四話 「思いもよらぬ迫害」
青いに空に白い雲が浮かぶ。
やがて、その雲が割れて、その間から顔を出す眩しい太陽。
そんな透き通った光を浴びて、青空の下、色とりどりの鳥たちが自由に飛び回っている。
「ふぅ……」
その様な光景をいつまでも見上げて、空と同じ青い瞳を輝かせるソラは綺麗な光景に思わずそれ言葉に出来ない口が中の空気を吐露する。
あの場所にいる時では、上を見上げると見えるのは天井か部屋の照明であったが、それが今では透き通る様な青い空がいつまでも見られるだから。
木陰の間から日の光が差し込む。
ソラは眩しい日差しを防ごうと、手を頭の上に翳したその時、ふと手先に固い物が触れる。頭に生えた角だった。
昨日の自分に何が起きたのか、一体これが何なのか、何で私にこんな事が出来るのかなんて、あれから幾ら考えても答えが出てこなかった。
突然現れた角と尻尾の存在に、有り得ない速度の再生能力、そして驚異的な身体能力。そんな異変というべき変化に、ソラは不思議と不安の両方を抱いていた。
それに一番の異変と呼べる変化は―――
「どうしてこんな事に……」
翳していた手。
それに力を籠める様に意識する。
すると、浮き上がる様にして黒い鱗が生えていき、腕の体積が倍近くまで大きくなる。やがて、頭を覆う程大きくなった掌は差し込んだ光を完全に遮った。
腕を覆う黒い鱗だが、これには心当たりというか見覚えがあった。
研究所に居た自分を含めた他の子達。その皆の身体の何処かには、黒い鱗の様な物があった。
自分の場合、右肩にこれと同じ物がある。でも――――
私は腕を一度、近くの木に向かって軽く振ってみる。
すると、鋭い爪によって切り裂かれた木は抉り取られた様な断面を残し、仰々しい音を立てて後方へと倒れた。
「っ……!」
ソラは驚く、そして、もう一度自分の腕に目を向ける。
多分、これは普通じゃない。
少なくとも、研究所にいた他の人達に同じ事を出来る子はいなかった。
怖い。まるで自分が別の何かに変わっていく――いや、もう変わってしまったんじゃないかと思うと、途端に怖くなる。
「…………これは絶対に人に向けて使ったらいけないよね」
それに、もしこれを人に振るって、人があの木と同じ様に真っ二つになる……なんて想像しただけで背筋が凍り付きそうだ。
再び腕に、今度は力を抜く様に意識すると、覆っていた鱗は肌に吸い込まれる様に消えていき、腕の大きさも元の大きさまで縮んでいく。
やがて、元の大きさ戻った腕を目に、かぶりを振った私は、気を取り直して歩みを再開させた。
着ている服の裾の下から伸びる尻尾を地面すれすれの所で右へ左へ揺らしながら、人知れぬ森の中を歩き続けること数時間。
やがて周囲の森は途切れ、切り立った丘の様な場所に出た。
「わぁ……!」
どこを見ても、緑、緑、緑がどこまでも続く広大な景色。
凄く遠い先でここよりも更に高い山が薄っすらとちらほら見えるがそれを除けば辺りにここより高い場所が無く、視界は透き通ってクリアに広い範囲を捉えることが出来き、そのお陰でより一層広さを実感する事ができた。
すると、ここから遠くではあるが、やや手前の方で森が途絶え、その奥には広い平原の様な場所が広がっている。
そして、その平原の上。円形の高い壁に囲まれた内側に無数に建てられた建物の群れを見つけた。
「町だ」
遠くから見ても、両の掌でも足りない程広く大きな町を見てソラは呟く。
本でよく目にした事があった。
そこには多くの人達が住んでいて、幾つもの建物の中には、家の他に色々な店があって、沢山の物で溢れている。
そんな町の風景をただ本に描かれた絵で見ただけだけど、外の世界を知らない自分達にとって、そんな場所があるというだけで信じられない気持ちになって、いつかは行ってみたいな、と皆で口癖の様によく言い合っていた。
「町かぁ、一体どんな所なんだろう」
視線の遠い先にある町の外壁を見据え、ソラは足を踏み出した。
まだ見ぬ街の風景を脳裏に描き、期待に胸を膨らませ、軽やかな足取りで町を目指した――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――――去れ」
「え?」
町の門の前で待ち構えて兵士がそう言い放つ。
森を抜け、平原を只管走り続けた末に町の入り口であろう巨大な門を見つけ、そこを通ろうとした時の事だった。
自分の前の人がここを通る際には丁寧に対応していた兵士だが、順番が回ってきたを私の事を一目見るや、一変してその態度を変え、そしてソラが通ろうとするや否、手に持った槍で行く手を阻んだ。
「お前は駄目だ。早急にここから立ち去れ」
「ど、どうして私は駄目なの……?」
「…………」
ソラの「どうして」という質問に兵士は答えない。
そうしている間に、隣で兵士と話しをしていた一人が門を通って町の中へと入っていく。
「前の人は、さっきの人は通ってたのに、何で私は駄目なの?」
「ちっ」
嫌そうな顔をして舌打ちをする兵士。
ふと辺りを見回すと、目の前の兵士だけでなく、周りにいた人達までもが、こちらを指差し、なにやら軽蔑する様な眼差しを向けてくる。
その内、一人と目が合う。
すると、嫌そうな顔をして直ぐに視線を外された。他も同様に自分と目が合うと、嫌そうにし、ぼそっと何かを口ずさんでいる。
何か言ってる……? それに、なんであんな目でこっちを見てくるんだろう。
門番の兵士はソラを追い払うかのように押しのけ、手を振ると、次いで後ろに並んでいた人に話し掛ける。まるで違う扱いの差。自分だけ仲間外れの様な険悪な雰囲気に、ソラは少なからず心を痛める。
列を外れたソラは、どうして良いか分からずただその場に立ち尽くす。
それからも次々と隣を横切り、町へ入って行く人達。それなのに自分だけ町へ入れない事にソラは歯痒さを覚えた。何故なら夢にまで見た人の町が門を越えた先に広がっている。そう思うと居てもたっても居られない。
……よし。
一度深呼吸をし、意を決してソラはもう一度、兵士へ話し掛けてみた。
「あ、あの、私は町に入りた―――」
「消えろと言っているのが分からないのか!! 薄汚い亜人がッ!」
「っ!?」
話し掛けた途端、ソラの姿を見た兵士は大きく怒鳴り声を上げ、その手に持っていた槍の石突で足元を叩きつける。そして、次には槍を構えて、その鋭い穂先をソラの目の前に突き付けた。
「……薄汚い、亜人…………?」
――って、何の事?
『亜人』という聞き慣れない言葉にソラは困惑する。それに、何故この人は、その事でこんなに怒っているのだろうか。
「何で、こんな事するの……」
「二度は言わん」
恐怖で足が竦むソラ。
目と鼻の先まで迫って止められた槍の矛先は少しでも近づけば突き刺さってしまう。鋭い光沢を放つ鋭利な刃を見て、怖気づいたソラはそれに当たらない様に距離を取る為、一歩後退りをする。
これで一安心、と思いきや矛先は後と追う様に少女との開いた距離を詰める様に再び突き出される。
「何で、何で……」
一歩、また一歩後ろへ下がったとしても迫って来る。
なんで、ここまで自分に対して酷い事をするのか、幾ら考えても分からない。ただ自分は、町に入りたかっただけなのに。
「……このッ!」
いくら脅そうがどこへも行かない私に痺れを切らした兵士が、ついにその槍を大きく振り被った――その時。
「っ!!」
――キィイン。
「なっ、お前、何だソレは……」
咄嗟に自分の身を守ろうと身構えたソラの腕はひと回り大きくなり、そこには浮き上がった小さな刃物の様な鱗が腕全体を覆う。兵士の振るった槍は、頑丈な鱗に弾かれ、周囲に金属音を響かせた。
元々集まっていた視線が、響いた音の所為で更にその数が増した。そして、ソラの姿を目にした周りの人達は驚き、辺りは呟き声で騒がしくなる。
「……ぇ、あ、これは、その」
まずい。
周りの反応を見て、つい反射的にそう思ったソラは、直ぐに腕を抱きかかえる様にして隠した。
だが、もう既に手遅れだった。
「化け物が!! 等々正体を現したなッ!!」
「え……?」
その顔に驚愕の表情を浮かべて叫びを上げる兵士。その声を聞きつけた周りの兵士が、槍や剣を片手に集まり、自分の姿を一目見るや、皆口々に「化け物」と口にする。
「ばけ、もの?」
その言葉を聞いても、一瞬何を言ったのかが理解できなかった。
周りの兵士達の雰囲気は殺気立ち、その手に持った槍や剣を構え、険しい表情をしてこちらを睨んでいる。
なんで、そんなに私を見て怖がっているんだろう。まるで、人じゃない何か……化け物でも見る様な…………あ。
そこで、ようやく自分が、その『化け物』と呼ばれた事に気が付く。
「ち、違うっ! わ、私は化け物なんかじゃない!!」
「だ、黙れッ!!」
―――ヒュンッ。
突如、顔の真横を鉄の槍が通り過ぎ、その穂先が頬を掠め、赤い血が頬を伝う。
痛い。
そう感じる前には、流れていた血は止まり、傷口は煙を立てて瞬く間に治り始める。そして、ソラが頬に手を当てる頃には、そこに傷は無くなっていた。
「なっ、傷が……」
その光景を目の当たりにした周囲の兵士が驚く。
兵士達の顔に驚愕の色が浮かび、次にはより一層恐ろしいモノでも見るな顔をしてソラへ槍を構えた。
「最初は亜人族かと思ったが、どうやら魔獣の類だったらしいな!」
「人の姿に似せる事の出来る危険な奴だ、絶対に町に入れさせる訳にはいかないッ!」
「おい! 人をもっとこっちに呼べ!!」
「警備兵こっちだ!!」
兵士の一人が首に下げた小さな笛を吹き、甲高い音が鳴り響く。
すると、門の向こう側から怖い顔をした兵士達が皆、武器を手に自分の下まで駆け寄って来るのが見えた。
その皆が殺意の滲む様な目をこちらに向けて走って来る。それらの姿を見て、ようやく今の状況を察する。
こいつらは私を殺す気だと。
「――――」
恐怖に耐え切れなくなったソラは、その場から一目散に逃げ出した。
目の前まで迫っていた町への門に背を向け、それから全力で走った。
背後には町へ入ろうとしていた人達が長蛇の列をなしており、その中をお構いなしに突っ切って行く。
怖い。なんでこんな事するの。私は何も悪い事なんてしてないのに。
そんな逆走するソラの存在に気付いた周囲の者は、驚き、その姿を見て怯え、道を作るかの様に避けていく。
「何だ、あの悍まし姿は」
「亜人? 何でこんな所に」
「おい、こっちに来るぞ!」
「道を空けろ!」
周りの人も同じだ。なんで……私は化け物なんかじゃないのに。
向かう先々で周囲では人のどよめく声が、背後では「逃げたぞ」と兵士の叫ぶ声が聞こえる。
声という声が耳の奥で響き続ける。それら全ては、自分に対して冷たく突き刺さる。
なんで、なんでなんでなんでなんで…………。
そんな声を聞きたくないと、ソラは両の手で耳を強く押さえる。
走った。
時折、周囲から飛んでくる石が頭や背中に当たる。
投げられた石が額に当たり、血が流れる。でも、すぐに傷は煙と共に消えて無くなる。
走った。
周囲の嫌悪の視線に晒され続ける。
ふと、視界の先で自分と同じ位の年の少年を見つけた。
そんな彼でさえ、自分の事を見て、周囲と同じ様に眉を顰めて軽蔑する目をこちらへ向けていた。
走って、走って、走った。
振り返る事無く走り続けていると、いつの間にか人の声は聞こえなくなっていた。
町からはかなり離れ、後ろを追って来ていた兵士はおろか、辺りに人の影も無い。
でも私は走り続けた。
とにかく、人目のある場所には居たくなかった。こんな拓けた草原では無く、何処かに身を隠したかった。
やがて視線の先に私が元居た森を見つけた。
西の方角の方では段々と太陽が沈み、地上に陰りが落ち始める。夕焼けの日差しを受けた木々の間では陰りが差し、森の中には不気味な雰囲気が漂っていた。
だが、ソラはそんな森の中へ飛び込む様に入って行く。
「……こんな、筈じゃなかった」
そんなソラの呟く声は、夕日が差す深い森の中へと吸い込まれて消えて行った。