第一章 御前会議Ⅰ
この物語はフィクションです。登場する人物名・団体、組織名・地名・設定などは全て架空のものであり、実在するものとは一切関係ありません。
昭和16年10月某日、その日は開戦勅諭が下される御前会議が開催される予定であり、東条英機首相も覚悟の上で皇居へと向かっていた。しかし懸念があった。それはつい先月に軍令部総長永野修身大将が公務での移動中、交通事故にあい死去したことにより、海軍の首脳部人事に多大な影響を与えていたのだ。
「永野の後任には誰の名前が挙がっているんだ?」
海軍の内情に疎い東条は憲兵隊本部へ直接電話を入れて尋ねていた。
過去に憲兵隊が諜報能力に優れていることを発見して以来、東条は関係を強化させ、全国の憲兵隊上層部に東条の息のかかった人材を送り込んでいた。つまり東条は憲兵隊という組織そのものを東条個人の諜報機関として利用していたのだ。傑出した政治力や人心を掌握するようなカリスマ性も持ち合わせない東条が首相という地位に達したのはこの憲兵隊による力が大きく関与していた。しかしその憲兵隊の力をもってしても突破できない壁が二つ存在していた。一つは天皇家と皇族を守る宮内省であり、もう一つが海軍であった。
「首相閣下、海軍省、軍令部、更には各鎮守府から警備府に至るまで海軍は箝口令を敷いており詳しい事はなにも分かっておりません。」
電話の向こうで憲兵隊指令が恐縮していることが東条には分かった。
「赤レンガ(海軍省)と石垣(皇居)は憲兵隊をもってしても手に余るか……」
ここまで東条が後任の軍令部総長について心配しているのは、御前会議の席上で対利開戦について異を唱えられたりしては陛下が陸海軍の足並みが揃っていないことに驚かれ、開戦が見送られてしまう可能性があったからだ。後任者が前任者のような会議の席上で居眠りばかりしているような老人であれば問題はない。東条としては、やはり全会一致の前例を崩すことなく御前会議を結論にもっていくことができれば御上も躊躇なくご決断が下せるはずだと判断していた。
また東条のこの懸念はある意味で的を射ていた。
陸軍も海軍も相も変わらず基本的には年功序列で人事がなされているが、この序列でいえば海兵48期以降の現役将官で海軍大臣や聯合艦隊司令長官を経験した者から選ばれることになる。
しかし、50期までの者では高齢故病身でなくとも健康不安を囁かれている者が多く、その多くは提督の老人ホームと揶揄される軍参議官入りしていた。
となれば51期以降の者で選ぶしかなくなるが、既に海軍大学校校長や台湾総督への内定が決まっていたり大臣への就任直後の者などで適任者は自ずと限られていった。
結局、健康にも問題がなく陸上、海上どちらも勤務経験があり、海軍航空隊を一大勢力へと育てあげた実績から軍参議官からも文句を言われる心配もないことから経歴にはなんの問題もない人物がただ1人残った。それが現聯合艦隊司令長官の山本五十六である。
山本は海軍の代表的な対利開戦反対論者であり、過去には過激派右翼からの暗殺未遂事件もあったほどだ。
東条としてももっと早い段階で後任者が分かっていたのなら釘をさすなりのことはできたはずだが、分かったのはつい先日であり、調べてみると前職は聯合艦隊司令長官であり、ここ2年は陸上勤務とは縁ない日々を送っていたことが判明した。それならば最近の外交事情には疎いはずだとの判断から東条は特別な対策をとらなかった。
普段の東条であれば綿密に経歴を調べ上げ、山本が利国駐在経験があり、対利開戦反対論者であることくらいは掴めたはずだ。だが、後任者についての情報が掴めたのは御前会議の開かれる2日前であり、時間的余裕がなかった。
東条自身、このことが御前会議の行く末、果ては自分の今後の人生をも大きく左右する事態になるとは思ってもみなかったはずだ。