第7話 同居人が一人増えました
仕切り直すために俺はごほん、と咳払いをする。
「行くところがない『訳』っていうのは話せないんだよな?」
みゃーちゃん(仮)はこくりと大きく頷いた。
「君は人間じゃないよな? 何者かっていうのは──」
「話せない。ただ、猫と似たような物だと思ってくれていい」
「なるほどな。……さっきの『証拠』はどういうことなんだ?」
「わたしは猫のようなものだ。故に猫と会話が出来る。みゃーちゃんから直接聞いた」
「んじゃ最後の質問。君の名前は?」
「言っただろう。わたしには名前がない、と」
「それは冗談とかではなく?」
「……冗談ではない」
「じゃあなんなんですか?」
「な、なんでもいいだろう。とにかく名前がないんだ!」
声を荒げているところを見ると、きっと名前はあるけどなにか事情があって言いたくないのだろう。
「なるほどな……」
結局の所わかったのは『猫と会話が出来る』ということと『名前を言いたくない』ということで怪しさは増したような気がする。俺は夢奈に顔を向ける。
「確かにさ、すごい怪しいと思う。でもさ、やっぱり追い出すのは後味が悪いだろう? 心配しなくてもなにがあっても夢奈は俺が守るから安心しろ」
夢奈はじぃっと俺を見て、そして盛大にため息をついた。
「いいですよ。ゆめが何言っても無駄なのはわかってます。お兄ちゃんは頑固ですし」
ぶすっと唇を尖らせながら拗ねた様子でそう言ってみせる妹の姿に苦笑を零しながら、頭を撫でる。そして目の前の少女に視線を戻す。
「ということだ」
「すまない、恩に着る。迷惑はかけないようにするつもりだし、家事とか、出来る限りは手伝わせてくれ」
少女は正座をし、深々と頭を下げた。
「とりあえず、名前がないと不便だな。なんて呼べばいい?」
「……折角だからなにか付けてくれないか?」
「そうだな。夢奈、なにかないか?」
「そうですね……」
夢奈はじぃっとなにかを確認するように少女を上から下まで眺め、そして一言。
「ひんにゅう」
そう言い放った。
「駄目! 却下!」
いじめ以外の何物でもないその名前を即座に否定する。
「なんでですか? 可愛いと思いますよ、ひんにゅう。ひんちゃんとかにゅうちゃんとか呼ぶのもいいですね」
「うん、なんか可愛く聞こえないこともないけど駄目! 本人落ち込んでるから!」
どうやらちっちゃいのを気にしていたらしく、少女はしゅんとうつむきながら胸元に手を当てて「ふふふ……どうせ……ちっちゃいもん……」等と呟いている。
「えー」
「えー、じゃねぇよ! だってひんにゅうって貧しい乳とか、そういう字書くんだろ!?」
「違いますよ。ひらがなでひんにゅうですよ。別に胸のことを言っているわけじゃありませんよ。お兄ちゃんはどんだけ巨乳が好きなんですか? ゆめのおっぱいが大好きなんですね、えっち!」
「もー」とか言いながら夢奈は胸元を抱きしめるようにする。胸が形を変えて谷間が見えていてエロい。触りたいとか揉みたいとか、わき上がってくる劣情を理性で押し返しながら俺は夢奈の頬を引っ張る。
「誤解を招くような発言はやめなさいって、いつも言ってるでしょうっ!」
「とほのおはーはんへふは!」
多分、『どこのお母さんですか!』って言ったんだと思う。
手を離すと夢奈は頬を擦りながら俺を見る。
「とりあえず名前は決定ですね」
「あほか、駄目に決まってるだろう! 別なのにしようか!」
「むー」
夢奈はそう言ってまた少女を眺める。
「へいめん」
「アウトッッッ!」
少女は更に落ち込みながら「平面じゃないもん……少しは膨らみあるもん……」等と呟いている。正直見るに堪えない。
「なんでですか?」
「完全に胸のこと言ってるよな? わかって言ってるよな? 却下だからな」
「むー。仕方ないですね」
「もっとこう、可愛いのにしよう、可愛いのに」
「わかりました。じゃあ……」
夢奈はまた少女を眺め──
「ぺったん」
「お、なんだ今度は結構かわ…………いくねぇよ! 駄目だよそれ! いい加減胸から離れろよ!」
「可愛いですよ、ぺったん」
「うん、確かにね! 響きはね! なんかね! 可愛いけどね! 一文字くっつけたらアウトだよね!」
少女はすっかり落ち込んでしまい、体育座りをしながら顔を俯かせ、膝小僧に視線を落としながら何事かぶつぶつ言っている。
「……雌牛のくせに調子に乗りやがって……淫乱腐れビッチが。死ね」
なんか聞いちゃいけない言葉が耳に届いた気がするが気のせいだと思っておく。
「ほらどうすんだ! 落ち込んじゃったぞ!」
「いや、今ゆめ明らかに罵倒されましたよ? 雌牛とかビッチとか言われましたよ?」
「き、気のせいだ。気のせいだと言うことにして置いてくれ。夢に出てきそうだし……」
「わかりました。お兄ちゃんの夢に出ていいのはゆめだけですし。夢だけに」
夢奈がどや顔を向けてくる。ちょっといらっとした。
「ていうか、お兄ちゃんさっきから文句ばっかりです」
「当たり前だあほ! 兄ちゃんは人のコンプレックスをつついていじめるような子に育てた覚えはありません!」
「むー。じゃあお兄ちゃんが考えて下さいよー」
可愛らしくほっぺたを膨らませてみせる夢奈の様子に呆れつつ、少女を見る。
「しろとかどうだ?」
そう言うと夢奈が露骨に嫌そうな顔をしながら「えー」と声を上げた。
「お兄ちゃん、ネーミングセンスないですね」
「お前にだけは言われたかねぇよ!」
少女は顔を上げ、じっと俺を見る。
「ペットか何かにつけるような名前だな」
「ほう、いいぞ。しろが嫌ならひんにゅうでもへいめんでもぺったんでも、好きなの選べばいい」
「しろがいいです。しろ最高! わーすごーい。お前はネーミングセンスの塊のような男だなー! すごいなー天才だなー死ね!」
最後の言葉は聞かなかったことにしておこう。
「じゃあしろで決定だな」
「ああわたしは今日からしろだなー死ね!」
「……気に入らないなら他の名前に──」
「いやいやいや、何を言ってるしろと言う名前はちょう気にってるぞかっこいいぞイズモ抱いて!」
「その発言は色々駄目だと思うぞ……」
「お兄ちゃんちょうかっこいいです抱いて!」
「どさくさに紛れて何言ってんだ」
ジト目を向けながらこつん、と夢奈の額を小突くと、夢奈はぺろりと舌を出しながら「てへぺろ☆」と言った。可愛いじゃねぇか。思わずなんでも許しちゃいそうだぞ……。
「ところでイズモ。わたしはお前のことはお兄ちゃん、とか呼んだほうがいいのか?」
「なんでだよ!?」
「お兄ちゃんをお兄ちゃんと呼んでいいのはゆめだけです。そんな呼び方したら殺します」
殺すって……。本当に敵意むき出しだな。
「む。お前もおねーちゃんとか呼ばれたいのか?」
「そんな話をしてるんじゃ…………それいいですね」
「呼ばないけどな」
「!」
二人はがるるるる! と喉を鳴らしながらにらみ合っている。
「二人とも、これから一緒に暮らすんだし仲良くしてくれよ」
「「むー」」
二人が同時にうなった。なんだかんだで息ぴったりだな。
「それで、わたしは『おにーちゃん』と呼んだ方がいいのか?」
「呼ばんでいい!」
「いいのか? お前は『おにーちゃん』と呼ばれて喜ぶ変態なんだろ?」
「みゃーちゃんか? みゃーちゃんがそれ言ってたのか?」
ちらりとみゃーちゃんを見ると俺達の間で丸くなって寝ていた。呑気だな。
「言ってたわけじゃない。みゃーちゃんから二人の今までのあれやこれを聞いただけだ」
「「あれや……これ……?」」
俺達の声が揃う。夢奈はこてんと首を傾げていた。
「さっきの話以外にもなにか知ってるのか……?」
「勿論。例えば、イズモが一ヶ月に一回ぐらい夢奈の下着を漁ってカップ数とか確かめているのとか」
「ししししてねーよそんなこと!」
「大丈夫ですよお兄ちゃん。ゆめ、結構前から知ってましたし」
「なっ!? あああのな! 一応言っとくが別にやらしい下心とかあったわけじゃないんだからな! 兄として、日々成長する妹のおっぱ……いや日々成長する妹のことを知っておきたかっただけなんだからな!」
「はい、わかってますよっ! 日々成長するゆめのおっぱいにお兄ちゃんは興味津々だったんですよねっ♪ もう、えっちなんですからっ」
「すみません嘘つきましたごめんなさいやらしい下心とかいっぱいでした女の子のおっぱいに興味津々でした確かめる彼女はいないしモテないから出来る予定もないしでもたまたま身近におっぱい大きい女の子がいたからついつい出来心でやってしまいましたすみませんでした! 俺は巨乳が好きな変態です生きててごめんなさい!」
「そんな必死に訂正しなくても良いじゃないですか! 今、『兄は妹の成長に興味津々。性的な意味で』っていうのでまとまってたじゃないですか!」
「いやだ! それじゃあ俺妹に興奮する変態みたいじゃん! 違うし! 俺夢奈に興奮してたんじゃなくておっぱいに興奮してたんだし!」
「くぅ! それでもゆめのおっぱいに興奮してたのも事実だから怒るに怒れない……!」
「だから違うっての! 俺は妹に欲情する変態じゃねぇんだよ! 女の子に興奮する通常の男子なんだよ!」
「ゆめだって女の子ですよ!!!!!!!」
「あ、うん……。ごめん、今のは俺が悪かった……」
「わたしから見たら両方変態だと思うけどな。他にも色々知ってるし。なんなら全部言ってやろうか?」
しろの言葉に俺は全力で首を振る。
「言わないで下さいお願いしますそれはしろの胸の内に閉まって置いて下さいお願いしますっ!」
と早口にそう言うとしろは満足そうににんまりと微笑みながら「わかった」と言った。
なんか弱みを握られた気分だな……。
夢奈が小さく「慌てなくてもゆめ、大体知ってるのになー」と言ったのは聞かなかったことにしておく。こいつなんでそんなに俺の秘密把握してんの……。
「それで、わたしはお兄ちゃんと──」
「呼ばんでいい!」
俺が叫ぶとしろは少し残念そうに肩を落とし、「そうか」と言った。
──そんなのこんなで、同居人が一人増えました。