いつもの二人 ~唯の思い~
「部活終わり次第、下駄箱集合な!」
「何それ。聞いてないわよ。」
「今言った。」
「勝手に決めないでよね。っていうか、何で?」
放課後の部活が始まるまでの隙間時間に、高校二年二組の教室から騒々しい二人の会話が廊下に響いた。
教室には数人残っていたが、そんなことは気にせず、二人は続ける。
「飯食って帰ろうぜってこと。」
宮川亮は、空いている席の机に座り少年のような人懐っこい笑顔を水島唯に向けた。
「テニス部って、いつも7時過ぎたりして終わるの遅いじゃない。そんなの待ってたら、私お腹すいて死んじゃう。無理。」
唯の色白の肌に際立つ長い睫毛を伏せると、茶色がかった長い髪を耳にかけて、再び机の上に置いてあった数学の教科書に視線を移した。
会話に興味を無くしたその横顔に、亮は気にも留めず話を続けた。
「今日は部長が所用ありのため、五時終わりってわけ。
今日はバドミントン部より絶対に早い。」
唯はパタンと教科書を閉じ、パッと顔を上げると半眼でじっと亮を見つめた。
その顔には信用なしと書かれているように見える。
「どーだか。
前もそんなこと言っておきながら、私随分待たされたんだからね!」
二人のやりとりは、クラスの当たり前の光景であり、名物でもある。
唯の親友である山形あさみは、背中で二人のいつもの会話を聞きながら、部活へ向かう準備を終え、二人の元へ移動した。
「テニス部の方、もうすぐ始まる時間ですよ」
亮は、唯の細い腕に巻かれている時計を目の前に引き寄せると、「やばいっ!!」
といいながら、唯の腕をポイっ投げて、慌てて自分の席に戻り荷物をひったくった。
「じゃあ、五時集合な!」
亮はじゃあな!と手を上げて、自慢の俊足で教室から出ていく。唯は呆気にとられていたが、首を降り正気に戻すと
「私は、いいなんて言ってないわよ!ちょっと!亮!!」
叫んだときには嵐が教室から吹き抜けた後だった。
先程までとは打って変わって、静まり返った教室。
気付けばこの教室に残されたのは、あさみと唯の二人だけになっていた。
「もう!!昔から、自分勝手なんだから!!」
唯は頬を膨らませた。
二人しかいない教室に唯の声がやけに大きく響く。
「ま、いつものことじゃないの。
ただの幼馴染み~なんて言ってないで、早く付き合っちゃいないなって。」
あさみは、それがごく自然なあり方だと、勝手に納得し、頷いた。
「あんな、宮川くんだけど、頭脳明晰だし、テニスも県大会優勝しちゃうくらいの腕前だし?
背が高くて一応イケメンと言われて。学校でファンクラブまできちゃうほどの人気者なのよ?」
あさみは、ウェーブがかったショートカットをふんわりと揺らして唯をちらりと横目で見ると、机に上に広げていた教科書やら筆箱を鞄にしまっているところだった。
「後輩から先輩までファン層は幅広いみたいよ。
「亮」とかゆー手作りうちわ持って テニスコートに、見に来てるらしいし。」
あさみは、唯も知ってるでしょ?と視線を向けて唯の様子を伺えば、鞄を膝の上に抱えようと持ち上げながら。
「本当信じらんないわよね。あんなガキっぽいのに。」
唯は、ポスンと膝の上に鞄を落とし、ため息をついた。
あさみは顎に人差し指を持ってきて、唯に対する亮の行動を回想させた。
「そーねぇ。あんたについつい意地悪しちのゃうところとか、男子が唯の近くに来たら邪魔しちゃうところとか、バーカとか暴言吐くところとか…。ま、中身は、完全に小学生の子供よね。」
そうよ、そうよ。
と激しく同意したいる唯を見て、あさみは「あなたもね」といいたいのを堪える。
私から見たら、二人とも子供よ。
亮は亮で、好きな子にちょっかいかけるとか大分幼稚なことをしているけれど「俺、唯のことが好き…かも?」くらいには、自分の気持ちに気づいていそうだから、まだ救いようがあるわよね。
それに引き換え、唯は…。
ちらりと唯の顔を見ると、不機嫌そうに頬杖をついていた。
あさみは、あからさまにため息をついた。
唯は無自覚過ぎるのよ…。
だから、早く自分の気持ちに気付けと時々刺激を与えてやらなきゃいけないわよね。
あさみは、それが親友である自分の役目だと勝手に思っていた。
「早くしないと、誰かにとられちゃうわよ。付き合っちゃいなさいよ。」
あさみはドンと机に両手をついて唯に顔を近づけた。
唯は頬杖をはずして、少し驚いて茶色い目を丸くしていたが、すぐに面倒そうな顔を浮かべた。
「また、言う?私たちただの幼馴染みだってば。
それ以上でもそれ以下でもないの。」
あさみは、そんな危機感のない唯を睨んだ。
「じゃあ、宮川君に彼女できちゃっても唯は平気なわけ?
そしたら、今まで通り私たち幼馴染みで家も近いんで、ご飯二人で行きます~、ちょっと遊びに行ってきます~。
なーんて、できなくなるのよ?
幼馴染みだからって、何でも許されるわけないの。
どちらかに恋人ができたら、今までのようにはいかなくなる。
恋人に今の唯や宮川君が座っているお互いの特等席を、譲ってあげなきゃいけないのよ?」
ふふんと鼻をならしてあさみは、机から手を離し、腕組みをした。
「…いいたいこと、わかるよ。」
唯は少し俯き、ぼそりと呟いた。
想定外の返答に、あさみは一瞬耳を疑った。
それって、つまるところ唯もとうとう自覚したってこと?
私の努力とうとう報われたってことよね?
思わず笑みが浮かべた。
が、それは束の間だった。
「…でも、私はそれでいいかな。」
「え?」
あさみは、何をいっているのか理解できず絶句した。
そんな様子のあさみに唯は苦笑いすると、鞄に置いて自分の手の甲をじっと見つめた。
「…なんていうか…亮はさ、
光に満ちた道を真っ直ぐ歩いて行くような人なんだと思うの。私、根暗だからさ。そんな明るい未来にに影を作ることなんかしたくないなぁって。」
その言葉に、あさみはみるみる顔色が変わっていく。
俯いていた唯は、それに気づくことなく続けた。
「亮みたいに、輝いてる人の横にいる人には、同じようにキラキラしてる子がお似合いだと思うんだ。
その方が、ずっとアイツらしくいられるはずだから。」
唯は顔を上げてあさみを見ると、息を飲んだ。
あさみは、憤怒の形相で、身を震わせていたのだ。
「何を言い出すかと思えば、そんなこと?」
あさみは何とか声を絞り出すと、鋭く唯を睨みながら興奮気味に口を開いた。
「唯は…どうしてすぐ自分の気持ちに蓋しちゃうの?
なんで、素直にならないの?そんなに、宮川君のことわかってて、思ってるのに。
傷つくことが怖いのは、わかるわよ。自分の素直な気持ちをぶつけたら、これまでの関係が壊れてしまうかもしれないって思う気持ちは。
でも、そんなの、どこの誰だって同じよ。
そんな、博愛主義者ぶって逃げないでよ!
私はね、あなたのそういうところ、大嫌いよ!」
あさみの叫びは誰もいない教室に木霊した。そして、その勢いのままあさみは教室を走って出ていった。
ハンマーでガツンと叩かれたような衝撃がずっと唯の頭に響く。
あさみは、高校入学当初からの仲だ。
性格は真逆であるのにやけに気が合った。
本当の親友であると、思えた友人はこれまでの人生であさみが初めてといっても過言ではない。
だから、あさみは私を本当に案じていってくれたということは容易に想像がつく。
素直に有り難いと思う。
嬉しい反面…ショックでもあった。
唯は、しばらく椅子に座ったままぼーっと教壇の上にある黒板を見つめた。
黒板には、うっすらと数式の羅列が残されていた。
あさみが言ったことは、何も間違っていないと、唯は思う。
私は、口では、あんな綺麗事を言っているけれど、本心は幼馴染みという居心地のいい関係を壊す勇気がないだけ。
素直な気持ちをぶつけて、これまで積み上げてきたものたちを跡形もなく、粉々にしてしまいたくないだけ。
ただ、傷付きたくないだけの臆病者だということは、等の昔に気付いている。
だから。
ずっと、本当の気持ちも思い出もすべて、心の奥底に大事に沈めておけば。
気付かない振りをしていれば。
キレイな思い出のまま、ずっと色褪せることなく、残すことができて。これまでと同じように幼馴染みの二人でいられる。
それで、いいと…そう思うのは間違っているのかな?
幼馴染みという距離は、お互いの体温が感じられるほど近い。
でも、いくら傍にいてもお互い背中合わせでいれば、どんな顔をしているかわからない。
幼馴染みなんて、所詮はそんなものなんだと。
私は、思う。
それでいい。
背中越しに温もりさえ感じていれば。
時には悩みを打ち明けあって、励まし合って。
笑っている声さえ聞こえれば。
近くにいられれば、それだけで。
唯は、立ち上がり黒板消しを手に取ると、うっすら残る白い文字を丁寧に消していった。
一人取り残された教室は、孤独を感じさせるには十分だった。