をしましたけど、でも、必要なことで。維心様のご様子が臣下にも影響を与えて、宮の中がピリピリしておりますの。とりあえず、少しでもリラックスして頂きたいので。」
碧黎は、また頷いて答えた。
「ならばそれで。我も蒼に申して来るわ。あれは十六夜が一方的なので、イライラしておるようだしの。我が必要性を説いて来る。主は案じるでない。」
維月は、ホッとして頷いた。
「はい。ありがとうございます、お父様。」
碧黎は微笑んで維月の頭を撫でると、またパッと消えて行った。
とりあえず蒼には気の毒だが、あちらで催しを開いてくれるのは確実だ。
碧黎が説得して、蒼が折れないわけはないからだ。
維月はこれで維心も少しは落ち着いてくれるかもしれない、と、胸を撫で下ろした。
それでも、碧黎は定期的に、と言った。
つまりは、時々どこかでこんな催しを開いて、上位の王達と楽しめる場を考えておかなければならないということなのだ。
先を考えると気が遠くなりそうだったが、そこは月の宮で会うだろう炎嘉に相談してみよう、と維月は密かに考えていた。




