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背中越しの恋  作者: 野本さとみ
13/19

悪夢再び

二階にある教室を荷物を抱えて出ると、階段の手すりに捕まりながら、二段抜かしで降りていく。

着地する度に、鞄の中身がガタンといいながら重みが増していくような気がした。

それに比例するように、足取りも重くなっていく。

それは気のせいだと自分に暗示をかけて、昇降口の下駄箱まで足を引きずるようにして辿り着いた。

後ろを振り返っても、いつもの騒がしい気配はない。

日の光が入らない薄暗い廊下に蛍光灯が白々とガランとした廊下を照らしていた。

人の気配もなく静まり返る廊下に、大きく息を吐く。


これで、亮から逃れられる。

でも……。

ふと亮の『待っていてほしい。』と言っていた時の顔が過る。

あの時の亮の顔は今までになく真剣だった。

…誠意を無視してしまうのは、卑怯な気がして、後ろめたい気持ちが先行するけれど。

どうか許して。亮。

こんな時に会ってしまったら、きっと私は亮に頼ってしまう。

その手にすがりついてしまう。

…一度でも…その手を掴んでしまったら、きっと私は離したくなくなってしまう。


誰もいない廊下の奥の階段を見つめながら思う。

次に顔を合わせるのは、明日からの土日を挟んで来週だ。

二日間の猶予があればきっと、気持ちも立て直すことができる。

休日は、一人で部屋に籠って、ゆったりと過ごせば、きっとこの胸の傷も完全に治りはしなくとも、かさぶたくらいにはなるはずだ。

そうなることを信じて、この数日間は傷を癒すことだけに専念しよう。

そうすれば、きっといつもの幼馴染みの顔に戻れる。

だから。亮、ごめんね。

昇降口から吹き抜ける風が唯の髪を揺らし、唯の念を引き受けるように廊下を駆け抜けた。

唯は踵を返し、自分の下駄箱の前まで行くと上履きを脱ぎ、スニーカーを下駄箱から取り出して、鞄と一緒に床に置いた。

上履きを持ち帰るために、畳んであった簡易袋を鞄の外ポケットから出し、脱いだ上履きを入れ、スニーカーに両足を突っ込み、靴のかかとを踏んだ。

ぐにゃりと変形したかかとをを整え履くために、しゃがみ込み人差し指を靴べら代わりに、足首からかかとの方へと指を滑らせて、踏まれた靴のかかとを引っ張りあげた。

ちゃんと履けたことを確認して、右横に置いてあった鞄の取手を握りしめ足に力を込めて、立ち上がろうとした。

そのときだった。


「水島さん。」


その声に唯のビクリと肩が跳ねた。

スニーカーに視線を張り付けたまま一切の動作が停止する。

心臓が音を立てて、早く強く打ち始める。

顔をあげないまま、視線だけ昇降口の引き戸の方へ視線だけ移していくと。

今一番会いたくない人物の細い足首が見えた。

鼓動が煩いくらい脳内に響き始める。


「あれ?無視?

名前あってるわよね?」


三咲の甲高い声が、嫌でも辺りに響き渡る。

この場所での忘れたかった出来事が、鮮明に脳内に再生されていく。

あの時の怒りの顔。

切り裂くような怒声。

すらりとした白い手が凶器に変わる瞬間。

唯は、甦る記憶をシャットダウンするように、強く目を瞑った。

暗闇のなか、聞こえてくるのは自分の息遣いと三咲の足音と鋭く尖った棘。


「あーあ。最悪。別にあなたに会いたくないのに、昨日も今日も鉢合わせするなんて。

私は、宮川くんに会いたいだけなのに。なんで、一番嫌いな人と会っちゃうのかしら。

見てるだけでムカつくわ。」


キレイな足が唯の方向へと近づきながら、長くて細い棘が唯に容赦なく突き刺そうと迫る。

唯は右手の中の鞄の持ち手をぎゅっと握りしめた。

彼女の声を聞きたくない。

その姿も見たくない。

逃げよう。

逃げてしまえばいい。

思いを込めて足を入れ、何とか立ち上がることには成功する。

が、足が張り付いたように動かない。

一歩も前に足が出ない。


どうして動かないの?

早くここから立ち去れば楽になるんだから。

叱咤するように自分の足に言い聞かせれば。

それでいいの?と、何処からともなく問い返される。

このまま、逃げても何も変わらないんじゃないの?

この状況を変えなくていいの?

何もしなければ、何も言わなければ、彼女はまた周りを、私の友達を、いろんなものを巻き込んでいくかもしれないのに。

頭に響く声に、唯はハッとした。


すると、いつだったか何気ない会話の中での亮の声が、得意気に笑った顔が浮かんできた。


『試合ってさ、守ることも大事だけど、守ってるだけじゃ、やっぱダメなんだよな。どこかで状況を転換させなけば結果は決して良くならない。別に大それたことはしなくてもいいんだ。ちょっと、変化を加えてやるだけで、一気に情勢は変わる。一つの小さな波紋が周りに広がるようにさ。それは、テニスだけじゃない。ボクシングでも、サッカーでもすべてのスポーツにおいて、共通していることなんだよ。でもよくよく考えてみたら、それってスポーツじゃなくて、人生においてそうだと思わないか?』



唯は、双眸をゆっくりと開くと

「私もそう思う。」

息を吐くように呟いた。

そして、真っ直ぐ三咲を見据える。

その唯の一言に三咲の目には赤い光が宿る。

怒りに満ちた表情に変えて、革靴を鳴らしながら距離を詰め寄ってきた。

まるで開戦の合図のように。


「あんた、今なんて言った?」

「あなたは、私にとって一番会いたくない人。」

「なんですって?」

三咲は唯の目の前で迫ると、生意気なことをというなと眉間に皺を寄せ鋭く睨んできた。

一瞬これは昨日の再現をしているだけなのではないか一瞬迷いこむが、三咲の荒い息遣いが唯の顔にかかれば現実だと嫌でも認識させられる。

唯は怯むことなく真っ直ぐその視線を受け止めながら、静かに答えた。

「私だけならともかく、あなたは私の友達にまで手をあげようとしたわ。こんな、酷いことないわ。」

「あんたが、当たり前な顔をして…勝ち誇ったような顔をして…!宮川くんの隣に勝手に座り込んでるからでしょう!?あなたを庇おうとする人間も同類よ!」

三咲は唇をわなわなと震わせながら発する金城り声は、続く。

「あんたは宮川くんのことどうも思ってないとか口ではそう言ってるくせに、幼馴染みだからとか言って隣の席を離れようとしないじゃない!手離そうとしないじゃない!

本当に宮川くんのことをどうでもいいっていうなら、早く離れてよ!いい加減目障りなのよ!卑怯者!!」

三咲は両手で唯の胸ぐらを掴んできた。

ワイシャツを力任せに引っぱってくるお陰で、唯の襟元が狭くなり少し息苦しい。

が、唯は表情を変えることなく、至近距離に迫った三咲の顔を挑むように見返す。


「…あんたが、邪魔ばかりするから皆迷惑しているのよ!あんたは、この世で一番最低な女よ…!……本当に、大っ嫌い!!蹴っても、殴っても、足りないくらい憎たらしいわ……!!」

三咲の大きな目にうっすらと涙を浮かべて、充血させながら、ものすごい剣幕で睨んでくる。唯の胸元を掴んでいる三咲の両手が怒りのせいか細かく震えていた。

唯は、三咲の刃のような視線から逃げることなく、尚もしっかりとした声で言い放つ。

「そんなに、殴りたいのなら、殴ればいい。

それで、あなたの気が収まるのなら。

私の大事な人たちが傷つかないで済むのなら。それで、構わないわ。

その代わり、二度と私の大事な人達に手出ししないで。」

唯は、じっと三咲の目を見ると、三咲の目には赤黒い色が鈍く光っていた。

「そうやって正当化して、自分は悪くないって言いたいのね?私が全部悪いって?

……ふざけんじゃ…ないわよ!!」

三咲の悲鳴のような叫びと共に右手が唯の胸元から離れ、思い切り振りかぶった。

刹那。

三咲の痛いくらいの怒りの視線が、ぐらりと揺れて急に目を見開くと、唯の肩越し後方に視線を移した。

すると、三咲の手の力が一気に緩み、引っ張られて首回りがきつくなっていた襟元が緩んでいった。

ゆっくりと三咲の手が唯から離れていく。

三咲の急な変化に訝しみながら、唯は三咲の目線を追うように後ろを振り返った。


すると。


怒りとも悲しみのとも言えぬ複雑な色を含滲ませる亮が険しい表情をして、立ちつくしていた。

「何してんだ?」

無機質な廊下に響く亮の声は、これまでに聞いたこがないほど冷たかった。

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