第2話 退魔師兄妹
朝起きて、朝食を食べたり諸々の準備をして学校に行く。そして学校で授業を受け、夕方には帰宅する。
そこに部活やら何やら加わったりすることはあるだろうが──とにかく、この流れが一般的な高校生の日常だろう。
俺も大半はこの流れの通りの日常を送っている。しかし稀に、俺達兄妹にはバイトの依頼が入ってくることがある。それは一般的な高校生ではあり得ない、非日常的なバイトだ。
俺達は──
「お兄ちゃん、なにぼんやりしてるんですかっ! これはゆめ一人じゃ厳しいかもですよっ!」
斜め前の、一メートルほど離れたところにいる、長い金髪をツーサイドアップに結って、高校のブレザーの制服を身につけた妹が叫ぶようにそう言いながら、《呪》が書かれた《札》をそれに投げつける。《札》はそれの近くで無数の火の玉に変化し、それに命中。
『それ』は一言で言うならば、どす黒い色をした巨大なかえるだ。無論少し大きいというレベルではなく、本当にでかい。全長は二メートルはあると思われる。
そんなかえるの、だらんと腹の辺りまで垂らされた舌はどす赤い色をしていて実に気持ち悪い。
かえるは火の玉が命中すると「ぶるぉぉぉぉぉんっ!」と鳴き声を上げながら頭をぶん回している。
あの《化け物》こそが、《実体化》した《魔の物》だ。
「大丈夫だ夢奈。お前ならいける」
妹に向かってそんな無責任な言葉をかけながら、俺は懐から《札》を取り出して構える。
夢奈も同じように《札》を手に構えながら顔だけ俺に向けた。
「全く、そんなに信頼を寄せられると興奮するじゃないですか」
「んなことで興奮するなあほ」
夢奈は「だってー」と言いながら戦闘を放棄して髪を指に絡めたりしている。
俺がジト目を向けると、夢奈はつぶらで大きな目を細めながら「えへへー」と嬉しそうに笑ってみせた。
「なんでそんな嬉しそうなんだよ!」
「だってお兄ちゃんがゆめにあつぅぅぅ────い視線を送ってるから♪」
どちらかと言わなくても冷めた目線を送ったつもりなんだがな。
「ほらさっさと片付けるぞ。夕飯の時間に遅れるし、腹が減ってきた」
「そうですね。ゆめも早く帰ってお兄ちゃんといちゃいちゃしたいですし。勿論、性的な意味ですよ♪」
性的な意味でのいちゃいちゃはしないけど、とにかく──
「んじゃ、さっさとやっちまうぞ」
「了解ですっ!」
夢奈の返事を聞きながら俺は《札》に《念》を込める。《札》は俺の《念》通り形状を刀に変化させた。
かえるは未だに頭をぶん回している。たった一回の攻撃でこの反応。ということは間違いなく、体がでかいだけでただの雑魚だろう。
俺は剣先をかえるに向けて構えながら、夢奈に視線を送る。
「ほらいくぞ!」
「了解です!」
夢奈の返事を聞いて、俺は一気に踏み込む。かえるの腹部を切りつけると、ぐにゅりぐにゅりという嫌な感触と共に「ぶるぉおおおんっ!」とかえるが悲鳴のような声を上げる。
「お兄ちゃんっ!」
俺が刀を持ったまま軽く屈むと、夢奈は俺の肩を踏み台にして、大きく飛び上がる。そして持っていた大鎌でかえるの首を一刀両断にした。かえるは断末魔の叫びを残して破裂し、綺麗に消え去る。
それを確認して俺は刀を《札》に戻すと、小さく息を吐き出す。仕事完了、っと。
夢奈は「んー」と軽く背伸びをすると、じっと俺を見上げた。
「お兄ちゃん、ゆめは疲れました。なのでおんぶして下さい」
「俺も割と疲れたんだが」
「大丈夫です、安心して下さい。背中に胸はこれでもかー、ってぐらいに押し当てますから」
「なにが大丈夫でなにを安心すればいいのかさっぱりもってわかんねーよ」
なんでそんなに誇らしげなんだよ。
「そ、そんな……服越しじゃ満足できないなんて……。いくらお兄ちゃんの頼みでも、ゆめはお兄ちゃん以外の人に肌を見られるなんて……耐えられません」
「安心しろ。頼んでないから」
「そうですよね。お兄ちゃんもゆめの胸が知らない男の人に見られたりするのはいやですよね」
「その点については同意だな」
「もう、お兄ちゃんはそんなにゆめの胸を独り占めしたいんですか? 全く、えっちですね、大好きですっ」
夢奈はこの通りの、「お兄ちゃん大好きっ」が口癖の超がつくほどのブラコンだ。まぁ俺も夢奈のことは大好きだし、それはとても嬉しいんだけど。だからって俺は「夢奈大好き」なんて言わないけど。
夢奈の口から飛んでくるのは主にこの手の、「お兄ちゃん大好きっ。性的な意味でっ」という類の物だが無論本気で言っているわけではない。……冗談だよな?
「んじゃ、藍香ねぇに連絡して帰るかー」
「綺麗にスルーしましたねっ! ゆめはショックで死んでしまいそうなのでおんぶしてください」
「わかったわかった」
肩をすくめながらそう返すと、夢奈は嬉しそうに表情を綻ばせた。
「お兄ちゃんは本当にゆめに甘いですね♪」
「それがわかってるなら、もうちょい発言に気を遣ってくれると嬉しいんだがな」
「ゆめはお兄ちゃんに甘やかされるのが大好きなので、や、ですー」
悪戯っぽくそう言う夢奈の姿に苦笑を浮かべながら、俺は夢奈の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
嬉しそうに目を細めた夢奈はポケットからスマートフォンを取り出して操作する。
「それじゃあさくっと連絡して、帰りましょう。早くおうちでお兄ちゃんといちゃつきたいですし」
俯きながらスマホを操作する夢奈に、
「同感だな」
と返すと夢奈は顔を上げてキラキラした瞳を俺に向ける。
「そうですよね! ゆめといちゃつきたいですよねっ!」
俺は『早く帰りたい』の部分に同感したわけだが……。夢奈があまりにも嬉しそうな表情を浮かべているので俺はそれは言わずに、「あー、まぁそうだなー」と、ちょっと投げやり気味に返した。
夢奈は幸せそうににっこりと微笑むとまたスマホに視線を戻して操作し、次にスマホを耳に当てる。
「あ、もしもし。はい、そうですはい──」
電話で話す夢奈の姿を視線の端で捉えながら俺は電話が終わるのを待つ。
「それで、むらむらしたお兄ちゃんがゆめに突っ込みたくて仕方ないみたいなんですが、どうすればいいですか?」
「おまっ! 何言って……!」
俺は慌てて夢奈からスマホを奪い取ろうとするが、夢奈は身軽にひょい、ひょいと俺の手から逃れる。
「やんっ。むらむらしたお兄ちゃんが我慢できずに襲いかかってきてます。路上でゆめを犯すつもりですっ。大胆ですっ」
「大人しくしろっ!」
「お兄ちゃんに脅迫されちゃいました、どうしましょう♪」
「いいからとにかくじっとしてろっ!」
「はぅぅー!」
夢奈が恍惚の表情で俺を見たせいで俺まで変な気分になってきたぞどうすんだこれ!
「逃げるなっ!」
「はわわ。お兄ちゃんが興奮してます、息を荒げながら襲いかかってきてます。はわわ」
事実は事実だけど誤解を招く表現はやめて欲しい。
捕まえるのを諦めてだらんと腕を放り出すと夢奈が警戒しながらも動きを止める。
「──あっ」
素早く夢奈の頭にチョップを落とすと完全に動きが止まる。その隙にスマホを奪い取った。
「違うからなっ! 全部夢奈の冗談──あれ?」
スマホを耳から離して画面を確認。電話は切れているようだった。
「夢奈?」
にっこり微笑みながら夢奈を見ると、夢奈はぷいっとそっぽを向く。
「てへぺろ」
どうやら夢奈の質の悪い冗談だったらしい。無駄に疲れた。俺は嘆息しながら夢奈にスマホを返し、じろりと夢奈を見た。
「それで? 藍香ねぇはなんだって?」
「四月分のお給料を渡したいので、学校の校門前に来て欲しいそうです」
夢奈は平然とした顔でぽつりとそう言う。俺は大げさに肩をすくめながら「りょーかい」と返した。
「はぁ……帰りが遅くなってしまいますね」
「仕方ないだろ? ほら行くぞ」
「はーい」
◇
それから学校の校門前に行くと、そこで藍香ねぇが俺達を待っていてくれた。
「ごくろうさま」
心地よい声音でそう言って、藍香ねぇはにっこりと微笑んだ。
腰の辺りまで伸ばされた長い髪は漆黒。瞳も髪と同じ漆黒。身長は平均身長より少し低いぐらいで、夢奈ほどではないが結構な巨乳だ。真っ白いYシャツに丈が膝上の黒いスカート──というラフな格好の彼女は結構な美人さんであった。
七風藍香。十八歳の彼女は、昔から色々と面倒を見てもらっている俺達の従姉だ。
「はい、これ、四月分のお給料よ」
藍香ねぇが笑顔で差し出した茶封筒を、俺は軽く頭を下げながら両手で受け取る。
「帰り道気をつけてね。後、なにかあったらいつでも連絡しなさい」
そんな発言をする藍香ねぇは、歳はあまり変わらないはずなのに、かなり大人っぽく見える。
「はい、ありがとうございます!」
と言う夢奈に続いて俺も「悪いな」と返す。
あの化け物──《魔の物》退治が俺達のバイトだ。俺達兄妹は《退魔師》だ。