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Let it go  作者: COLORSTORIES
8/10

ヨガ 2

 酒と料理がすすむにつれ、なんと実津子と秋穂にも彼氏ができたということがわかった。実津子の彼は年下のイケメンスタイリスト、秋穂の彼は見目麗しいチョコレートの専門家なんだとか。専門家と聞いてショコラティエなのではないかと思ったが、作るほうではなく、ソムリエのチョコレート版のようなものらしい。

 みんな、この数年は彼氏ができる気配すらなくて(有希にはちょこちょこ男がいたようだが)、「老後は一緒にシェアハウスに住もうか」なんて話していたくらいなのに。そしてそんななか、風香だけがいつも彼氏持ちの愛されキャラとして君臨していたはずなのに……。


「不思議ね、一気にみんなに春が来たみたい」

 美保が朗らかに笑った。

「いっそ結婚パーティーも合同でやっちゃったりして!」

 久美が冗談ぽく言ったが、それこそ冗談じゃない!

「嫌よそんなの」

 つい、口に出してしまった。

「ええー、どうした風香。マジになっちゃって」

 みんなが一斉に自分を見つめたので、きまりが悪くなる。

「だって……、そういうノリが好きな人がパートナーとは限らないし……」

 芳樹はどうだろう。もし彼が“そういう立場”だったら、『是非みんなで祝おう』なんて言って、洋館でも貸切るのだろうか。ありそうだ。彼は、目立つことが好きだから。

 ―― 風香と一緒のときじゃなければ。

「それもそうね」秋穂がオリーブをつまみながら言った。「私の相手も、そういうの苦手そうだわ。とことん裏方が好きなタイプ」

「へえー。だから秋穂と合うのね」

 有希がちゃかすと

「黙らっしゃい」

 と秋穂が大げさに有希をはたいた。

 

 その後、会は三時間ほど盛り上がったが、風香は相槌を打つばかりであまりよく覚えていない。気づいたら、自宅アパートのドアに鍵を挿しているところだった。少々、いやかなり飲みすぎたのかもしれない。ふらふらと体を押し込むように家に入り、鍵を握ったままヒールを脱ごうと手をかけると、ピリッという刺激とともにストッキングに亀裂が入る。

「あぁ」

 おろしたてだったのに。

 横着した自分が悪いのだが、だからこそ苛立った。

 犯人である鍵を靴箱の上に放り投げると、キーホルダーの古びた汚れがいつになく目についた。ストッキングを脱ぎ、ピアスやネックレスも外すと冷蔵庫からハト麦茶を取り出して一息つく。スマホをタップすると、夜の23時前だった。週末の、特に夜中は電話はもちろんメールひとつだって芳樹に送ることはない。

 今日はたぶん、酒が指を動かしたのだろう。


“ちょっと飲みすぎちゃった”


 すでに帰宅していることは言わなかった。迎えにいこうか?なんて言葉は期待していない。ただ、“大丈夫?”とか、“帰り、気をつけてね”とか……何か一言でも、気にかける言葉が欲しかった。


 しかし、芳樹からは何の返事もなく、メッセージは月曜日まで既読にならなかった。





 美保から連絡を受けたのは、同窓会から一週間ほど経った頃だった。


“結婚式の二次会で着る服を見立ててほしいんだけど、頼まれてもらえるかな?”


 そう連絡を受けたときには、正直驚いた。

 美保とはサークルが一緒で付き合いが続いているものの、学生時代から特に仲が良かったわけではない。二人だけで出掛けた記憶もほとんどなかった。あまり共通の会話があるわけでもなく、いつもは久美や有希や秋穂など会話をスムーズにしてくれるメンバーがいるから成り立っていたようなものだ。

 しかし、めでたい出来事に対する依頼は断りにくい。

 これも結婚祝いだと思えばいいやと、風香は気まずさを押しやった。


 事前のリサーチも完璧にこなし、つつがなく買い物を終えると美保にお茶に誘われた。

「今日のお礼に奢らせて」

「え、いいって。こっちはお祝いのつもりで来たんだし」

「それはそれ、これはこれよ」

 普段は大人しい美保にいつになく押し切られ、デパートの最上階に位置する老舗の喫茶店に入る。

 美保はポットのストレートティーとショートケーキを。風香は悩んだのち、コーヒーとモンブランを頼んだ。ハーブティーがメニューにあるにも関わらず、コーヒーを飲むのは久しぶりだ。


「今日はいい買い物ができて本当に良かった。風香のおかげよ、ありがとう」

「たいしたことしてないけど、そう言ってもらえて良かった。あのワンピ、本当に似合ってたもの」

 コーラルピンクに薄いグリーンが配色されたレースのワンピースは、華やかだけれど派手すぎず、色白で清楚な美保にとてもよく似合っていた。

「……美保はさ、色が白いから、ああいう淡くて綺麗な色合いが映えるよ。いま着ている紺のワンピースもいいけど、もっと、明るい色の方が肌にも合うし似合うと思う。……その、個人的な意見だからスルーしてもらって全然いいんだけど、感想として」

 ぐだぐだと言い訳がましいのは、こういうことを他人に言うキャラではないからだ。なのにな何故、今日に限ってそう言う気になったのかは自分でもわからない。

 めずらしく、二人でお茶などしているからだろうか。

「ありがとう、すごく嬉しい」

 美保は、風香の言葉を真っ直ぐに受け取ってくれた。それはそれで気恥ずかしいが、快く聞いてくれてホッとする。

「今日買ったような服をずっと着てみたいって思ってたんだけど、職場に着ていくには華やかすぎるし、薄い色って汚れも目立つし……あまり新しい服を買う余裕もなくって、先送りにしてた」

 暗にお金がないと言われて驚いた。美保はお堅い会社に勤めていたはずでは?

「みんなには言わなかったけどさ、前に勤めてたところの契約が終わっちゃって、三か月ぐらい無職だったんだよね。この年で独身無職はさすがにきつくって、服を買おうなんていう気にもならなかったんだ」

「そうだったんだ、知らなかった。……大変だったんだね」

「うん。すごく落ち込んでたんだけど、そんなときに彼と付き合うようになって、次の仕事も決まって……ようやくこうして服も買えるし、落ち着いてお茶も飲めるようになってきた」

 ふふっと美保が笑った。カップを持つ指先にはペールピンクのネイルが塗られていて、それはとても美保らしい、と風香は思った。

「そっか。みんな、色々あるんだね」

 結婚が決まって幸せそうに見えるけれど……たしかに幸せなんだろうけれど、それだけではないこともあるのだ。

「風香は?」

「え?」

「どうなの、最近」

「どうだろう……」

 スプーンでコーヒーをかきまぜてみたけれど、ブラックで飲んでいたことを思い出して慌ててソーサーに戻した。

「彼氏は?」

 今日の美保は、やけに遠慮がない。

「うん、まあ、相変わらずって感じ」

「長いよね。何年だっけ?」

「9年くらいかな」

 もうすぐ9年と9か月になる。九九を唱えたら最後の並びだ。

 最後まで来てしまったら、次はなんと唱えれば良いのだろう?

「私さ、今の彼と付き合うまで、自分が結婚するなんて思いもしなかったの」

 美保が、窓の外を見て目を細めた。

「だってさ、特にキャリアもなくて派遣社員で契約も切れた30代半ばで彼氏なしで出会いすらない…って、どう考えても突破口が見えないじゃない」

 うん、とも、ううん、とも言えずに黙ってコーヒーを飲んだ。

「でも、急に幸せが降ってきた」

「それは美保が魅力的だからだよ」

 美保は地味で、目立つ特徴のようなものはないが、顔は整っていてスタイルもすらっとしているし、何より真面目だ。多くの男性は美保のようなタイプが好きだと思う。学生時代に、仲間の誰が一番先に結婚するかな…なんて話をしていたときにも、みんな一致で美保だと言っていた。

「私がそうなら、風香はもっとそうだよ。だからさ、幸せになろうね」

「えっ?」

「私だって幸せになりたいけれど、風香にだって幸せになってほしい」

 窓の外を見ていたはずの瞳が、真っ直ぐに風香を射抜いていた。

 やけに確信めいた口調に、言葉が出てこない。

「結婚がすべてとは思わないけれど。風香を9年も放っておくような彼を、私はあんまり信用できないな」

 美保ははっきりとそう言い、にっこりと笑った。何も訊かれなかったが、それはきっと確信があるからなのだ。

「……いつから気づいてた?」

 何に、とは言わない。

「結構前から、何となく。付き合いが長いわりに、誰も風香の彼氏に会ったことがないでしょ?」

 写真すら見たことがないこと、でも頻繁に高価なプレゼントをもらっていること、その割には一緒に出掛けた話をあまり聞かないこと……などが年々降り積もって、疑いが濃くなっていたらしい。先日の同窓会で集まった際、美穂の婚約からみんなの結婚に話が及び、みんな同じことを感じていたとわかったのだという。あの、風香が到着する前にみんなから受けた視線は気のせいではなかったのだ。

 ―― ずっと前から気づいていたなんて。

 彼氏がいないというみんなの前で、やれバッグだアクセサリーだとプレゼントを自慢していた自分の浅はかさに、顔を通り越して脳まで真っ赤になるほど恥ずかしかった。


 美保は店を出た後も変わらぬ様子で「今日はありがとうね、またねー!」と手を振っていたが、彼女に服を選んでいたのが一昔前のことのように感じられる。それほど、その後のショックが大きかった。

 家に帰り、靴箱の上にキーホルダーを置いた。F&Y。風香と芳樹。「いつも心は一緒だよ」という言葉とともに贈られた。出会ったころから、芳樹は嘘はついていない。指輪は常に薬指に輝いているし、週末は会えないとあらかじめ言われている。それでもいい、と思っていた。

 一番愛されているのが自分なら。

 このキーホルダーのように薄汚れてしまったのは、はたして二人の関係なのか、風香の気持ちなのか。永遠をともにするつもりだったのに、たった9年で音を上げている。


“こんばんは。忙しいと思うけれど、話したいから電話をちょうだい。何時でもいいから”


 メッセージを送信する。

 日曜日の18時。一般家庭ではきっと、夕飯の時間だろう。小学生の子供がいる家庭なら、なおさら。

 しかし風香は、彼からの連絡に賭けてみることにした。この数年、週末に連絡をしたのは先日と今日の2回だけだ。これだけ我慢したんだから、たまのわがままも許されるはず。むしろ、めずらしいこともあるもんだと心配して連絡をくれるかもしれない。

 いつ電話が来てもいいように、夕食は軽くスナックをつまみ、風呂に入っている間も着信音を聞き逃さないようにスマホをドア脇に置いた。トイレにも持ち込んだ。でも、一向に着信はない。

 24時過ぎに既読になって、いつ連絡が来るかと思い寝ずに待っていたが、朝になっても着信はなかった。



 芳樹からの着信があったのは、メッセージを送った翌日の昼、13時過ぎだった。

 風香の会社はタイムスケジュールがしっかり決まっていて、13時きっかりにランチタイムが終わる。それを知っているはずなのにこの時間にかけてくるなんて。

 それとも。まさか、忘れているの……?

 電話に出られないままでいると、今度はメッセージが届いた。


 “連絡してくれたんだね、ありがとう。忙しくて出られなかった、ごめんね”


 夜中の24時過ぎから翌日昼間まで忙しいって、どういうことよ?

 どんなに遅れてもメッセージをもらえて嬉しかった気持ちが、どんどんしぼんでいく。


 『風香を9年も放っておくような彼を、私はあんまり信用できないな』

 美保の言葉が蘇った。


 結局、芳樹に電話を折り返すことができたのは、定時を過ぎた18時ごろだった。


「もしもし」

『もしもし、お姫様。ご機嫌いかが?』

 いつも心地よく思えた口調が、無機質に聞こえた。

「あまり良くないわ」

『電話に出られなくてごめん。前にも言ったと思うけれど、週末は難しい』

 難しい、ってどういうこと。はっきり言えばいいのに。

「連絡するなって言われているのに、しちゃってごめんなさいね」

 つい、棘のある口調になってしまう。

『……風香。今夜の予定は? お詫びに美味しいものでも食べに行こう。風香が好きそうな店を見つけておいたんだ』

「もう会わない」

 その言葉は、考えるよりも先に出てきた。

『……何かあった?』

 芳樹は、驚いた声ではなかった。まるで、迎え撃つみたいにスムーズな返事だ。

「何もないわ。これっぽっちも」

 何もないのが問題なのだ。本当に、9年間、何もなかった。

『先週から様子がおかしいね。同窓会で、いい男でもいた?』

「はっ?」

『元カレにでも再会したのか? 夜中に急に思わせぶりな連絡を寄越したりして……、迎えにいけなくて悪かったよ』

 ああ、芳樹は本当に、忘れているのだ。

 それとも、覚える気がないのかもしれない。

 風香は突然、憑き物が落ちたような気持ちになった。

「さよなら」

『風香』

「何度も言うようだけど、私が通っていたのは女子大よ」

 画面をタップして、通話を切った。


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