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背中越しの恋  作者: 野本さとみ
10/19

大切なもの

やけに早く目覚めた亮は、むくりと身体を起こした。

いつもなら二度寝するところだが、今日はやけに目が冴えてもう一度布団に潜り込もうという気にはならなかった。

ベッドから抜け出すと窓のカーテンを開けた。

窓の外には、朝焼けの名残が残る少し白っぽい空と昨夜と変わらない明かりのない唯の家が見えた。

亮は、手早く着替えを済ませるとリビングへと降りた。


キッチンに行き食パン2枚をトースターに突っ込んだ。焼いている間に一人分の湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れる。チン!という高い金属音が鳴ると、バターを塗っていく。コーヒーとパンの焼けた香ばしい匂いがリビングに広がると、その香に誘われるように母がパジャマ姿で入ってきた。

母の唖然とした顔を横目に、亮はそのままトーストを頬張った。

「亮がこんなに早く起きたことにもビックリだけど、自分で朝ご飯やって食べていることにも、驚愕だわ…。」

母は、呟く。


母が驚くのも無理はない。

いつも朝は待ち合わせギリギリまで寝ているし、朝ご飯など自分で作って食べるなんてしたことがない。

今までそんなことしようともしてこなかった人間が急にやり始めると、身近な人間は異常と感じるものだよな。なんて冷静に考える。

「今日って、なんか早くいかなきゃいけない予定あったの?」

母は、まだこれが現実だと信じていないような顔で聞く。

「特にないけど、今日はちょっと早く行っておこうと思っただけ。」

ふーんと訝しみながら母は溜め息をついて、リビングを出ていった。

亮はふうっと息をつくと、コーヒーを飲んだ。

母は勝手に何か怪しんでいるようだが、嘘は言っていない。



コーヒーを飲み干し、最後のトーストを口にくわえてリビングを出て玄関で靴を履いていると母がピンクの紙袋を持ってやって来た。

母は、はい。と靴を履き終わった亮に差し出す。

亮は、真意が分からず母の顔を見ると

「これ唯ちゃんに渡しておいて。私からのささやかながらのプレゼント。ちょっと大人っぽいワンピース。きっと、唯ちゃんにピッタリよ。」

母はニッコリと微笑んだ。

母の手から下がる紙袋がゆらゆらと揺れる。それをじっと見つめたまま受け取ろうとしない息子に、母は大きく溜め息をついて首をふると、両手を腰に当て呆れた顔を浮かべた。

そして、母は紙袋を無理やり亮の胸にドンと押し付けると

「そうやって、いつまでもウジウジしてるからダメなのよ!外野がとやかく言うなら、蹴散らしてやりなさい。ちゃんと守ってやんなさい!

どうせあんたがハッキリしないから、唯ちゃんは色々と悩んだり苦しんだりしてるんでしょ?あんたは、唯ちゃんがいなくなっても平気な訳?

争いやゴタゴタはね、一生ついて回るものよ。逃げ回ったって状況は変わらないし、むしろ悪化するだけ。それなら、ちゃんと戦うときは戦ってきなさい!きっぱり言うべきことは言って決着つけてきなさい!」

まだ言い足りなさそうな顔をして亮を睨む母の目は鋭かった。



考えてみれば、亮と唯の二人を一番長く近くで見ていたのは母だ。

誰よりも二人の間をよく知っているのは当り前で、この微妙な関係の二人にヤキモキしながらも、これまで何も言わずに見守っていたのは、根気がいることだったのだろうと思う。その結果がこれだ。


中学を上がった頃から、母から怒られることは徐々に少なくなり高校に入ってからは何も言われなくなった。

それはつまり、もう親に頼らずとも何でもできると、大人なんだと思っていたのに。

まさかこの年齢になって母から説教をくらうとは。

しかも、唯のことで。

なんとも情けない話だと思う。

押し付けられた紙袋を鞄に突っ込むと、亮は勢いよく家を出ていった。



いっぱいに放たれた扉がゆっくり閉じられていく。

母は、扉の隙間から走っていく亮の背中を見つめた。

「やっと、目覚めたってところかしらね。」

まったく…遅すぎるのよ。

母は一人ごちると、玄関のドアにカギをかけると、うふふと微笑むと鼻歌を歌いながらリビングへ戻っていった。



****



学校の校門をくぐり、真っ先にテニス部室に直行して、ドアを開けたると

「おい!亮!こっち来い。」

秋田に腕を掴まれた。

まだ、随分と早い時間にも関わらず、すでに秋田がいることに驚嘆する中、無理やり部室の端っこへと移動させられていく。

壁際までくると、亮の首に秋田は腕を巻き付けられた。

秋田の腕の重みで強制的に少し屈む態勢になると、秋田は亮の耳元で「お前、知ってるのか?」と小声でいうと、険しい顔を向けた。

その雰囲気から、亮は何となく唯のことかと推察して、首を横に振る。

「唯ちゃん昨日の放課後…。」

と秋田が言いかけたとき、ガチャリと部室のドアが開いた。

その方向をみると、長野副部長が亮を見て

「宮川。ちょっと話がある。来てくれ。」

と、落ち着いた声が狭い部室に響いた。

部室の電気がついていなかったために表情はよく見えない。

ただ、長野からピリピリした空気が放たれていることだけは、理解する。

横目で秋田を見ると、首を振り一足遅かったという顔をすると険しい表情に変えて、顎で行ってこいと示す。

亮は無言で頷くと、長野の細長い背中を追った。



長野は無言で、テニス部室の隣にある空き部屋をドアを開け入っていった。

亮も導かれるがまま、そのあとを付いていきドアを閉めると、ずっと使用していなかった部屋の独特の鼻につく匂いが漂っていた。

長野は、何もない空間の真ん中まで来ると立ち止まり、亮に身体を向けた。

亮も対峙するように、長野の前に立つ。

長野は右手で眼鏡を上げた。

眼鏡の奥の目は、目は鋭く、少し怒りのような色が浮かんでいるように見えた。


「君、水島さんの件知っているかい?」

意外な人物からその話を振られて、一瞬戸惑う。

なぜ、長野副部長が知っているのか。

疑問符が脳内を埋め尽くしてゆくが、何とか奥歯で噛み砕き気持ちを落ち着かせる。

今の自分には唯の現状を把握するための要素があまりに少なすぎる。

少しでも唯の情報を得られるのならば得たかった。

情報源が誰であれ、形振り構っている場合じゃない。

亮は眼鏡の奥の切れ長の目を見る。

「聞いてません。何かあったんですか?」

きっぱりとそう聞けば、長野はやっぱりなと少し軽蔑したような眼差しで亮を見返してくる。

亮は目を逸らさずその目を見ると、長野はふっと息を吐いた。

「聞いておきながら悪いが、詳細は‥僕の口からは何も教えられない。水島さんに君には言わないでくれと口止めされたからね。

ただ、僕はたまたまその場に居合わせただけだということだけは、君に伝えておこう。」

長野のもったいぶった言い方に、亮はムッとするがこんなところで怒りをぶちまけたところで、何の解決にもなりやしない。

ぐっと気持ちを抑える。


長野はズレた眼鏡を掛け直すと、眼鏡の軋む音が部屋に響いた。

「君にとっては、その質問は耳にタコができるほど質問されたことだと思う。でも、あえて聞かせてもらうよ。君は、水島さんのことをどう思っているんだい?」

亮は眉をひそめ、長野の顔を凝視した。

だが、その顔からは何も読み取ることはできなかった。

ただ、いつもの冷静な長野の顔があるだけだった。


「宮川がいなかったら、僕はとっくに彼女に告白していたと思う。

でも、水島さんの隣が君ならば、仕方ない。そう思ったのは、君のことを僕は買っていたからだ。

なのに、いつまでも経っても君のハッキリしない曖昧な態度のせいで悩む水島さんの姿を見て、僕は間違っていたのかもしれないと思い始めているよ。

…僕の見立て違いかどうか、君の本心を聞きたい。」

そういって、長野は眼鏡の奥に鋭い光を携えて真っ直ぐ亮を見据えた。

長野のただただ真剣な眼差しが亮を釘付けになる。

重苦しい沈黙が二人を覆った。

この人の前では、嘘偽りは許されない。

そんなプレッシャーを感じながら、亮の双眸は揺れながら虚空を彷徨うと、目をとじた。

思い浮かんだのは、くだらないことを言い合って、俺の少し先を歩きながらむくれる唯の横顔。

そして、手を伸ばせば届く俺の隣で、屈託のない笑顔を浮かべる唯の姿だった。


「唯とは、幼稚園の頃からの幼馴染です。」

亮は、呼吸するように静かに言葉を吐くと、ゆっくりと瞼を上げ長野に視線を向けた。

「小さい頃から一緒で、それが当たり前でした。

これまでもその延長で、何も考えずこれまで過ごしてきました。」

どんな関係だって、俺たちは俺たちで、周りにとやかく言われる筋合いはないと思っていた。

「でも、周りはどんどん変わっていく。

少しずつ大人になっていく。

それでも、俺たちは変わらない。

それでいいと思っていました。」

でも、本当は俺も唯も少しずつ変わっていっていることに本当は気付いていた。

手放したくないと、より強く思っているくせに。

自分にとって唯がどれだけ大切な存在なのか十分すぎるほど思い知らされているくせに。

そんな微妙な距離感の中で、自分のせいで唯が傷つくことが多くなっていっていることも気づいていたくせに。

俺は、一歩を踏み出そうとしなかった。



「…幼馴染みだからという都合のいい理由をつけて、現実に向き合おうとしないことを正当化して考えないようにしていました。

……でも、それはもう終わりです。」


テニスだって、ものづくりだって、勉強だって、全力でここまでやって来たのは、唯のあのはじけるような笑顔が見たかったからだ。

唯がいたから、今の自分がいる。

いつも、唯の笑顔で勇気付けられてきた。

そんな単純なことも、近すぎて、当たり前すぎて、いつの間にか見えなくなっていったのかもしれない。

唯という存在が自分にとって、どれほどかけがえのないものになっていたのか。

今更ながら、痛感させられる。


今度は俺が唯を支える番だ。

もう悲しい顔をさせたくない。

辛い思いをさせたくない。

唯を失いたくない。

「唯は…俺にとって何よりも大事な人です。」

「その手を伸ばす勇気は、できたということかい?」

「はい。」

亮は長野から目を逸らすことなく、真っ直ぐいい放つ。

じっと亮を見ていた長野は、そうか…。呟くと、大きく息を吐いた。

「やっぱり、僕の見込み違いではなかったみたいだ。」

長野はふっと笑うと柔和な表情に色を変えた。

「君たちが幼馴染みという呪縛で雁字搦めになっていることを知っていたよ。僕になんかわからないくらい、それは身動きがとれなくなるくらい重く二人にのし掛かっているんだろうな。」

長野はドアの方へと歩みを進め始めた。

そして、長野が亮の横を通る時、亮の左肩をポンと叩く。

「…その呪縛を解くなら今だ。チャンスを逃すなよ。」

小さくそういうと、長野は静かに部屋を出ていった。


誰もいなくなった部屋で、亮はゆっくり空気を吸い天井を仰ぐと、深く息を吐いた。

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