故郷と村の少年
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カーンカーンと遠くの方から鐘の音が聞こえてくる。午前の農作業が終わり、昼休みに入ったという合図だ。俺は立ち上がり大きく後ろにのけぞる。
「うっぅぅん」
何とも言えない声を出しながら腰をポキポキと鳴らす。
「お疲れさま」
「いっ」
落ち着いた声とは裏腹にバシッと思いっきり背中をたたかれる。
またか、と思いながら恨みがましく振り返ると案の定そこには幼馴染の女の子、ミウがいた。
「お前……これで何回目だよ」
「え、ご、ごめんなさい」
これが毎回のやり取りだから困る。細身のくせして力はかなり強い、そのうえ何回まず声をかけろと注意しても治らないのでもう半分あきらめている。
「まだ強いの……」
しかも叩くたびにこうやってぶつぶつと何かをつぶやくのがまた怖い。
昼休みに入るたびにこうやって俺をご飯に誘いに来るので、そのたび俺も注意を払っているのだが必ず不意を突かれてしまう。
「まあいいや、じゃあ飯食いに行こうぜ」
「ええ」
昼休みとはいえそう長くはない。急いで食事処に向かう。
今日も今日とて、メニューは芋ご飯であった。
「何日連続だよコレ」
「そうねー」
昼ご飯は簡素なものということに文句はない。が、さすがにこう毎日連続で芋ご飯だとなんか……気持ちが萎える。
ミウは地主である村長の娘だが、昼御飯だけは村の全員で食堂に集まって食べる。という慣習があるためこの時ばかりは贅沢とはいかない。
「まあしょうがないわよ、前回の狩りから結構経ってるし」
「そっか、じゃあそろそろ狩りの時期か」
狩りとは村の精鋭が村の外に出向き魔物や怪物、あるいは普通の動植物を取ってくる定期的な食糧調達である。
「今回は何処に行くって?」
「ええと、確か海沿いにチアイの辺りまで行くって言ってたわ」
ミウは一般的な村娘だが、村長の娘なのでそこらの人より村事情に精通している。
「チアイなら魚介類が期待できるな。この時期だとマダイなんかがいいな」
芋ご飯を掻っ込みながらボソッと言葉をもらす。
「マダイがいいのね? じゃあ言っといてあげる」
小さくつぶやいたのに聞かれてしまったらしい、でも事実なのでそのまま否定しないでおく。
「でも俺もそろそろ狩りとかに連れて行ってほしいな……なんて」
「え……やめておきなさいよ、ヨウなんて村から出た瞬間に食べられちゃうわよ?」
「そ、そこまで弱くないわ!」
否定したとはいえ、ミウの言ってることもあながち間違いとは言い切れない。
この村は外界からの接触を一切受け付けないため、村の外周にはぐるっと木の壁がそびえている。ゆえに、俺やミウのような子供は一度たりとも外の世界を見たことがない。
村と外界を結ぶのはいくつかある門だけであり、そこの門を許可なく通るのは禁忌だ。そのうえ常にいる門番が通してくれないだろう。もちろん、内から外だけでなく、外から内も厳しく禁じられている。そのため、魔物はおろか旅人さえも村に入ることはできない。
この村は完全に外界から遮断されているのだ。
そんな村に育った俺が密かに旅に出たいと思うようになったのは必然だろう、まあ他にも理由はあるのだが……
カンー……、短い鐘が一回、つまりお昼休み終わるまであと少しということだ。
「やば、早く戻らなきゃ親父さんに怒られる。じゃなミウ」
「あ――うん、またね」
ミウはまだ何か言いたげだったが、どうせ俺が外に行きたいということを辞めさせようと説教するに決まってる。こういう時は逃げるが勝ちっていうしな。
俺の住むこの村はカオズシという地域の辺境にある村、イカワの村という。周りを山々に囲まれている上に近くの村との交流もなく、新たな魔王の影響もかなり少ない。よく言えば平和な、別の言い方をすると代わり映えしない退屈な時間が流れる地域だ。人生の主なイベントは冠婚葬祭のみ、住人はみな排他的で新しいことを嫌い、伝統に重きを置く。ザ・田舎といったところか。
村に数冊しかない外界のことが書いてある本によれば、外の世界にはすごく大きい池である海というものや、どこまでも広がる平らな大地、一面に砂しかない砂漠といった信じられないような地域が山ほどあるという。
そのうえ、そこにはその場所特有の生物が、その地域特有の料理が、その場所特有の環境があるという。これを見ないままただ、安全だからと言って村に一生引きこもって死ぬなんてもったいない! と俺は考えていた。しかし、この考えはこの村では異端であり全く歓迎されない。それどころか下手したら監禁ぐらいされてしまうだろう。だからこそ、この村でたった一人しかいない年齢が近い友達のミウにでさえ打ち明けられずにいた。
……打ち明けられないからこそ、ここまで外へ行きたくなっちゃったんだろうな。
カーンカーン、そんなことを考えながら作業していると、いつの間にか午後の仕事も終わっており、気がつけばもう日も暮れている。
「おっとまずい、早く晩御飯の準備しないと」
辺りが暗くなっても大丈夫。村の中心にある村長の家の屋上にはなぜか一日中燃えている松明があって、その光が届くところであれば足元の高低差がわかるぐらいには明るく照らしてくれるのだ。その灯りを頼りに家まで帰り、さっそく調理を始めようと準備をしていた時だった。
ドサッ!
「んえっ?」
家の外から何か大きなモノが落ちたような音が響いた。その後、耳を澄ますが音はない。
俺の家は壁のすぐそばにあり、門からはかなり遠い。加えて、近くにほかの家はなく、何かが落ちるような要素は皆無である。
「お、おい! 誰だよ?」
家の外に届くよう声を張って見えない何かに問う。……返事はない。鳥が落ちたのか? いや、そんな軽い音じゃなかった。
「まさか、まずったか?」
思わず後ずさりながら小さく呟く。
あの音、明らかに普通ではない。もしかしたら壁を乗り越えられるほどの魔物、もしくはそれに類する何かだと考えられる……が、壁には触れるとけたたましく鳴り響く警鐘の魔法がかけられていたはずだ。
それを無音で乗り越えられるほどの魔物? でもだとしたらなぜ着地の音は聞こえたんだ? なにが起きているかは不明だが、この状態はまずい。声を上げてしまったことで、こちらの存在をみすみす発信したようなものだ。
「ど、どうする……逃げるか? でも――」
でも、ドアを開けて何かと遭遇したらどうしよう、そう言いかけてやめた。言ってしまったら現実になってしまうような気がしたのだ。それに、近くに助けを求められるような民家はない。
「ははは、なんかいつもより独り言多いな……もう暖かい季節のはずなのに変な汗かきまくってるし」
小さく乾いた笑いを上げながら、不安を打ち消すため必死に言葉を紡ぐ。
あれから音はない。あえて着地の音を聞かせたのは罠か? ……いや、もしかしたら気のせいだったかもしれない。だんだんとそんな思い込みが思考を支配してくる。
「そうだ、きっと気のせいだ……扉を開けて、確認しなくちゃ……」
脳の片隅ではそんなわけない、あんな大きな音聞き間違えるはずがない! とガンガン警鐘が鳴り響く。しかし、同時に思考の大多数を占めるのは、扉を開けて確認してしまいたいという思いだ。二つの正反対の思考に支配された俺はきっと、一種の錯乱状態なのだろう。そう客観的に見れる理性も残っていたが、早く安全を確認したいという欲望に勝てず、俺はついに扉に手をかけた。
ヨウ-主人公
ミウ-幼馴染