第16話 二人の変化
夕飯を食べ、諸々片付けて風呂に入った。
風呂を上がって部屋に行くと、そこに俺のYシャツを着た夢奈がいるのはまぁいつも通りだからいいとして、なぜかしろもいる。
ちなみに水色のパジャマを身につけている。ズボンは尻尾の関係上ローライズだ。
二人とも俺の姿を見ると気まずそうに視線を逸らした。
「? どうかしたのか?」
「……別に、なんでもないですよ?」
どう見てもどう聞いても、なんでもない訳がなかった。
「わたしは部屋に戻るよ」
そう言ってしろは立ち上がり、俺と視線を合わすことなく部屋を出て行く。
ぱたん、と扉が閉まるのを確認して、俺は改めて夢奈を見る。
「……俺には言いたくないことなのか?」
じっと見つめながらそう言うと、夢奈はふるふると首を振る。
「いえ、本当になんでもないですから。じゃあゆめは部屋に戻ります」
「……おう」
部屋に戻ります、ねぇ……。
俺が追い出したりしない限り、夢奈がこの時間帯に部屋に戻る事なんてまずあり得ない。
夢奈は本当にわかりやすいな。なんか隠してんのばればれ。
……とはいえ。夢奈に聞いても無駄だろう。頑固だし。
俺は小さくため息を漏らすと、しろの部屋に向かった。ノックをするが返事はない。
「入るぞー」
と、一応断りを入れて扉を開けて室内に足を踏み入れる。
元々客室だった六畳のこの部屋は、ベッドとテーブル、それと備え付けのウォークインクローゼット以外にはなにもない。
客室と言っても呼ぶような客も友人もいなかったので、この部屋に誰かが泊まったことはない。
後ろ手で扉を閉めて、ベッドの前で腰掛けているしろの対面に座る。
「……くると思ったよ」
しろの言葉に思わず苦笑を浮かべる。
「夢奈は頑固だから、ああなったら絶対に口を割らないからな」
「残念ながらイズモの期待には応えられない。イズモに話すことはなにもない。聞きたいことがあるなら夢奈から聞くと良い」
「……夢奈に『言うな』って言われてるんだな?」
「しらん」
しろはぷいっとそっぽを向いた。俺は苦笑を浮かべながら大げさに肩をすくめてみせる。
「おーけー、わかった。じゃあ雑談しようか」
「ポロリはないぞ?」
「んなこと期待してないから大丈夫だ」
「じゃあ自発的に服を脱ぐのを期待してるんだな」
「ポロリってそっち!?」
「話のポロリも勿論ないぞ」
「いや、それも期待してないから大丈夫だ。この際だから色々聞いておこうと思ってな」
「身体にか」
「そうそう、身体に直接──ってなんでだよ!?」
「すまない。イズモが舌なめずりをしながらわたしの下半身を凝視してるから、つい」
「そんなことしてねぇよ!」
しろはこういうこと言わない子だって思ってたのに! 夢奈だな、夢奈が汚したんだな!
「冗談はさておき。答えられることなら答えよう。夢奈のパンツの色なら本人に直接聞いた方がいいと思うぞ。喜んで見せてくれるだろし」
「そうだな! 見せてくれるだろうな! そういう問題じゃねぇよ! そんな質問するわけないだろ!? やっぱりお前までそんな扱いなのか! ショックだぞ!」
「なんだわたしのパンツの色が知りたかったのか? イズモになら特別に見せてやるぞ。じゃあ目をつむっていてくれ。その間にこれ脱ぐから」
と言ってしろはズボンを引っ張る。
「つむったら見えねぇじゃん! いや、そもそも頼んでないから! 聞きたい事ってそれじゃないから!」
「……イズモにいっぱい突っ込まれてしまったぞ♪」
「お前それが言いたかっただけだなこんにゃろう!」
しろのほっぺたをぐいーと両手で引っ張ると、しろは「はふー」と言いながらぺちぺちと俺の手を叩く。
ほっぺから手を離すとしろはほっぺたを擦りながらじろーと俺を見た。
「じゃあなんだ? なにを聞きたいんだ?」
「……忘れた」
「わ、忘れ……!? い、今真剣に答えようと思ったのに!」
「うん、なんつーか……俺よく考えたらお前にそんなに興味なかったかも……」
「なっ!? い、いくらなんでもそれは酷いぞっ」
しろは泣きそうな顔で俺を睨み付けている。
「そうだな、悪かった。冗談だから安心してくれ」
「じゃあイズモはわたしのこと好きなんだなっ?」
「え……」
しろはじぃっと俺を見つめて言葉を待っている。
まぁ別に他意はないんだろうし、正直に言った方がいいだろう。さっきのは俺も悪かったし。
「まぁ好きだぞ?」
「そ、そうか! イズモはわたしのことが好きなのかっ」
しろは嬉しそうにぱぁっと表情を明るくした。
「後で夢奈に報告しないといけないな。イズモに告白されたと」
他意がないどころか悪意しかなかった! 悪意の塊だった!
「やめて! 確実に良くないことになるから夢奈に言うのはやめて!」
「わたしは事実を伝えるだけだぞ?」
事実だからまずいんだよ! 言うまでもなくしろはわかってるだろうけどさ! 鬼か!
「分かってると思うが、好きって言うのは友人的な意味だからな!?」
しろは悪戯っぽく笑いながら「勿論分かっている」と頷く。
「それでもイズモがわたしのことを『好き』だというのは変わらない」
俺がジト目を向けると、しろは大げさに肩をすくめて見せた。
「全く、仕方ないなぁ、じゃあわたしとイズモの秘密だ」
しろは弾んだ声でそう言って、にっこりと微笑む。
「お前意外といい性格してんだな……」
「それほどでもないぞ」
「褒めてねぇよ……」
俺が盛大にため息をつくとしろはくすくすと、楽しげに笑った。
「んじゃ、質問していいか?」
「ああいいぞ。答えないけどな」
「答えろよっ! まぁいいや……。なんかさ、その時はそこまで頭回らなかったんだけど、しろってどこから入ってきたんだ?」
ガラスが割れてるとか、カギが壊れてるとかいうこともないし、無論俺や夢奈が招き入れたりもしていない。
よく考えたらしろはどうやってうちに侵入したのかが謎だった。不法侵入なのは間違いないけど。
「リビングの窓から不法侵入したんだ」
「窓って……確かにみゃーちゃんが出入りできるようにってカギを開けとくことは多いけど、風呂に入る前には閉めたはずだぞ?」
「だから、その前に侵入した」
「いやいや、さすがにしろが侵入してきたら気付くだろーよ」
しろは戸惑った様子で小さくため息をついた。
「まぁ説明するより見てもらった方が早いだろうな」
そう言うとしろは立ち上がり、俺を見下ろす。なんだ? と思っていると突然しろが視界から消えた。ぱさっ、と音を立ててしろの身につけていた衣服が床に落ちる。
それを視線で追うと、衣服の下になにかがいた。
もぞもぞと衣服から抜け出してきたのは銀色の毛並みに真っ赤な瞳の猫だった。
「ね、猫……?」
「ああ、これなら侵入しても気付かないだろう?」
なんかどこからかしろの声がする。俺はキョロキョロと辺りを見渡した。
「信じられないのはわかるが、現実を見ろ、イズモ」
「え? ええええええ!? お前しろなの!? マジで!? なんで!?」
「言ったはずだぞ、わたしは猫のようなものだと」
確かにそんなこと言ってたような気もするけど! ていうかこの猫は本当にしろなのか? なにか腹話術的なもので話してるように見えるだけとか……。
俺は動揺しながらとりあえず性別を確かめてみようと思って、猫の──しろの身体を持ち上げて、ひっくり返そうとした。そしたら思い切り手をひっかかれた。痛い。
「な、なにす……!」
「それはこっちのセリフだ変態!」
「俺は変態と言われるようなことはやった覚えは──」
「あほっ! 今オスかメスか確かめようとしただろう!? 無意識だったのかもしれないが、変態な行為だろうがシスコン!」
「い、いや確かにその通りだけどでもお前猫だし──」
「バカか! いくら猫の身体でもわたしはわたしだ! ひっくり返されてそ、そんなところをみ、見られたりしたら恥ずかしいに決まってるだろう!」
言われてみれば確かにその通りだった。動揺していたとは言え、俺はなにをしようとしてるんだ。
そこまで考えて俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。うぉおおおマジでなにしようとしてたんだ……! 夢奈に問い詰められても言い逃れできないレベルのことやってるぞ俺!
「わ、悪かった」
「わかればいい」
「まぁどうやって入ってきたのかはとりあえずわかった」
確かに、これだったら侵入してきたのに気付いてもみゃーちゃんだと勘違いして気に留めないだろう。
「ふむ」
しろが頷くと視界から猫が消える。その代わり俺の目には真っ白い脚が映っていた。
「え……」
恐る恐る視界を上げると、そこには人間の姿に戻ったしろがいる。全裸で。
傷一つない真っ白いなめらかな肌。脚の隙間からは垂れた尻尾が見えている。体躯がスレンダーだからか、あるいは一糸まとわぬ姿だからか、慎ましい──と思っていた二つの膨らみは随分と大きく見えた。膨らみの頂点にある苺でサクランボな突起物までばっちり見えてしまっている。絶妙なカーブを描く華奢な腰。思わずぷにぷにしたくなるような可愛らしいおへそ。
その下の──脳内で自主規制をしないと理性が吹っ飛びかねない女の子な部分の三角領域。見上げる形だからか脚の隙間から見えるお尻に頭がくらくらする。
女の子の全裸が、そこにあった。
しろが自分の状況が理解できていないのか、俺を見下ろしながら不思議そうな顔をした。
「イズモ、どうしたんだ?」
「っ!」
俺は慌ててしろから目線を逸らし、くるりと反転してしろに背を向ける。
「ふ、服! 服着ろ!」
「ん? 服──ひにゃああっ」
しろは可愛らしい悲鳴を上げると、慌てた様子で服を拾い上げて着始めたのが音でわかる。
全身が熱くなり心臓がうるさく高鳴る。頑張れ俺の理性。崩壊した瞬間に色々なものを失うぞ。
「こ、これはだな! 最近猫の姿に戻ってなかったから忘れてただけであって、別にお前に裸を見せようとしたわけじゃないんだからなっ!」
「それはわかってる……つーかなんで俺がそんな勘違いしてると思った!?」
「だだだだって、イズモは夢奈に慣れてるから、そー勘違いしてもおかしくないかな、と……」
「うん確かにな! でもそんな勘違いするわけないし、あいつも言葉ではその手のことをよく言ってるけど、実際に行動にはうつさないからな!」
「そうなのか。あ、もうこっち見ていいぞ」
「そーなの!」
返事をしながらまた反転してしろと向き合う。
俺は思わずじっとしろの胸を見てしまう。服の上からじゃ大きさはわからないものだな。ていうか着やせするのかな。
まずいな。もう服は着てるのに、見えないのに、見えるわけないのに、脳内に焼き付いたしろの全裸のせいで服が透けて見えるや……。頑張れ俺の理性。
「ど、どーせ貧乳だ悪かったなっ!」
視線を向けていたのがばれていたらしく、しろは真っ赤な顔で叫んだ。
わりかし可愛かったせいで理性の手綱を手放しそうになったぞ、危ない危ない。
俺はごまかすためにごほんと咳払いを一つ。
「いや、その……着やせするんだな?」
しろはびくりと肩を跳ねさせ、気まずそうに視線を逸らす。
「ほ、ほんとにそう思うか? ち、ちっちゃすぎておかしかったりしないか?」
ちらちらと俺の様子をうかがいながら尋ねるしろの姿がなんだか可愛らしくて、思わず笑みを浮かべながら襲いかかりそうにな──るけど痛いほどに拳を握りしめて堪える。落ち着け俺。
「やっぱり気にするほどちっちゃくないと思うぞ?」
「そ、そうか……」
しろははにゃりと表情を崩すと、俯きながらぺたぺたと胸元を触る。
そんなしろを見ていると全身が熱くなって本能のままに行動を起こしそうになるが必死に堪える。
鈴の時はそもそも混乱しててそれどころじゃなかったし、夢奈の場合は頭の中で『妹』を連呼すれば割とどうにかなる。
押しとどめる物がなにもないのはやっぱりまずいらしい。
考えると余計に駄目な気がするので、思考をかき消すように数回頭を振って、口を開く。
「そういやさ、やっぱり本当の名前って言いたくないのか?」
しろは表情を戸惑ったそれに一変させるとぶんぶんと首を振る。
「い、言っただろう? 名前はないと」
「いや、嘘だってわかってるから」
「うぐ……」
「なんか言いたくない事情があるのか?」
「事情と言うほどのことではない……。なんというか、わたしはあまり自分の名前が好きになれないのだ。というか嫌いだ。しかし、母様はわたしの名前を気に入っているようでいつも嬉しそうに呼んでくれるのだが、わたしはその度になんとも言えない気持ちになる……」
「そんなに変な名前なのか?」
「変、というか、なんというか……あまり聞かないでくれ。最初は……というか今もペットに付けるような名前だとは思うが、本名よりも『しろ』という名前の方がわたしは好きだ。改名したいぐらいだ」
そこまで嫌がるって、どんだけへんてこな名前なんだろうか……。
「……しろ、やっぱりうちにきた理由って話せないんだよな?」
しろはびくりと肩を跳ねさせ、気まずそうに視線を逸らした。
「……すまない。でもきっとイズモにもその内わかる」
「それってどうゆう──」
「イズモ、わたしはそろそろ疲れた。独りにしてくれないか?」
はっきりとした拒絶だった。
俺自身、理性にさようならしそうなのでそれを拒絶する理由もない。というかそろそろしろから離れて冷静にならないとちょっとまずい。
俺は苦笑を浮かべながら立ち上がり、「おやすみ」と言って部屋を出て行く。しろの返事はなかった。
それから夢奈の部屋に向かった。一応ノックはするが返事はなし。扉を開けて中に入ると、そこに夢奈はいなかった。返事がないはずだ。
自室に戻るとベッドの前で体育座りをしている夢奈がいた。
無言で夢奈に近づき、隣に腰掛ける。
「さっきのこと、話す気になってくれたのか?」
「……なんのことですか? ゆめはお兄ちゃんにお話なんてないですよ」
と言ってみせる夢奈にいつもの元気はない。
「……そーだな」
「あの、お兄ちゃん。今日も、その……一緒に寝てもいいですか……?」
不安げに夢奈は俺を見つめる。俺はそれに笑顔で返し、ぽんぽんと夢奈の頭を撫でる。
「最近の夢奈は甘えん坊さんだな」
「……」
夢奈は無言で顔を俯かせる。
「……あんまり無防備に俺と一緒に寝たりすると、本当に襲うぞ」
冗談交じりにそんなことを言ってみると、夢奈は目をぱちくりさせて、戸惑ったような笑みを浮かべた。そしてむぎゅりと俺の腕に抱きつく。
「大好きです、お兄ちゃん……」
力なくそう言って夢奈はこてん、と俺の身体に寄りかかる。
「俺も大好きだよ」
その日も俺は夢奈と一緒に寝た。




