いいですか、絶対にこの襖を開けてはいけませんよ
数日後、リリアンはふらっと窓からヒロナリの部屋に戻って来る。
まるであの猛暑日に蝙蝠が飛び込んで来た時と同じように。
窓の鍵は開けられたままになっていた。
「ナリくんが恩返しさせてくれないから、外で男の人と遊んで来ちゃいましたよ」
悪びれる風もなくリリアンは言ったが、
ヒロナリにはそれが嘘であることがすぐにわかる。
「嘘つけ、前ここに居た時より
お前痩せてやつれてんじゃねーか」
「てへ、ばれましたか」
茶目っ気たっぷりに舌を出すリリアン。
「ナリくんに焼きもち妬かせて、痴話喧嘩の一つでもしてみる作戦だったのに、失敗しちゃいましたね」
ツッコミたいところは沢山あったが心に留めるヒロナリ。
「実はちょっとサキュバスの集まりがありまして」
本当はリリアンのあまりのやつれ具合を心配したサキュバスの仲間達が、リリアンを呼び出してヒロナリを諦めろと説得していたのだが、リリアンは絶対に諦めないと言い張って、ちょっと揉めていた。それで数日を費やすハメに。
そんな中でも愛倫だけはリリアンの味方をしてくれていた。
「どこかの誰かとセックスしてるんじゃないかとか、ちょっとは焼きもち妬いてくれたりしました?」
少し焦ってムキになって否定するヒロナリ。
「そんな、焼きもちなんか妬かねーし」
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そのことをヒロナリには言うまいと心に決めていたリリアンだが、嘘が下手で隠し事が出来ない性格 故、ヒロナリに細かいところを追求されると、ポロポロと綻びが出始める。
そんなことをずっとやっている内に、ヒロナリにもなんとなく話の内容がわかってしまう。
「お前やっぱりそろそろ仲間のとこに帰った方がいいんじゃね?」
それは本心なのか、それともツンデレなのか、帰って欲しいのか、ここに居て欲しいのか、自分の本心がどこにあるのかはヒロナリ自身にもわからない。
何かモヤモヤ、ムズムズする気持ちだけをずっと抱えている。
「いやです、そんなの嫌です……」
リリアンはヒロナリに背を向けて、ずっとそう繰り返す。
「お前このままだと死ぬんじゃね?」
「いいんです、それでもいいんです……
こっちに来たら好きな人とだけするって、決めたんです」
その言葉はリリアンの愛の告白に他ならなかった。
あなたが好きですとストレートに言われた訳ではないが、さすがのヒロナリでもそれぐらいはわかる。
リリアンはヒロナリに背を向けていたが、明らかに泣いていた。
目の前にいる自分好みの美少女が自分を好きだと泣いている。
そしてその気持ちのためなら私は死んでも構わないと泣いている。
自分の気持ちに素直になって考えてみればヒロナリが拒絶する理由などどこにもなかった。
いろいろと拗らせてしまっているヒロナリだが、命を賭して好きだと言ってくれる娘にきちんと向き合わずに逃げる程、まだ魂は腐ってはいない。
ヒロナリは泣いているリリアンを後ろから抱きしめる。
驚いて体をビクッと反応させるリリアン。
情にほだされたのか、リリアンのことが好きなのか、
それとも単なる性欲なのか、ヒロナリにもよくわからない。
むしろ自分のことだからこそわからない。
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そのままリリアンとヒロナリは初めて結ばれる。
リリアンは余程嬉しかったのか、ここでもちょっと泣いてしまう。
こういうところが百年も生きているサキュバスとは到底思えない。
経験のないヒロナリは、初めてのことであったので、セックスとはこういうものなのか、サキュバスがすごいのか、リリアンだから気持ちいいのかよくわからない。
ただ一度知ってしまうともう後戻りは出来ず、すぐに何度も何度も求めてしまう。
もちろんリリアンはいつも優しく微笑み受入れてくれる。
そのことでヒロナリが申し訳なさそうにすると、
リリアンは両手でヒロナリの頬を挟んで笑みを浮かべた。
そして、まるで引きこもっているヒロナリの心に向かって言うかのように語りかける。
「とことん逃げちゃって、何もかもみんな捨てちゃって、綺麗サッパリ忘れちゃって、どっぷりと沼にハマってみればいいんですよ、つま先から頭のてっぺんまでどっぷりと」
「ギスギスした心を、潤いでジャブジャブして、搾り取ってカスカスにするんですよ」
「心に溜まっていたもの全部吐き出して、体に溜まってたものも全部吐き出して、カスカスになった先に見える境地っていうのがあるんです、よ?」
それからヒロナリは何もかも忘れて、ただただひたすらに求めまくった。
過去の後悔も、未来への不安もない。
そうしたものすべてから解放される瞬間。
心の傷を拗らせて出来た膿を、
白い液体にしてすべて外に放出しまくるような開放感。
他者と繋がっている筈なのに、むしろ今まで以上に引きこもっているような感覚。
過去も未来も、思考も気持ちも、環境もすべてを忘れ
ただただ行為を繰り返すだけの獣、動物、もしくはただのセックスマシーン。
リリアンはそうしたもの全部をひっくるめて、肯定して受入れてくれている。
やりまくって疲れたら寝て、お腹が空いて目覚め、
ご飯を食べて満たされたらまたやりまくる。
延々とひたすらそれを繰り返す毎日。
そんな日々がしばらく続くと、確かにリリアンが言った通り、
自分の中にあった毒素が、忌み嫌っていた全部が、
すべて放出されて、中身が空っぽになった気がした。
自分がまるで無になったような。
遠い遠い昔異世界で、
サキュバス達のご先祖様は実態を持たない魂として、人に淫夢を見せてその魂を喰らう淫魔として忌み嫌われた。
現代のこの人間世界でサキュバス達は人の心を救い、魂を救うこともある。
そうして救われた者達は彼女達を淫魔だと思うのか?
それとも聖母だと思うのか?
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しばらくは元気に回復していたものの、
次第にまたやつれはじめていくリリアン。
しかしあれ以降、若いだけあってヒロナリもかなりのペースでやることはやっていたので精気は充分なはずであり、今度ばかりはヒロナリも何が原因なのかわからない。
「いいですか、絶対にこの襖を開けてはいけませんよ」
ある日突然リリアンはそう言って、押入れに潜り込で襖を閉めた。
『これは、鶴の恩返し的な奴じゃね?
なんか機とか織ってたりするんじゃね?』
開けるなと言われれば、開けたくなるのが人間というもの。
開けるなと言われなければ開けなかったかもしれない、そういうこともよくある。
開けたらリリアンが蝙蝠になってお別れを言いはじめるのではないかとかいろいろなことが頭を過る。
それでもやはり心配なので、
ヒロナリがおそるおそる襖を開けてみると。
普通にリリアンは押入れで寝ていた。
いや、寝ていたではなく正確に言えば、倒れていた。
心配を掛けまいとするリリアン。
「大丈夫ですよ、少し休めばよくなりますから」
明らかに様子がおかしいリリアンをヒロナリは問い詰める。
なかなか話そうとしないリリアンだったが、
やはり嘘が下手で隠し事が出来ない性格故、
最後は観念してヒロナリに事情を説明する。
「ナリくん、生命力とか精気とかあんまり多くないから、
アレの時もあんまり吸わないようにしてるんですよね……
でも大丈夫ですから、気にしないでくださいね……」
それはそうなる。
なるべくしてなった当然の結果。
普段いつもせいぜい部屋の中、
数メートル範囲しか動かないのだから、
体力はないし、筋力は落ちているし、
生命力や精気に溢れている筈がない。
リリアンは貰っても構わない最低限の精気だけ吸って、
後はヒロナリの精気を吸収しないようにしていた。
精気は吸っていないが、休む間も無く求めてくるヒロナリに応じていたら、リリアンの体力だけが著しく低下してしまったということになる。
好きな人を死なせる訳にはいかないし、
その人のげっそりやつれた姿なども見たくない。
そこにもまたサキュバスならではの矛盾がある。
リリアンの言葉にショックを受けるヒロナリ。
自分の体力の無さがリリアンに迷惑を掛けているとは思ってもみなかった。
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それからと言うもの、ヒロナリは体を鍛えはじめる。
引きこもりながら。
言い方は悪いが今のヒロナリはリリアンにすっかり骨抜きにされていて、リリアンなしの生活など考えられないぐらいのことを言い出しそうな勢いがある。
それはサキュバスの魔性どうこうではなく、恋をした人間が熱々の時によくなるもの。
なのでこの先熱が冷めはじめたらどうなるかはわからないが、今はひたすらトレーニングに励む。
腕立て、腹筋、背筋、スクワットをはじめ、筋トレ各種。
ダンベルや加圧用トレーニングウェアもネット通販で買い、
ついには家庭用ルームランナーを部屋に置く始末。
もうそこまでするなら外に走りに行けよという話なのだが。
一方のリリアンは体力が回復するまで押入れに引きこもっていることが多く、もはやどちらが引きこもりなのかよくわからない。
引きこもりの部屋の押入れに、もう一人引きこもりが引きこもっているという、なんだか意味がわからない入れ子構造になってしまっていた。
そうやって体力をつけようとしているヒロナリだか、時々ふと我に返ることがある。
「なんで俺引きこもりなのに体鍛えてるんだろ?」
そんな引きこもりのヒロナリではあるが、なぜか突然高等魔法が使えるようになったり、自分の部屋ごと空間転移させて、部屋に引きこもりながら外を自由に飛び回るというよくわからない荒技で活躍することになるのだが、それはまだまだ遠い先のこと。




