処置
蒼が月の宮へと帰って来て奥の居間へと入って行くと、そこには碧黎と、十六夜が並んで座っていた。
本来王が居ないのに勝手に入るのはおかしいのだが、蒼はそういうことがしょっちゅうなので麻痺してしまっていて、それよりは呼ぼうと思っていたのに目の前に居てくれたことが有難くて、嬉々として言った。
「碧黎様!ちょうど頼みたいことがあったんです!」
碧黎は、蒼の嬉しそうな様子に苦笑したが、言った。
「知っておる。主の頼みは断れぬわ。それに、ここのところ神世が騒がしくて早う落ち着いて欲しいし、此度は手を貸そうぞ。して、高瑞の記憶であるな。」
蒼は、椅子へと座りながら頷いた。
「はい!あの、それから奈河と八重の記憶も。とにかく、それ関係の記憶を消してしまって欲しいんです。あ、高瑞は、奈河から聞いたことだけを消してください。」
碧黎は、頷いた。
「分かった。維心が言うておったものな。で、八重の顔であるが、案じずでも全く似ておらぬわ。元々あれの母は父親似、罪人の女は母親似であった。そして、八重自身は望まぬでどこの誰とも知らぬ父親に似ておる。今となってはその父に感謝するべきかの。」
蒼は、びっくりした顔をした。
「え、碧黎様はその女の顔まで覚えてるんですか?!」
碧黎は、顔をしかめた。
「我が見えておらぬ場所はないし、地上で起こったことは大概覚えておる。どこで何が生まれておるのかも大概は見ておる。とはいえ、そうと言われねば思い出す事もないがの。地上を治める王の近くに控える王の宮で、王座に近い位置の命に起こったことなら問題なく覚えておるわ。あの女も、高瑞の美しさに惑うたのであるな。今は黄泉の暗い場所で後悔しながら苦しんでおるゆえ、それで許してやりたいとは思うがの。」
蒼は、膨れっ面になった。
「高瑞だって今も苦しんでるんですから、ほんと後悔して欲しいと思いますよ。」と、十六夜を見た。「十六夜はなんでここに居るの?」
十六夜は、はあ?と心外な、という顔をした。
「オレだってあいつらの事は気になってるからに決まってるじゃねぇか。オレが約束して来てここへ入れる事になったんだしな。全く、つくづくはぐれの神の取り扱いには気を付けなければならないな。これからは親父に聞くかな。」
碧黎は、十六夜を見た。
「安易に我にと申すでないわ。我だって知っておっても言えぬことがある。八重の姿の事については、高瑞の臣下に聞けば分かった事であったから申せたが、我にしか分からぬことであったら言えぬのよ。己で精査できるように励まぬか。それが学びぞ。」
十六夜は、蒼と同じように膨れっ面になった。
「えー、全く、ケチだな親父は。」
碧黎は、何を言う、という顔をした。
「ケチとは何ぞ。言いたくても言えぬのだというに!」
蒼は、碧黎がへそを曲げたら大変だと慌てて割り込んだ。
「それで、記憶なんですけど。維心様が、玉にしてって。」
碧黎は、頷いて手の平を上にして、言った。
「こうか?」
するとそこには、コロコロッと三つのビー玉ぐらいの大きさの、それでも大小は様々な玉が、落ちて来た。
蒼が仰天して思わず目を丸くしてのけ反ると、十六夜がガバッと立ち上がって、空を見ながら言った。
「おい!親父、いきなりやるな!みんな倒れたじゃねぇか!」
「え?!」
蒼も、月から地上を見る。
奈河は訓練場でいきなり倒れたらしく、軍神達が慌てて駆け寄って行っているところだし、八重は家の床に転がっていて河玖は寝室で泣いてるし、高瑞は自分の居間の椅子で天媛と並んで座っている時だったようで、後ろへ突っ伏して天媛に介抱されていた。
そんなに一瞬で一気にできるのか!
蒼は、碧黎を振り返った。
碧黎は、手持ち無沙汰な様子で玉を手の平の上で転がしながら、言った。
「維心が言うておったように、綺麗に八重があの女の筋だという記憶だけ取ったのだがの。大きさが違うのは、その情報量ぞ。ほれ、この小さいのが高瑞。昨日奈河から聞いた時からの記憶だけ取った。こっちのが奈河。八重から聞いてから苦悩していた部分を取った。これが八重。ちょっと大きいのは、母親とその事について話したことすら取ったからぞ。あちこち散っておったからこれが一番面倒であったなあ。」
面倒って。全部一緒に一瞬で取ったみたいに見えましたけど。
蒼は思ったが、頷いた。
「これを消したらいいですかね。」
十六夜がバタバタと倒れた者達の対応に出て行ってしまったのを後目に、蒼が言うと碧黎は頷いた。
「消すのだな?では」と、手の平の上で、それはパッと着火してジュウという音を残して消え去って行った。「これで終いぞ。」
蒼は、それを見て何やら悲しくなった。
碧黎は、こんなことを一瞬で始末してしまえる。
一々維心に聞きに行って碧黎に頼まねばならない、自分とはえらい違いだった。
「はい…ありがとうございます。あの、また御礼を。」
碧黎は、首を振った。
「これで神世が滞りなく回るのなら易いものぞ。これなら時を掛けたら維心にもできることであるし、我にも手助けできる。」と、蒼の顔を覗き込んだ。「…なんぞ。何を悲し気な顔をしておるのだ。」
蒼は、下から恨めし気に碧黎を見上げて、言った。
「だって、オレにはそんなにサクサクできないので。なんか、あまりにも差があり過ぎて、悲しくなってしまったというか。」
碧黎は、フッと鼻で息をつくと、蒼の頭をぽんぽんと叩いた。
「しようがないのう、主は。我になど、維心ですら叶わぬのに主が太刀打ちできぬで当然ではないか。そのように落ち込むでないぞ、主は皆に助けられて務めを果たす命であるから。案じるでない。」
そうは言うけどさあ。
蒼は、少し拗ねていたが、碧黎がやってくれてあっさり記憶は消滅したので、良かったかなと思った。
後は、記憶を取られた三人のことだが、それは十六夜が見て来て教えてくれるだろうと、一応はホッとした。
碧黎は、言った。
「とはいえ…これで解決ではないがの。」蒼がギョッとして碧黎を見ると、碧黎は続けた。「維心が言うておったろうが。命の記憶がある。なので、できるだけ八重のことは高瑞に近付けぬ方が良いな。なぜだか分からぬが殺したい、とかなると、別の方向で高瑞が病むかもしれぬから。そこは気を付けて見ておるが良い。」
蒼は、言われて何度も頷いた。
「はい。覚悟はできています。八重には罪は無いし、高瑞だってどうしようもない感情なんですしね。何とかやります。」
碧黎は、微笑んで頷いた。
「よう励むがよい。」
そうして、そこからパッと消えて行った。
蒼は、これからの事が気になったが、これでひとまず収まったと、ホッとしたのだった。
十六夜は、真っ先に八重の所へ飛んでいた。
何しろ河玖が居るのだ。放置して何かあったら大変だった。
屋敷に入って行くと、河玖はまだ泣いていて、十六夜は倒れている八重を跨いで奥へと行くと、河玖を抱き上げた。
「よしよし、泣くな。誰もお前を放り出したりしねぇからよ。」
河玖は、すぐに泣き止んでじっと涙に濡れた目で十六夜を見上げた。
十六夜は、ため息をついた。
「全くよお、親父のやつは回りを気にしねぇでやりやがって。」と、河玖を抱いたまま居間へと出て来た。「八重も寝かせておくか。」
十六夜は、片手で河玖を抱き、もう片手で気を発して八重を持ち上げた。
そうして、そのまま八重を寝室へと運んで、そこの寝台へと寝かせると、どうしたものかと首をひねった。
「…八重の意識がないのにお前をここに置いてくわけにゃいかねぇしなあ。宮へ行くか。奈河が治癒の対に運ばれてるはずだからよ。河玖、父上の所へ行くぞ。分かるか?分からんわな。」
まだ河玖はほんの3ヶ月ほどの赤子だ。
分かるはずもなかったが、何しろ子供という子供は十六夜に懐く。
機嫌良く抱かれているので、十六夜はそのまま屋敷を出て、宮の方へと飛んだ。
治癒の対に歩いて行くと、嘉韻がちょうど歩いて来て十六夜に気付いて寄って来た。
そして、腕の赤子を見ると、顔をしかめた。
「またどこかで拾って来たのか?王が怒るのでは。」
十六夜は、顔をしかめて首を振った。
「違う、奈河の子だ。八重が寝てるのに泣いてたから連れて来たんだが、奈河は倒れたんだって?」
嘉韻は、頷いた。
「立ち合いの順を待って立っていただけなのに、急にの。意識がないので治癒の対へ連れて来た。どこも悪くはないようだったが、目を覚まさぬので置いてきた。」
十六夜は、言った。
「あいつもいろいろ気を張ってたから、キャパオーバーになったんじゃねぇの?楽器の演奏とかさ。ちょっと前まではぐれの神だったのに。」
嘉韻は、神妙な顔で頷いた。
「確かにな。上位の王達に混じって演奏など、我でも気を張るわ。ま、治癒の者が申すに、疲れておるようだししばらく休めばと。」
十六夜は、頷いた。
「そうか。だったらこいつは治癒の奴らに任せて来るかな。そんじゃな、嘉韻。」
嘉韻は、頷いた。
「ではの、十六夜よ。」
そうして、十六夜は嘉韻と別れて治癒の対へと向かったのだった。




