第20話 ノーカンです
そこはだだっ広い和風の屋敷だ。
門をくぐって中に入り、無駄に広い庭園を五分ぐらい歩いてようやく玄関にたどり着く。
着物を着た使用人の女性が玄関を開けてくれて、中に入る。
それから藍香ねぇの後に続いて、木製の廊下をひたすら歩く。
二、三分歩いたところで藍香ねぇが足を止める。ふすまを開けて、俺に入れと視線で示す。
中に入ると、そこは六畳ほどの広さの和室だった。
「ちょっと待ってて」
藍香ねぇはそう言って押し入れを開けて、中から布団を取りだして手際よく敷いた。
それからおぶった夢奈をそこに下ろして寝かせる。
俺は夢奈の隣であぐらを組みながら手を伸ばして荒い呼吸を繰り返す夢奈の頬をつつく。
「……夢奈は大丈夫なのか?」
藍香ねぇを睨み付けながら尋ねると、藍香ねぇは苦笑で返す。
「多分、としか言えないわ。本当にごめんなさい」
藍香ねぇは夢奈の足元で正座をすると、土下座をする。俺は乱暴に頭をかきむしった。
「そういうのいいからさ、ちゃんと説明してくれよ。夢奈はどうなるんだ?」
「……事例がないから推測でしかないんだけど……」
前置きをして話し始める。
「《自我》を持った《魔の物》が体内に──というか精神に入り込むわけだから、場合によっては夢奈ちゃんが夢奈ちゃんじゃなくなる、と思うわ」
「意識を《魔の物》に乗っ取られる、ってことか」
「そういうことね。でも、知っての通り《魔の物》は人間の《負の感情の塊》よ。だから、夢奈ちゃん自身がそう言った《負の感情》に呑み込まれなければなにも変化はない、んだと思う……。完全に入り込んだわけじゃないから、影響は少ないと思うのだけど……」
藍香ねぇは自信なさげにそう言った。やはり確証はないのだろう。
俺もそうであることを信じるしかない。
「……大体わかった。こうなった以上俺の質問には全部答えてくれるんだよな?」
「ええ、もう隠す必要もないでしょうしね」
「……しろは何者なんだ? さっきの夢奈の話を聞く限りじゃ、藍香ねぇの知り合いなんだろう?」
「……ええ。彼女には協力してもらったの。わかってるとは思うけど、彼女が夢奈ちゃんに言った言葉は全部わたしの指示よ。彼女の本心じゃない」
そうだろうとは思ったが、改めてそれを聞いて俺は安堵する。
「夢奈が《魔の物》を引っ張り出すための餌で、その協力……っつーのは想像つくけど、なんのためにしろをうちに送って、夢奈を傷つけるようなことを言わせたんだ?」
「これも確証はない話だけど、《憑依》されやすい体質、って言っても、《魔の物》が《憑依》するには条件があるのよ」
「条件?」
「ええ。ネガティブ状態に陥ってないと、《魔の物》が《憑依》しようとはしないらしいわ。《魔の物》は《負の感情の塊》な訳だし、その影響でしょうね」
藍香ねぇはじっと夢奈を見ながら言葉を続ける。
「夢奈ちゃんはね、多分、貴方が思っている以上に精神的に弱い子なのよ。しろを貴方のうちに送ったのは彼女を追い詰めるため。知らない女が大好きなお兄ちゃんにべたべたしていたりしたら、嫉妬するのはわかっていたから。それで少しずつ追い詰められたところに爆弾を落とす。それで準備は完了ってわけ」
「……藍香ねぇって結構無情な人だったんだな」
「……これでも最終手段だったのよ。なにをやっても、どんなに探し回ってもどこかに潜んだ《魔の物》を見つけることが出来なくて……。だからってこのまま手を拱いていたらまた六年前のようになる。もう為す術もなかったから、私は夢奈ちゃんを餌にした。身内とは言え、一人の犠牲で解決するならその方がいいと思ったし。……やっぱり無情なんでしょうね」
藍香ねぇは自嘲の笑みを浮かべた。
「ん……ぐ……」
夢奈が苦しげにうめき声を上げる。俺は布団から夢奈の手を取って、両手で握り混んだ。
「……弱い、か」
確かに俺が思っているよりもずっとずっと、弱い子なのかもしれないな。
「……私の推測だけど。夢奈ちゃん、貴方に対して随分とえっちな子になるでしょう?」
「……そーだな」
「それって多分、無意識のうちにそうやって引き留めようとしてるんじゃないかな、って」
「……俺に捨てられないようにか?」
「ええ」
俺は夢奈をじっと見る。苦しげに歪められた顔に胸が痛む。
「ばっっっかじゃねぇの。そんなことしなくても、俺が夢奈から離れたりするわけないっての」
言葉は恐らく届いていない。
「……イズモくん。私はさっき夢奈ちゃんのせいで貴方たちは捨てられた、って言ったけど、あれってちょっと違うのよ」
「違うって、どういうことだ?」
「お父様から聞いた話では、貴方たちのご両親は多額の借金を抱えていたらしいわ。それで、もし《魔の物》を引っ張り出すことが出来たら借金を肩代わりする、って協会側が提案したらしいの」
「それで無事借金は返済できたって訳か」
「ええ。それで、二人が貴方たちの下を去ったのは、一緒にいるのがつらかったからだろうって。不幸体質の話はでっち上げよ。だから夢奈ちゃんのせいでもなんでもないわ。本当にごめんなさい……」
藍香ねぇはまた頭を下げる。俺はそれにため息で返した。
そんな身勝手な理由で子供を捨てるっていうのもどうなんだろうか。正直今更どうでもいいんだけど。
「夢奈には後で説明しておくよ。ありがとな。ところでさ。今、夢奈に話しかけるのって効果あるのか?」
「ある、とも、ない、とも言えないけど……ある、と思いたいわね」
「願望か……」
苦笑を浮かべると藍香ねぇも苦笑で返す。
なにもやらないよりはましだろう。俺は改めて夢奈の手を握り混み、口を開く。
「夢奈、お前がどーしようもなく弱虫で、泣き虫で、わがままで、ガキみたいなやつだっていうのはよーくわかったよ。だから、だからこそ俺はずっとお前の側にいるよ。一緒にいるって約束したじゃねぇか。いい加減目を覚まさないと、マジで襲いかかるぞ」
「ぷっ」
藍香ねぇが噴き出した。身体をぷるぷる震わせながら必死に笑いを堪えているようだ。
「……」
睨み付けると藍香ねぇは視線を逸らす。
「……だって、貴方にそんなこと出来るわけないじゃない」
「反論はないけど、そもそもしないからな! 夢奈相手じゃなくてもしないからな!」
藍香ねぇはごまかすように「あー、そうだ」と言う。
「キスしてみたらどうかしら?」
「……」
「ちょ、ちょっと、睨まないでよっ。別に面白半分で言っているわけじゃないから! ほら、物語ではお姫様が王子様のキスで目を覚ます~っていうのは定番でしょ?」
俺は六年前のことを思い出す。
もしかして、六年前に夢奈がなんともなかったのはキスしたからなんだろうか?
「……本当にそれで目を覚ますと思うか?」
「そ、それも確証があるわけじゃないわよ。願望。ていうかするつもりなの?」
「……それで夢奈が無事に目を覚ますなら」
ぴくりと夢奈の手が動く。
「夢奈!?」
目を覚ます様子はなかった。
藍香ねぇもなにも言わない。見ると険しい顔で俺と夢奈を見比べていた。本当に冗談で言ったわけじゃないのだろう。
俺はごくりとつばを飲み込む。やってみる価値はある、と思う。
大丈夫だ、これはいわば人命救助。人工呼吸のようなものだ。俺も夢奈もノーカン。キスじゃない。
握った両手に力を込めながら、ゆっくりと夢奈に顔を近づける。
眼前に迫る夢奈の顔に鼓動を早めながら、俺は目を閉じてキスをした。
ふにゅりとした柔らかい感触。甘ったるい夢奈の匂いが鼻腔をくすぐる。唇を離すと夢奈の吐息が唇にかかって背筋がぞわりとした。
目を開くと、それと同時に夢奈がくわっ! と目を開けた。
俺は驚いて勢いよく上体を起こす。
「ゆ、夢奈!? 大丈夫か!? どこか痛むところとかないか!?」
夢奈はゆっくりと上体を起こし、俺をじっと見つめる。それから空いた片手で唇をさするや否や、ぼっ! と耳まで真っ赤に染めた。
「はわわわわわ。おに、お兄ちゃんにきききき、キス、キスされて……!?」
動揺しながらそんなことを言われて俺の顔も赤くなる。
「ち、違う! キスはしてない!」
「いやいやいやいや! しましたよね!」
「違う! 人工呼吸だ! 安心しろ、だからさっきのはノーカンだ! 無事に目を覚ましてくれたようでよか──」
夢奈が俺の手を振り払うと、両手で俺の胸ぐらを掴んでぐらぐらと揺する。
「お兄ちゃん、酷いです! 酷すぎます! キスしといて人工呼吸!? 女の子のファーストキス奪っといて人工呼吸!? 人工呼吸ってなんですか! あり得ないです最低ですばかですかあほですか変態ですかっっっ!」
「変態じゃねぇよ!」
「うるさいです、最低です変態です責任取って服を脱いで下さい!」
言いながら俺のシャツのボタンを外し始めるので慌てて腕を掴んで止める。
「なにやってんだ落ち着け!」
「もうやです最低です最悪ですなんでこんな、ファーストキスがこんな……! ていうか人工呼吸って……! お兄ちゃんなんて、お兄ちゃんなんて……大好きですっっっ!」
泣きそうな顔で夢奈は言い放つ。
「俺も大好きだよ!」
やけになって叫ぶと、夢奈は幸せそうに微笑んだ。
「妹としてな! それでさっきのは人工呼吸な!」
「お兄ちゃんのばかぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!」
涙目の夢奈に思い切りビンタされる。
滅茶苦茶痛かったが、俺は何も言わずに夢奈を抱きしめた。
「……ところで夢奈ちゃん。貴方、私とイズモくんが『キス』の話をしてるときには目は覚めてたわよね?」
藍香ねぇが冷静にそう尋ねると、夢奈は俺の腕の中でびくりと身体を跳ねさせた。
「藍香さんが何を言ってるのか、全然わからないにゃんっ」
夢奈は俺の胸に顔を埋めながらそう言った。
にゃんって……。わかりやすすぎる。
「藍香ねぇも気付いてたなら、言ってくれりゃいいのに」
「確信があったわけじゃないもの」
「……ゆめの言うこと、全然信用されてないです」
どこか寂しそうにそう言った夢奈の頭を、俺は無言で撫でた。
◆ ◆ ◆
その後、夢奈にも藍香ねぇが今回の経緯を軽く説明して、夢奈は先に帰ることになった。
夢奈は俺にキスされたのが余程嬉しかったのか、先程までの状態が嘘のように元気になっている。
とはいえ完全に吹っ切れているわけではないらしく、暗い顔をしたり不安げに俺を見つめたり、泣きそうな顔をしながら、意味もなく俺に抱きついたり、怯えた様子で藍香ねぇを見ていたりはしていたが、仕方ないだろう。
というか、そもそも先程のあれはキスではなく人工呼吸なわけだが、あまりしつこくそれを主張して夢奈が落ち込んでしまうのは本意ではないので、俺は何も言わなかった。
「キス~♪ キス~♪ お兄ちゃんとキス~♪」と、満面の笑みを浮かべながら鼻歌交じりに呟いているときはさすがに口を挟みたくなったが、ぐっと堪えた。
そして俺達は今、外にいた。
「お、お兄ちゃん……本当に直ぐに帰ってきますかっ? 絶対帰ってきますかっ?」
乗用車の窓から顔を出しながら、夢奈は泣きそうな顔を俺に向ける。
俺は精一杯笑顔を作りながら夢奈の頭を撫でる。正直俺も泣きそうだったりする。
「大丈夫だよ。一時間以内には帰るから」
「ううう……。お兄ちゃん、服を脱いで下さい」
「突然なに言ってんだ!?」
「せ、せめて匂いでごまかそうかと思って……。ブレザーでいいですから」
「……ったく」
俺はブレザーを脱いで夢奈に渡す。夢奈はそれを受け取るとむぎゅりと抱きしめながら笑顔を浮かべた。無理して笑ってるのがバレバレだ。
「お兄ちゃん、早く帰ってきて下さいね」
「おう」
もう一度頭を撫でると、夢奈は顔を引っ込める。窓が閉まって、夢奈が手を振る。俺も振り返した。そして車が発進する。
まだ俺に話があるというので俺だけ残ったわけだが、一時間も夢奈と離れるなんて……俺耐えられ……いや夢奈は耐えられるだろうか。
「夢奈……」
「本当に一時間以内には帰れるから大丈夫よ」
背後から藍香ねぇが呆れた様子でそう言った。
「さっきの夢奈を見ただろう? なるべく早く帰らないと……」
「そうね。貴方が夢奈ぁ夢奈ぁぁぁああああああって泣き叫ぶ所なんて見たくないし」
「んなことするわけないだろ!」
「涙目で言われても説得力ないわよ」
「うぐぐ……」
泣き叫びはしないがマジで泣きたくなってきたのでさっさと用事を片付けることにしよう。
藍香ねぇと共にさっきの客室に戻る。
適当な位置で腰掛けると、藍香ねぇも目の前に座る。
「一応言っておくと、この話、夢奈ちゃんにはしろから伝えることになってるわ。帰ったら聞くはずよ」
「それでなんなんだ早くしてくれ俺は早く帰りたい別に俺が泣きそうなわけじゃなくて夢奈が心配なだけだからな!」
藍香ねぇは苦笑を浮かべながら小さくため息をついた。
「しろの話よ。彼女は実は──」
俺はぽかんと口を半開きの状態で藍香ねぇの話を聞いていた。
「──ということよ」
拳を痛いほど握りしめて、俺は盛大に息を吐き出す。
そして天を仰ぎながら叫ばずにはいられなかった。
「あんのくそ親父っっっ!」




