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月夜の悪魔と捨てて手に入れた幸せ

作者: 雨藤行実


 月夜、男の前にこの世のものとは思えぬ髪の長い女が立っている。

 女とは言ったが、実際の性別は判断ができないような美しい容姿の持ち主だった。

 そんな女が、じっと男を見つめている。


「私は悪魔です。あなたの願いを叶えましょう。ただし、叶えた分と同じだけの対価は頂きます」


 男は人生に退屈していた。

 研究者としての仕事も三流、容姿もイマイチ、金も無ければ地位もない。


 そんな人生が変わるのであれば誰に何を売っても良いと思ってしまった。

 実際の所、自分の人生になど全く期待をしていないのが本当で、売るも売らないも、ゴミをゴミ箱へ投げ捨てるのと同じぐらいの感覚で悪魔の返答に答えたのであった。


「俺は『幸せ』というものがいまいちわからない。それを実感させてくれるように願いを叶えてくれ」

「人間の『幸せ』ですね。良いでしょう」


 こうして悪魔と男の生活が始まることとなった。

 劇の世界のファウスト博士とメフィストフェレスのような絶望と歓喜のジェットコースターに巻き込まれることは決してなかったが。


「一つ目の願いだ。自社の株を買ったんだよ。一気にじゃなくていい。周りに不審がられないように、我が社の業績を徐々に上げて欲しい」

「良いでしょう」


 悪魔は一つ返事で頷いた。

 それから一ヶ月が過ぎた。


「すごいな。少しずつだが本当に変わってきている。出資先や取引先が増えるし、自社の生体冷凍技術の開発も順調に行きそうだ。これなら幸せになれそうな気がするよ」

「願いは叶いましたか?」


 モニタを眺める男は上昇しつつある株のグラフを眺めて感心していた。

 だがこれが人並みの幸せかと考えると、まだ足りないと思い直す。


「いいや、まだだ。邪魔なやつがいるんだよ。あいつがいる限り俺は出世できないということはないが永遠に二番手だろう。あいつをどうにかしてくれ」


 男は研究員として三流だった。

 決して頭が悪いわけでもセンスがないわけでもない。

 ただ、上には上がいるということを知ってしまっただけ。

 男よりもずっと優秀な同僚は社運をかけた生体冷凍技術の開発を請け負っていたのだ。

 奇しくもそれは男が就職時にこの企業を選んだ理由でもあった。


「良いでしょう」


 悪魔は表情一つ変えずに頷いた。

 それから三ヶ月が過ぎた。


「すごいな。あいつのデータ改ざんの証拠を掴んだぞ!研究費用をかき集めるための苦肉の策だったらしいが、これで全て終わりだ。あいつも馬鹿だな」


 優秀な研究者にも悩みがあった。

 いくら会社の業績が上がったとしても、莫大な研究費用を捻出する術を研究者は持っていなかった。

 可能性にかけることを人間は恐れる。

 期待の形は金銭の額だ。

 不安定な物に確実な物を積み重ねていけるほど人は強くない。

 高笑いする男の隣には悪魔が一人。


「もう願いは叶いましたか?」

「いいや、まだだ。金も地位も手に入れたが、この容姿が気に入らない。俺を誰もが憧れる容姿にしてくれ!勿論人間の範囲でだぞ」

「良いでしょう」


 次の瞬間、男の容姿は変わっていた。

 鼻は高く、目はスッと切れ長に、高い身長に整ったスタイル。

 男は鏡を見ながら頬を引っ張る。


「一晩で溶ける魔法、ってことはないよな」

「あなたが『幸せ』に欠かせない一部ですから、そう簡単に解けたりしません」

「出掛けてくるよ」

「今日は雨が振りますから、傘を持っていくと良いでしょう」

「ああ、ありがとう」


 男は仕事以外で家の外へ久しぶりに外出をした。

 数時間後、興奮しながら男は家に戻っていた。


「すごいじゃないか!!道を歩けば誰もが振り返るし、俺を振った女から昨日は食事に誘われたよ。会社の広報担当から宣伝に出てくれって声も掛かってるし、なんだかよく分からないが雑誌か何かのスカウトもされてしまったぞ」

「それは良かった。これで願いは叶いましたか?」


 男は考える。自分の幸せには何が足りないのかと。


「いいや、まだだ。金も地位も容姿も手に入れたが名誉がない。俺をヒーローにしてくれ!」

「良いでしょう」


 男は自信を持って家の外へ出ていった。


「すごいじゃないか!道に倒れていた女の子を介抱したら、それが、なんと何処ぞの国の王族だったんだ。すごく感謝されて命を助けてくれた俺と結婚したいと言ってくれたぞ!もちろん、子供の言うことなんて断ったけどな」


 そうして十年の時が流れていた。

 男の年齢は三十半ばに差し掛かろうとしていた。

 悪魔は相も変わらず男の隣に佇んでいた。

 食卓には悪魔が男のために作った料理が並べられている。


「全ての願いは叶いましたか?」

「金も地位も容姿も名誉も手に入れた。だがまだ何かが足りない気がするんだ……」


 悩む男に悪魔が口を挟む。


「『妻』がいないではないですか。美しい妻と家庭は幸せに欠かせないのでは」


 そう、男には家族が足りない。


「確かに。妻がいないね。でも俺は家族なんていらないぜ。お荷物を抱えて暮らすぐらいなら永遠に独身貴族として気楽にやっていくさ。何もかも持っている俺になびかない女なんていないからな。願いはまだまだあるんだ。君もまだいてくれるよな?」

「……良いでしょう」


 悪魔は男の瞳をじっと見つめた。

 男の瞳にふと映る、悪魔の表情はどこか不安そうにも見えた。


「君は俺に何でも与えてくれた。どん底で全身にカビが生えて死んでいくような俺の人生はお前のお陰で誰もが羨むような物に変わった。どうしてここまでしてくれるんだ?お前は俺に何か望む事はないのか?」


 男は長い間ずっと一緒にいるのに、初めて悪魔の顔を見た気がした。

 そして、どうにも何かをしてあげたくてたまらない気持ちになったのだ。

 与えられるばかりの男にもしてあげられることがあるのではないか、そう思ってしまった。


「私がお前に望むこと、ですか」

「そうだ。出来る限りのことはしてやりたいと思っているんだ」

「お前の幸せこそが私の幸せに繋がるのです」

「君はそれで良いのか?」

「私はそれさえ叶えられれば良いのです」


 そんな問答を何度も繰り返し、季節がまためぐるころ。

 相変わらず悪魔と男は二人っきりの穏やかな日々を過ごしていました。


「やはり、お前の願いをまだ叶えていない。お前にはまだ足りない」

「それは上司や部下がこぞって言う、家庭がないということか」


 男は皮肉る。


「ああ。お前に『妻』を用意してやっていないでしょう」

「それが君の幸せなのか?俺に与えることが?それなら、俺は君でもいい。君だってそれなりに、いや人並み以上に美しく素晴らしい能力を持っている。君が俺と結婚すればいいんだ」


 長い間悪魔と過ごしていた男は、悪魔をいつの間にか特別な感情で見るようになっていた。


「それは出来ない。私はお前に幸せになってもらわなくてはならないからです」

「――君にそこまで言われたらそうするしかないな……。今までの付き合いもある。君の望みを邪険にすることはしないよ。君が望む最高の『妻』を連れてきておくれ。俺はその人を一生幸せにすると決めよう」

「良いでしょう」


 数日後、男の前にはあの時の少女がいた。

 だが、少女ではなく立派な女性となって。


「君はあの時の?」

「私、助けてくれたあなたのことがずっと忘れられなくて。あなたと恋人になれなくても結婚できなくてもいい。反対する父と母を振り切って国から出てきました。もう行くところもありません……側に置いて頂けませんか?」

「いや、いいよ。俺と結婚しよう」


 花のように笑う男の妻の背後で、悪魔は笑う。

 そして、月日はまた流れる。


「あなた。子供が出来たの!」

「本当に本当か!?」


 男に妻がかけよって抱きついた。

 男はわずかによろけるが、妻をしっかりと抱き寄せる。


「本当に本当よ!」

「ああ、ありがとう!よくやってくれたな!これからも絶対に君と子供を幸せにするって誓うよ!」

「ええ。これからは三人ね!」


 二人はいつまでも笑っていた。

 男の隣で悪魔は優しく微笑む。

 そして、消えてしまうと男に娘が生まれても姿を表すことはなかった。




 仕事で遅くなったある日、家路を急ぐ男の背後に忍び寄る影。

 月明かりに銀のナイフが一瞬輝くと、鮮血に染まる刃が現れた。


「おま、え……」

「お前だけは許さん」


 怒りと罪悪に顔を歪ませながら、かつての同僚は男を一瞥する。

 だが男の顔は依然、月を捉えていた。


「俺とともに地獄に落ちろ」


 立ち去っていく同僚には目もくれず、男は息も絶え絶えに誰も居なくなった暗闇に語りかける。


「俺の幸せを祈ってくれたのではないのか?お前は俺のことを愛してくれていたのだと……俺だってお前のことを忘れたことなど無かった」


 美しい悪魔は男を見下ろしながらこう言った。


「あなたの幸せを祈っていましたよ。私は過去・現在・未来を飛び越え願いを叶える悪魔。私はあなたの娘をひと目みて恋に堕ちました。あなたの娘は二十の誕生日を迎える前に病魔に犯されて息絶えるでしょう。私の力は悪魔の力、等価交換の力。命を願う人間は命を差し出さなければならない。心優しいあの娘が誰か他人の命を奪ってまで生きたいとは願わない。私は救うことは愚か、それよりも酷い目に合わせることしかできないでしょう」


「ならば、なぜ」

「たった一つ、救う方法があります。臓器移植です」


 男は全てを察した。


「ああ、我が社の生体冷凍保存か」

「ええ。そうです」

「等価交換では釣り合わないぞ」


 男は口元から血を溢れさせながら、ごぼごぼと言う。

 言葉にならない言葉がこみ上げてくる。


「まだ足りませんか?」

「貰いすぎだよ。俺は金も地位も名誉も容姿も、そして美しい妻と娘の命も手に入れた。妻のことは愛していた。尊敬もしている最高のパートナーだ。だが、心の底から愛したのは君だけだ。君だけなんだ。君に見送られて地獄へ堕ちるなら、こんなにも幸せなことがあるだろうか?」


「そういう強情な所は母親似かと思っていましたが、あなた似だったのかもしれません」

「ありがとう。最後に一つ、貰ってもいいかな?」

「言ってみなさい」


「君と娘で幸せになってくれ」

「……良いでしょう」


「さようなら、あの子の幸せを願うあくまよ」

「願いは、叶いましたか」


 瞼を深く閉じて静かに笑う男の顔が変形し終わると、既にそこには誰も居なかった。


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