状況
長く、深いマントを着た薄汚れた集団は、やっとの事で目指す土地で、手頃な大きさのあばら家を見付けた。
ここは、どの神の結界にも掛かってはいない、無法地帯だ。
だが、今のこれらには、特に問題ではなかった。
そう、どこに居ても結局は、追われて今は、はぐれの神同然。
たどり着いたこの土地で、密かに生きて機を待つより他、無い命。
ほんの十数人しか居ないそれらは、誰にも見咎められる事もなく、その粗末なあばら家に入った。
ここで、待つしかない。
そう、ただ、たった一つの、機を待つしか…一族の無念を晴らす、ただ一度の機を待って、ここで耐えるのだ。
特に面倒も起こらず、100年以上の時が平穏に過ぎていた。
天黎と海青は、それはよく神世を学んで行き、最近では話していても、神の王と話しているのと変わりない様子だ。
天黎の子の維黎も、今では立派に育って人型は天黎にそっくりで、それでも瞳は、天黎とは違って陰の月のような赤なので、どちらかというと、鳥族のような華やかな印象だった。
天媛と高瑞は、自然共に生きる事を選択し、今では北の対に共に暮らしている。
ヴェネジクトは、50年ほど前にヴァルラムから乞われて、北のドラゴン城へと帰り、今ではあちらで軍神として生きている。
ヴェネジクトの気性では、長く平穏なだけの毎日は、段々に退屈になってしまっていたようだったので、今ではあちらで生き生きと生活しているらしかった。
吉賀と那海の間には、あの後すぐに身籠って驚いたのだが、生まれた皇子が那都と名付けられて育っていた。
やはり、那海の命が混ざったせいか、那都の気は吉賀の気を大きく上回る強さで、宮の臣下達はもろ手を挙げて喜んだ。
そんな那都は、勤勉で賢く、それは優秀な皇子であったので、回りの宮でも評判になっているほどだった。
その吉賀の妹である佐夜子が嫁いだ先の斉の方では、同じ頃に生まれた皇子が居て、洋という名だった。
自然、行き来するようになった那都と洋は、今ではお互いに兄弟のように仲が良かった。
蒼と杏奈の間の子である納弥も、立派に育っていたのだが、生憎杏奈がコンドルだったので、生まれた納弥はコンドル、つまりは鷹と同族だった。
なので、今ではコンドル城、鷹の宮、月の宮を行ったり来たりの生活をしていて、成人した時には、どこの宮に正式に世話になるのか、決めるように取り決められていた。
あと数十年で成人の納弥だったが、まだどうするのかは、全く決められていないようだった。
そんな最中、将維と葉月も、龍の宮と月の宮を行き来するようになっていた。
元々、維心が陽の月の時に維月との間に出来た命だったので、二人は月の眷族だ。
だが、維心がどうしてもというので、維心の子として告示され、そうして二人は、龍の宮で育っていた。
だが、そもそもが龍ではない二人が、あの宮でやって行くのは難しい。
何しろ、不死なので立場が定まらない事になるのだ。
そんなわけで、後々は月の宮で生活することになるので、二人は今から慣らしておくようにと維心から命じられ、そうやって行き来するようになったのだった。
とはいえ、将維は前世月の宮で余生を過ごしたので、あの眷属の事はよく知っていた。
なので、そんな必要はないとは言いたいのだが、碧黎から地の一部を任されるようになっているので、さすがに取り扱いを学ばなければならない。
なので、将維は仕方なく月の宮へと通っていた。
それぞれがそんな風に育って生活している中で、今年もまた龍の宮の、七夕の時期がやって来た。
毎年の事だが、最近では数が多いので、顔見世は会合の宮で行うことが多くなっていた。
会合の宮の、会合の間の中央に維心が座り、その前に当たる場所の丸く段々になっている席に客を入れて顔見世をして、後は隣りの大広間で宴となっていて、本宮の方を使う事がないので面倒がない。
本宮はなんと言っても龍達が執務などを執り行う場所なので、そこで催しをすると整理が大変で、いつも必死に片付けていたのだが、この会合の宮が立ち上がってそちらを使うようになってからというもの、臣下の負担がぐっと減った。
維心は、つくづく思い切ってこれを建てて良かったと思っていた。
今日も、顔見世に出るために飾り付けられた状態で、維月の準備が出来るのを待っていると、いつもの如く大変に豪華な衣装の維月が、侍女達に手伝われて奥から慎重に足を進めて出て来るところだった。
維心は、思わず見とれてしまいながら、手を差し出した。
「おお…待った甲斐があったというもの。やはり今年は紅にして良かったであろう?よう似合う。」
維月は、褒めてもらって悪いのだが、ハッキリ言って、もう脱ぎたかった。
もう重過ぎるし、仰々しいしで、維月からしたら良いとこ無しなのだ。
「維心様…お褒め戴いて嬉しいのですけれど、もう挫けてしまいそうな心地ですの。簪も、常より重いのですわ。それにこの紅玉の多さは過去一番ではないかと。着物の重さも半端ないのですわ。」
だからこの着物は嫌だと言ったのに。
維月は、維心を恨めし気に見た。石が多過ぎて重いので、維月にしたらもう一つあった候補の、紫の着物にしたかったのだ。
それなのに、維心がそれでは地味だとか、正妃なのだからもっと目立つものをとかいって、結局こっちにしてしまった。
顔見世に出て居ない今でも既にこんなに立っているのがつらいのだから、あの場所まで歩いて、その上そこに座り続けるなど、考えただけでも苦行だった。
「維心様…どうか、今年はご容赦くださいませ。もう、今にも倒れそうですの。このままあちらまで行って、あちらで座っておるなんて、私にはとても無理でございます。宴の着物は今少し軽いので、宴には出席させていただきますから。」
維心は、常は文句は言っても行かないとは言わない維月が、今日は行かないと言い出したので、慌てて言った。
「そのような。我が運んでやるゆえ、問題ない。あちらで座っておるのも、一時ほどぞ。堪えぬか。」
だが、維月は段々に青くなって来る顔で、首を振った。
「いえ…本当にもう。衣装に圧迫されて、胸が押さえつけられているような心地で。」と、ふらりと脇へ倒れ掛かった。「…申し訳ありませぬ…失礼を…。」
維月は、言ったかと思うと、フッと気を失った。
まさかそこまでとは思いもしなかった維心は、慌てて維月を支えて言った。
「維月!しっかりせぬか!」と、触れた腕から、本当に維月が、極端に気を消耗している事実を知って、急いで袿を引っ張った。「ならぬ、誠に苦しんでおる!侍女、早うこれを緩めぬか!」
侍女達は、慌ててワッと寄って来て維月の着物を脱がしに掛かった。
幾重にも重ねられた着物には、また何本もの細い帯やら紐やらがあって、解くのに時が掛かる。
維心は心底後悔しながら、必死に維月の簪を引っこ抜いては放り出して、維月を楽にしようと侍女達と共に努めた。
結局、維月は回復したものの、それから新しい着物を着付けていては間に合わないので、居間に残る事になった。
仕方なく維心は、一人で顔見世の席に座っていたのだが、そこへ挨拶に出て来れる身分のもの達、上位の宮の友がやって来た。
炎嘉と、焔だった。
「また不機嫌であるな維心。維月はどうした?単身などここ最近では珍しいの。」
焔が言う。
維心は、フンと横を向いた。
「あれは具合が悪うなって。宴には出る。」
炎嘉が、それを聞いてからかうように言った。
「なんだ、どうせ着物が重いとかで行きたくないと言われたのではないのか。毎年派手になって、維月の負担が多かったものなあ。あれも遂にボイコットすることにしたか。」
ボイコットなどと言う言葉が出るのは、炎嘉も最近人世の言葉を操れるようになっていたからだ。
維心は、軽く炎嘉を睨んだ。
「…此度はやり過ぎた。あまりの重さに維月が気を失って倒れてしもうて。他の物を着付けるにも間に合わぬから、我だけ出て参ったのだ。だが、宴には出る。あれも、久しぶりに他の宮の妃達に会うのを楽しみにしておるしの。」
焔が、言った。
「妃?連れて来ておるやつは居ったかの。」と、ぽんと手を打った。「そういえば箔炎が椿を連れて来ておったわ。」
維心が、眉を寄せた。
「箔炎が?主はどうした、駿が来ておるのに桜は連れてこなんだのか。皆が集うゆえ、大概七夕には皆、妃を連れて来るものだが。」
上位の宮ではあっちこっちに親族が嫁いだりしているので、こういう催しで母に会ったり、姉妹に会ったりするのが普通だ。
なかなか宮を跨いで会いに行くのが難しい彼女達は、そうやって親姉妹と対面して交流するものなので、王も弁えていて連れて来るものだった。
だが、焔は、顔をしかめた。
「そういえばそうか?だが、我はあれと最近顔を合わせておらぬからの。煌が生まれてこのかた、あれの所へ通う必要もないし、煌が育って用があればあれが伝えに参るし、特にその必要ものうて。」
それには、さすがの維心も心配になった。
そもそもが駿の娘の桜は、焔の宮を回すために仕えると言って嫁ぎ、煌のことも、自ら跡継ぎだけは宮のために生んでおきたいと焔に言い、無理に通わせて作ったほどだった。
焔はこんな風なので気にしていないが、外から見るとさすがに気になった。
すると、維心より先に炎嘉が言った。
「主…嫁いだ経緯は我ら皆知っておるが、誠にそれで良いのか?あれから百年以上になるのだぞ。あのまま何の感情もないのか?臣下のような扱いよな。」
焔は、まさかそんな風に言われるとは思わなかったらしく、顔をしかめた。
「…知っておるのになんぞ?あれからこの形を提案して参って、我もそれなら面倒がないと受けたからこそ妃となったのだぞ?きちんと妃として遇しておるし、特に何も不満は聞かぬ。内の事に口出しするのは無粋であるぞ。」
確かにそうなのだが、あれから全く桜に会っていないので、本人がどんな心地なのか知る由もない。
維月が居なくて良かった、と思いながら維心は、まだ何か言いたそうな炎嘉を制して、言った。
「確かに内向きの事にまで、我らは口出しせぬよ。主が上手くやっておるなら良い。では、応接間へ移るか。」
炎嘉は、こんなところで立ち話することでもなかったと、頷いた。
「参ろう。」
そうして、維心は立ち上がった。
観覧席の方から残念そうなため息が聴こえたが、それを背に三人は連れ立ってそこを出て、本宮へと向かったのだった。