おまえにだけは言われたくない台詞
「俺らの知り合いのお姉さんです」
返事に詰まった俺の横で、音がスラスラと山崎先輩に返事をする。
本人サラリと答えてるつもりだろうけど、これは相当イラついてる声だ。なんてったって、相手は生まれる前から一緒にいる兄弟。この双子の弟は普段冷静な分、感情が高ぶると顔に出やすいのだ。
「知り合いのお姉さんって、お隣に住んでるお兄さんの彼女だっけ?」
聞き返してくるリーダーに、「いえ、その人じゃないんですけど」と音は見るからに素っ気無い答えを返している。
(早くこの話題から離れたいって思ってるのバレバレ)
そう思いながら、俺は興味を示したリーダーも巻き込むために、気が付かないフリをして話を進める。
「杜和子さんって、その兄貴の彼女の知り合いなんです。もうすっごく綺麗で、優しくて可愛くて、でもってしっかりもしてるから、まさに理想のお姉さんっ! て感じの人で」
調子に乗って、昨日もスーパーでお菓子奢ってもらったんですよ、と続けると、音の顔色が微妙に変化した。
けど、それにも気が付かないフリをする。
『あれ? 今日は楽くんが買い物当番なの?』
音と別れたのは音自身から聞いていた。数日前の、つい最近の話だ。
最初に見つけたのは俺の方だったけれど、前ならともかく、今は顔を合わせずらくて。
さっさと買い物を済ませて帰ろう、そう思っていたところに、あの柔らかい声で話しかけられたのだ。
……たぶん、あの時買い物に来ていたのが音だったとしても、杜和子さんはあの笑顔で話しかけるんだろう。
(あの日の買い物当番俺で良かった。音だったら、帰って来てからどうなっていたことか……)
知り合いのお姉さんとして、と言いながら、そう思うことが出来ないでいるのは、音の方だ。
(せっかく、杜和子さんが理想のお姉さんを演じてくれても、これじゃ全然ダメじゃん)
「楽、杜和子さんだって、一人暮らしのやりくり大変なんだから、あんまり甘えるなって」
(おまえにだけは言われたくない台詞だなぁ、それ)
普段と変わりないようで、杜和子さんはおかしかった。
空元気。周りの空気が異常なほど明るくて妙。……だけど、その変化すら音は気のせいで流してしまうのだろう。杜和子さんが、上手くそう感じさせないように振舞うから、余計に。
「わかってるよ。けど、杜和子さんって、響ちゃんよりもしっかりしてるし、鳴ちゃんよりも優しいし。……それなのに、杜和子さんってたまに淋しそうな顔してたりするから、構われたくなるっていうか」
「……構って欲しいから、そう見えただけじゃないの?」
「まさか。音が気付かなかっただけじゃない?」
サラリと返すと、音が何か言い足そうに口を開きかけた。
けれど、その口から言葉を発する前に、屋上のドアがカチャリと開く。
「音、お昼食べ終わった??」
ドアを開け、顔を覗かせたのは、2週間前から音の彼女になった唯子ちゃんだった。
ついこの間まで喧嘩友達だった2人が一緒にいるところは、周りから見れば自然の成り行きに思えるかもしれない。それくらい、2人が一緒にいるところは当たり前のように見える。
(けど、杜和子さんと居るときの方が、音は音らしいよなぁ)
俺が勝手に、そう思うだけなのかもしれないけど、ついそう思ってしまう。
「ああ、ごちそうさま」
唯子ちゃんの登場に、さっきまでの不機嫌そうな顔を珍しく笑顔に変えて、音が返事をする。
いつの間に食べ終わったのか、空になった弁当箱を唯子ちゃんに返すと、音は何もなかったかのように、立ち上がった。
これから音は唯子ちゃんのピアノの練習に付き合って音楽室に行くのだ。
「それじゃ、また放課後に」
「いってらっしゃい~」
この場から立ち去る理由が出来たとばかりに立ち去る音に、手を振りながら、見送る。
「……楽、おまえ、音の反応楽しんでたろ」
パタンッ、とドアがしまってしばらくした頃、山崎先輩が苦笑しながらそう聞いてきた。
「当たり前です。音、全然気が付いてないけど、家でもあんな感じなんですよ、杜和子さんの話題が出ると。いい加減にしてくれないと、こっちが困りますって」
「確かに。音にしては珍しく感情が表に出てたな。特に、杜和子さんとおまえが会ったって辺り」
流石、リーダー。鋭い。
(っていうか、あんなに顔色が変わってれば誰だって気付くか)
自覚が無いのは、本人だけなのだ。あーもう! と喚くと、山崎先輩が説明を求めてきた。
「で、杜和子さんと音って、どんな関係だったわけ?」
「……付き合ってたんです。で、つい2週間前、唯子ちゃんと付き合うことにした音が振ったんです。杜和子さんを」
「………………は?」
「正確には、杜和子さんの方から『別れようか』って言われたみたいですねぇ。唯子ちゃんとのことを言おうとしたときに、遮られて、向こうからサラリと」
呆れを通り越して、落胆。
(そこまで気を遣われてるってことは、それだけ愛されているってことにどうして気付かないかな?)
「ちょっと待った。ってことは、唯子の告白がきっかけで別れたのか?」
「そうですよ。唯子ちゃんに泣き落とされて、OKしたって。だから、杜和子さんとは別れなきゃけないとか言い出して。なんだよそれ? って聞いたら、杜和子さんは自分が居なくてもいいから、唯子ちゃんの傍に居るんだって言うんですよ。……バカだと思いました、我が弟ながら」
音の前でしっかり者を演じようとしている杜和子さんには、俺でも気が付いたのに。
どうして、普段鋭いおまえがわからないんだって。
「このままでいいはずないのに、どうにも出来ないのが悔しくて。……こーゆーのってほっといた方がいいんですかね? どーにかしたくてたまらないんですがっ?!」
「どうにか……って。……おい、松岡?」
またも叫んで頭を抱えた俺の向かいで、無理だろうと言うニュアンスを持っていた山崎先輩声が、変わった。
思わず、顔を上げると、そこに見えたのは、笑顔のリーダー。
「? リーダー?」
「どうにかしたいなら、すればいいじゃないか」
「?」
「手伝ってやるからさ。な、山崎」
その笑顔が、純粋に後輩を思っての言葉だろうと思い込んで(決して、面白半分とか、暇つぶしとか、音をからかうネタを仕入れに行くとか、そういうことではないことを信じて)俺はリーダーの考えに乗ることにした。