理由
奈河は、月の宮へ帰って来てホッとした。
高瑞が帰りの道すがら話してくれたのだが、父は罪人ではなかった。
ただ、病を理由に重臣から疎まれて、居場所がなく仕方なく宮を出てさすらっていただけなのだ。
そう思うと、奈河は父が不憫だった。
多くを語らなかったのは、恐らくそんな自分が不甲斐なかったからだろう。
奈河は、今父が生きていたなら、と心底思った。
父を追い出した臣下達は皆処刑されたのだという。
王の権利を臣下が行使していたからだが、奈河は父の仇を打てた心地になって、スッキリとしていた。
八重が河玖を寝かし付けているので、奈河は一人でブラブラと外へと出る事にした。
すると、いつもは月から話し掛けて来る十六夜が、珍しく人型になって目の前に現れた。
「よお。ちょっと話したい事があるんだが、いいか。」
奈河は、びっくりして胸を押さえたが、頷いた。
「主ならいつなり良い。何ぞ?」
「ここじゃまずい。」と、奈河の屋敷の方を見た。「こっちへ。湖の方へ行こう。」
八重には聞かれたくないことか。
奈河は、屋敷を気にする十六夜に、すぐに気取った。
なので頷いて、二人で湖の方へと飛んだ。
湖に着くと、すぐに十六夜は言った。
「話しとかなきゃならねぇ事がある。その、すまねぇが八重のことは、誰にも言うな。そんでもって外に出すな。高瑞に見られないようにして欲しいんでぇ。」
奈河は、急な事に驚いたが、言った。
「…あれの叔母か。」
十六夜は、頷く。
「あのな、高瑞が病んじまってここへ来る事になったのも、その叔母の女があいつの幼い頃にあいつを虐待したからだ。幼少期の虐待ってのは根が深い。だから、あれほどできた奴なのに、それから逃れられなくてこっちで療養なんかすることになったんでぇ。だから、八重が似てたらヤバいから、会わせないようにして欲しい。」
…だからか。
奈河は、合点がいった。
あれほどに優秀な王は居ないだろうと、あちらの宮に同行して思って見ていたのだ。臣下も軍神もまるで王に対するように高瑞に接していたし、高湊よりよほど王らしいと奈河は思って見ていたのだ。
それなのに王座を降りて、ここに居る。
不思議に思っていたが、そのせいだったのだ。
しかし…。
「…虐待とは?高瑞様はあれほどに美しいお顔立ちで、とても幼いあの方を虐待など、まして女が考えられぬのでは…、」
そこまで言ってから、ハッとした。
ちょっと待て、虐待。女。幼い美しい高瑞…。
まさか…。
奈河の顔色がどんどん変わるのに、十六夜は慌てた。もしかしてこいつ、分かるのか?
「いや、その、可愛かったら余計に虐めたくなるヤツも居るだろうが!」
十六夜の様子に、余計に奈河は確信を持った。
そうなのだ、恐らくその八重の叔母の女は、高瑞様に…。
ならば家族全員が追放処分になっても仕方がない。
むしろ、そこまでの事をして、それで済んだのだから幸運だったのだ。恐らくは、誰かが宮で役に立つ臣下か何かだったので、一緒に処刑されずに追放で済んだのだろう。
奈河は、はぐれの神の間で育ったので、そんな事があるのも充分に予想できた。皆、法など無い王も居ないあの場所で、己の身は己で守らねばどうにもならず、親も己に必死で子供を守る余裕もないことが多かった。
なので、幼い子供は軒並みそんな危機に晒されていて、親の力が無ければ餌食になってしまうことなど日常茶飯事だった。
父の奈津は、そんな幼い神を見掛けたら、親の代わりに守ってやることも多かった。
なのであっさりと想像できたのだ。
「…隠さずとも良い。あの高瑞様がなぜにと、此度共にあちらの宮へ行ってご様子を見ておるうちに思うておったのだが、そんなことがあったのなら、それは深く傷つけられたであろう。八重の叔母は、取り返しのつかぬ事をしたのだ。本来、そんな事があったらこの法に守られた宮の領地の中では、皆処刑となっておったのでは?」
十六夜は、渋い顔をしながらも、頷いた。
「この月の宮は蒼が王だからそこまでは無いが、他の宮じゃあな。連帯責任みたいな感じで、とにかく犯罪者はその家族まで許さねぇ風潮がある。そうやって絶対に罪を犯させないようにしてるからだ。だが、八重はその後に生まれてるんだし、責任なんかねぇよ。関係ねぇ。」
奈河は、厳しい顔で言った。
「それでも、処刑されておったら八重はこの世に居なかった。」と、頷いた。「分かった。主が何を案じておるのかもの。八重に、その女の面影があったなら、高瑞様がまた苦しむ可能性があるゆえ、主は八重を外に出すなと申すのだな。」
十六夜は、奈河を甘く見ていたと思いながら、仕方なく頷いた。
「…そうだ。八重には罪はねぇが、高瑞にとっては思い出したくもない女の面影でも継いでたら、また苦しんで狂気に陥る危険性があるんだ。まだ高瑞は知らねぇが、あいつの心を煩わせたくねぇ。それでなくともあっちの宮でいろいろあって、過敏になってるだろうしな。だから、お前に言っとこうと思ってよ。何しろ高瑞は、お前に目を掛けてるだろうが。奈津の子だからさ。」
奈河は、険しい顔を崩す事無く、頷いた。
「…分かっておる。高瑞様には、父上の事もお気に掛けてくださって、我の事もお気遣いくださる。こんな我なのに…蒼様と同じように、高瑞様にもお仕えしたいと思うておったところ。それを、こんなことで煩わせるなどあってはならぬ。主らが思うような事にはならぬから。我に任せてくれ。」
十六夜は、奈河がかなり精神的にショックを受けているようなので心配だったが、頷くしかなかった。
ここへ来て幸せそうな気を発していた奈河が、何やらまた暗い気を立ち昇らせているのも気になったが、日が暮れて来るのもあり、十六夜にはこれからはぐれの神の受け入れを見守るという仕事があったので、そのまま黙って、奈河を見送ったのだった。
嘉韻は、十六夜が言う場所に居る神達の小屋を一つ一つ訪ねて回り、皆にその意思を聞いて来ていた。
それを十六夜に伝え、十六夜が蒼に話して今夜、関の房へと連れて来ることを許された。
とはいえ、全員が受け入れてもらえるとは、嘉韻には思えなかった。
確かに皆、悪い気は感じなかったが、どうも気力がない。
もし受け入れたとしても、任務に就けるような気概も無さそうだし、最低限の物資だけ支給されるので満足して、何も役に立つことが無く、ただのお荷物にしかならないように思ったのだ。
中には、確かに何かの役に立ちたいとやる気の神も居たが、大半は生きること自体を諦めているような、そんな気配がした。
それでも、王からの命には従わねばならない。
嘉韻は、全員を関の房の前へと並ばせて、蒼が来るのを待っていた。
蒼は、時刻だと恒が呼びに来たので、仕事だと関の房へと向かった。
そこへ入って来る精査を必要とする神達は、結界外側の裏口からこちらへと入って来て、結界境で検分される。
蒼は、こちらの結界内側の出入り口から、そこへと入って待っていた嘉韻と顔を合わせた。
「嘉韻。ご苦労だったな。それで、結果的に何人だ?」
嘉韻は答えた。
「は。只今結界外に並べて待たせておりまする。結果的に、12人の神がこちらへ入りたいと申しました。」
多いな。
蒼は、思った。一度に受け入れるには多すぎる数だ。
とはいえ、あの範囲に点々と散らばっていた小屋の中に住んでいたのだから、少ない方なのかもしれない。
蒼は、息をついて頷いた。
「じゃあ、家族か仲間か分からないが、同じ小屋に居た者達をまとめてここへ順番に案内してくれないか。一気に精査するよ。」
嘉韻は頭を下げた。
「は。」
そうして、出て行った。
蒼は、隣りに座る恒を見た。
「先に見て来たのか?」
恒は、むっつりと頷く。
蒼は、その表情に俄かに心配になって、言った。
「なんだよ、変なヤツだったとか?」
恒は、ため息をついた。
「ここにオレの印象は書いてるけど。」と、目の前の名を書いた紙を蒼に押しやった。「嘉韻も同じ感想みたいだったけど、あの辺りに住んでた神達はね、もう神生諦めたような感じでさ。本当はもっと居たけど、もうどうでもいいって感じみたいで。静かにあそこで死ぬまで何にも煩わされずに生きていたいって神ばっかだったみたいだ。その中でも、ちょっとマシな神達が来てるんだけど…マシってだけで、みんな無気力なんだよなあ。ここへ来たのも、安全に楽して暮らせるって感じみたいだし。置いてもらうから、その代わりに役に立とうって気持ちは全く感じないよ。悪い気は感じないけど…だから、受け入れたらただ養う神が増えるだけで、役には立たないんじゃないかなあ。」
蒼は、恒の覚書に視線を落として、顔をしかめた。
確かにそれには恒が一々感想を走り書きをしていた。
ほとんどがやる気が無い、覇気がない、元気がないなどネガティブな感想で、蒼は気が滅入って来たが、そんな中に、明るくて前向き、という字を見つけて、蒼はそれに食いついた。
「あ、これは?」
恒は、それを覗き込んで言った。
「ああ、それは若い神で。まだ百歳ぐらいじゃないかな。あそこで一緒に住んでた親を亡くして、一人で生活してたんだ。集落の方に行くにも、一度覗きに行ったら殺伐としていて怖くて無理だったらしい。何か自分にでもできることがあるならしたいって、あんな場所で育ったのに明るい子でね。この子なら育て甲斐があるなあって思った。」と、ほかのリストも指した。「ほら、こっちも。親は無気力だけど子供はやる気でね。だから、子供達はいけそうだけどなあ。」
蒼は頷いて、それを眺めた。
すると、嘉韻が戻って来て、言った。
「最初の神達です。」
蒼は、そちらを見た。
するとそこには、若い神が縮こまるようにして頭を下げ、嘉韻の後ろに隠れて立っているのが見えた。




