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背中越しの恋  作者: 野本さとみ
18/19

密かな決意

「終点です。」アナウンスが響くと、電車は最後の力を振り絞るようにガタンと大きく揺れて停車した。すべてのドアが開くと、潮風が車内流れた。

その中に飛び込むように、駅の小さなホームへと二人で降り立った。




潮の香りが体を優しく包み込まれ、唯の胸に暖かさと苦い記憶が込み上げてくるのを押し退けながら、隣に立つ少し背の高い亮の横顔を盗み見た。何を考えているのかわからなかったけれど、表情は穏やかだった。


「腹減ったよなぁ。」


亮の呟きに、駅のホームの電車の電光掲示板を見れば、14時を過ぎていた。色んなことに気を囚われていたせいで、全然空腹感なんて感じていなかったけれど、言われてみればとてつもなくお腹がすいている気がした。

考えてみたら、昨日の夜からほとんど食べていなかったことを思い出す。


「私もお腹すいた。」

そう呟けば、間髪入れずに亮は

「よし!何はともあれ、腹ごしらえだな。」

そういうと、ニヤリと口角を上げて、行こうぜと亮の右手は、私の左手を握った。

早る鼓動は、煩いくらい音を立てた。

あるのは、包み込まれるようなその温もりだけ。




改札を出るとすぐに大通りの向かい側にファーストフード店を見えた。

二人は迷わずそこへ入り、店の一番奥の二人席を見つけて荷物を置き、亮はダブルバーガーとサイダー、私はベジタブルバーガーとアイスレモンティーと注文を決めると、亮がカウンターに向かうとものの五分程度で二つのトレーを持って戻ってきた。


二人で向かい合ってハンバーガーを頬張る。

一口口にすれば、どこにでもある味なのに何故か懐かしい味がした。

同時に、随分とお腹がすいていたことに気付いて二口三口と夢中でかじりつく。

食べれば食べるほど懐かしさは色濃く、身体中を駆け巡る。

手元にある紙コップの中のレモンティーで喉を潤しながら、あの日の記憶に色をつけていけば、徐々に目頭が熱くなっていくのを感じて慌てて手をとめた。

落ち着かせるために、大きく息を吸ってゆっくりと息を吐く。

そんなことをしていれば、尋常ではない食べる速度を誇る亮の器は、何もかもサッパリと無くなっていた。

相変わらずの光景だけど、今日は一段と早い気がした。

すると、あ。と亮は小さく叫んだと思ったら、空になったトレーを横に避けて椅子の横に置いてあった鞄を取り上げた。

中からガサゴソと白い紙袋を取り出すと、私の顔の前にズイと差し出した。


「これ、母さんから。唯に渡しといてくれってさ。」

「…え?ありがとう。」


おずおずと受け取り、紙袋を覗き込むと、ピンク色の可愛く包装された袋が大小二つのと、メッセージカードが入っていた。私はそっとカードを取り出して見ると、花柄のカードに丸い癖のある可愛らしい文字が並んでいる。


『お誕生日おめでとう。唯ちゃんに似合うと思って選びました。絶対に似合うから、すぐ着てみてね!これからも亮を末永くよろしくお願いします。』


文字の奥から、いたずらっぽい目をさせながら、明るい花のような笑顔の亮のお母さんのが思い浮かんだ。

思わず苦笑してしまうけれど、確かに昼間から制服のまま街をうろうろしていたら、補導されるかもしれないという現実が頭に過る。

「開けてもいいかな?」

「勿論。むしろ、渡したらすぐ開けろっていってたぜ。」

そっかと頷いて、ピンク色の包装紙を出して、丁寧に包みを開いてみると。

ひとつには、襟元とスカートの裾に小花刺繍をあしらったノースリーブの白いロングワンピース。

もうひとつは、少しヒールのついた白いサンダルが入っていた。

それらは宝石のようにうっとりするほど美しくて、可憐で、自ら光を放っているように見えた。


亮のお母さんはきっと、私のことを思って一生懸命選んでくれたんだと思う。

彼女はそういう人だ。

いつでも、一切手を抜くことなく、全力で向き合ってくれる。

だから、きっと、この服も靴もこれでもない、あれでもないと悩んで、迷って、妥協することなく、選び抜いてくれたはずだ。

そんな姿を想像すれば、私の心は熱を帯びてゆく。

視界が滲みそうになるのを何とか堪えながら

「着替えてくるね。」

と言い残して、化粧室に向かった。



いざ着替えようとすると、躊躇する手元。

普段動きやすいパンツスタイルの服装ばかりしてきた自分自身を呪った。

いつもそれなりにお洒落していたら、こんなにもハードルは高くはならなかったはず。こんなに上品で大人っぽい服たちを、着こなせる自信はこれっぽっちもなかった。

それに、今の自分はあまりにくすんでいて。

この美しすぎる洋服に袖を通すにはあまりに申し訳ないような気持ちで押しつぶされそうになる。


でも、亮のお母さんの思いを無下にすることはできないと、何とか自分を奮い立たせて、意を決して汚れていた制服を脱ぎ捨てた。






亮は唯が化粧室に行った後、食べ終わった二人分のトレーを返却して、席に戻り頬杖をついてため息をついていた。

母から手渡されたプレゼントはまるで俺がここに来ることが分かっていたかのような選択に、母の掌で転がらされているようでモヤモヤしていた。


まったく、余計なことをしてくれる。

自分の行動がすべて見透かされお膳立てされているようで、まだまだ子供よね~と言わんばかりの半眼をした母の顔がチラついて気に入らない。

気に入らないけれど、それもまた受け入れなければならない真実だ。

もっと、大人にならなければ。

この先、どんなことがあろうとこれからは、信じた道をこの足で歩いていかなければならないのだから。

泣いても笑っても子供でいるのは、今日で最後だ。

そう密かに決心していると。



「亮、お待たせ。」


白いワンピースに身を包んだ唯が恥ずかしそうに微笑んでいた。

少しだけヒールのついたサンダルは、細い脚を美しく映し出していた。

普段の唯とはとはあまりに雰囲気の違う、あまりの美しさに思わず息を呑んだ。

唯がスカートの裾を少し持ち上げると、細かく刺繍された花が咲き誇る。

「どう…かな?」

「…い、いいんじゃねぇの?」

綺麗だよ。

なんて甘い言葉を吐けはずもなく、視線をせわしなく動かしながらぶっきらぼうに答えるしかなかった。

騒ぎ出す心を羽交い絞めにしながら、立ち上がる。

まともに唯の顔を見ることもできず

「と、ともかく、行こうぜ。」

と、しどろもどろに言いながら立ち上がる。

目の前に立つ唯の顔を見れば、ヒールを履いているせいか角度が変わっていつもより顔が近い気がして、慌てて顔を逸らしながら俺は唯の先に歩を進めた。


子供でいるのは終わりだと言い聞かせていた自分はどこに行ったんだと、情けない感情が一気に押し寄せるのをブンブンと頭を振って払いのけながら店のドアを押した。







外に出れば、潮の薫りが増しているような気がした。

海岸までは、すぐ横にある小さな商店街を抜けて5分ほど歩けばたどり着く。

そこは昔ながらの商店街のようで、八百屋や肉屋といった昭和を感じさせるような風景が広がり、昼を少し過ぎた平日のこの時間は、地元の買い物客で賑わっていた。

自分たちが住んでいる場所は、全国にある大型スーパーしかないから、昔の町並みが真新しく見える。そんな光景を横目で見ながら歩いていく。




「そこの美女さん。」

と、お盆に和菓子を持った鴎屋と大きく背中に書かれた羽織を着ている白髪中年の男性が駆け寄ってきた。


やってきた方向を見ると、ショーケースに鴎や桜の和菓子が美しく並べられていた。看板には鷗屋と大きく書かれている。その店からやってきたところから見ると、この白髪の男性はそこの店主のようだ。


「いやーあんまりにも、綺麗だからついつい声かけちゃったよ。

これ、うちの新作なんだ。美人は特だね。一つどうぞ。」


「ありがとうございます。」


唯は、ニコリと笑って礼を言うと長い睫毛がふわりと揺れた。

黒いお盆には乗せられた、一口サイズのピンクのマーガレットの花が二つ咲いていた。

「中にあんこが入っていて、上品な甘さに仕上げてあるよ。

青年。君は将来大物になりそうなオーラを感じるよ。将来に期待して、君もどうぞ。まぁ、この美人さんがいなかったら、君にはやらなかったけどね。はは!」

何もかも吹き飛ばしそうな豪快な笑い声は商店街に空高く響き渡る。

つられて、唯も亮も笑いながら和菓子を手に取って口にほおばった。

優しくて、程よい甘さが口の中に広がり、あっという間に溶けていった。


「この辺の子じゃないんだろう。こんな目立つ二人がいたら、すぐに目につくもんなぁ。まぁ、またいつかこの辺りに来る機会があったら是非来てくれよ。

その時もここを通りかかったら、また君たちを見つけて食べてもらうからね。」

顔をクシャクシャにしながら店主はまた豪快に笑うと鴎屋に戻り店へと消えていった。


「すごいパワーの優しいおじさんだったね。」

「ほんとだな。」


唯と亮は顔を見合わせて笑った。

目的地の海岸と海は、目と鼻の先に広がっていた。

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