祖父のこと
一緒によく散歩しました。でも覚えているのは、ごく僅かなことばかり。
祖父は背が高い人で、私が掴まるのは祖父の中指だけで精一杯。
白い綺麗な、そして少しふっくらした指と手の持ち主でした。
二歳の夏、お寺に行く途中のお店で水槽に飼われていたワニを飽きずに見ている私に、
「もう行こうね」と優しく促してくれたこと。
三歳になって、三月に引っ越して、新しい家の周りを散歩して、ふいに鼻をうつ良い香りに足を止めた私に
「どうしたの?」
「いいにおい。なあに?」
「あぁ、ジンチョウゲだね。春に咲く花だよ。あの生け垣に咲いているだろう。」
そう言って、花を一つ摘み取って鼻の近くに持ってきてくれたこと。
夏になって、夕方、庭の草に水をあげていたら、敷石に水がかかり、西日が当たって光るのが綺麗で。楽しくなって水を撒き続けているうちに土が流れて石を汚してしまい、祖母に叱られた時。祖父が
「綺麗にしようと思ったんだよな。」
そう言って庇ってくれました。
でも、あの日。
祖父が急に倒れて。
いつもは居間に布団なんか敷かないのに、布団が敷かれていて。そこに祖父が寝ていて。
会う度に優しく挨拶してくれる近所の医師が、見たこともない厳しい顔をして。私に、
「声をかけてあげてください」
なんて、まるで大人に言うような口調で。
何もかもが怖くて。
私は何も言えませんでした。三歳の夏の終わり。小学生の姉の、二学期が始まってすぐのこと。
その後、三歳の十一月。
七五三のお参りで、掴まった父の手。
固くて、色も黒くて。戸惑いながら歩きました。
今でも、あの時、「おじいちゃん」と言えていたら、
もしかしたら、大好きな祖父は逝かずに済んだかもと
思ってしまうのです。