第14話 『彼女』の秘密
シャワールームの扉にはトイレに使われるあのマークがでかでかと付けられ、女子用とは離れた位置にある。
つまり、うっかり女子が間違ってこっちを使ってた~なんて、ラブコメみたいなハプニングは起こりようがない。
扉を開けて靴を脱ぎ、脱衣所に向かうとどうやら珍しく人がいるようで、シャワールームの方から水音がする。脱衣所の棚にはその人のものと思われる、脱いだ制服が綺麗に畳まれて置いてあった。夢奈が大人しくファミレス向かってくれたことに今更安堵する。
野郎の脱いだ服をじろじろと見るような趣味もないので、俺は少し距離を取った位置で服を脱いで棚に突っ込む。
それから扉を開けてシャワールームに足を踏み入れて数歩進むと、個室から人が出てきた。
ちょっと驚いて足を止めると、もくもくと立ち上る湯気の中にバスタオルで髪を拭いている利用者の姿があった。
男にしては少々低めの身長と、女みたいな中性的な顔つきの男は鈴だった。
……鈴、だったのだが。なんだろう、俺の見間違いかな。
血色の良い白い肌をつー、と滴る水滴が艶めかしい。男なのに。
下ろした長い黒髪からもぽたぽたと水が滴り落ちている。髪が肌に貼り付いている様が艶めかしい。男なのに。
タオルで頭を拭っている腕、わきのくぼみ、それから細身の腰に続くラインが妙に艶めかしい。男なのに。
尻も女の子特有の柔らかそうなそれに見える。男なのに。
そして鎖骨の下──要するに胸──が、膨らんでいるように見えた。男なのに。
頂点に位置する桜色の突起物まで披露されている胸は結構膨らんでいるというかしろより大きいように見えるというか何というか、すごくおっぱいだった。男なのに。
おかしいな。メガネが曇ってるのかな。それとも度数が合わなくなったかな。あ、そもそも俺メガネかけてないじゃん。ということは俺の見間違いかな。そうだろう、それしかあり得ない。だって鈴は男だし。ここ男用だし!
「……」
「……」
俺達の間になんだか嫌な空気が流れる。俺より早く石化状態から復活した鈴は顔を赤くしたと思ったら直ぐに顔を蒼くする。忙しく顔色を変える友人の姿を俺は呆然と見つめることしか出来ない。おっぱいがなんかおっぱいだった。
鈴が焦った様子で一歩後ずさった。俺もうおっぱいのことで頭がいっぱいだよ。 おっぱいのことしか考えられなくなってるよ。やだなにこれ俺変態みたい! どうしよう、誰か助けて欲しい。
なんだかもう訳がわからないが、冷静になるために一度シャワーを浴びようそうしよう。
そう思いながら俺が一歩踏み出すと、
「いやっ」
そんな女みたいな声を上げながら、真っ青な顔のまま俺に向かってなにかを投げつけてくる。
とにかくシャワーを浴びようそうしようおっぱい! ということで頭がいっぱいになっていた俺にそれがなにかを確かめる余裕はなく、おっぱいを覚えながら、間違えた目眩を覚えながら一歩踏み出した瞬間、なにかを思い切り踏んづけて俺は前のめりになる。踏んだ感触から察するに多分石けんだろう。
「うぉぉぉおおおお!?」
眼前には目を白黒させている鈴の顔。俺の頭の中に昨日の光景が駆け巡る。
駄目だ! このまま押し倒すのだけは絶対に駄目だ! 絶対よくないことになる! 主におっぱい的な意味で! そもそも俺に男を押し倒す趣味はねえ!
こいつホントに男かよ、と言いたくなるぐらいに華奢な肩を掴みながら俺はバランスを保とうと、押し倒すのだけは阻止しようと、必死に足元を踏ん張る。しかし俺の脳内大混乱中。
とにかく押し倒すのだけは駄目だ、ていうかこいつは本当に男なのか、いや男だろ、いやでもおっぱいがおっぱいだぞ!? ──無意識にぐるぐるぐるぐる巡る思考にいっぱいいっぱいで、俺は目の前に見ているものも、鈴がなにか言っていることも認識できない。
「っ!」
そして俺は固い地面に勢いよく身体を打ち付けた。よし、押し倒すのは免れたぞ!
「……え?」
「ひぁっ、いき、ふきかけちゃ……」
耳に届く声を処理できるほどに俺に余裕はなかった。あれ? なにこれどういう状況?
甘酸っぱいような、柑橘系の良い匂いが鼻腔をくすぐり、俺の腹部には男じゃあり得ない柔らかすぎる二つの膨らみが当たっている。間違いなくおっぱいだった。
そして俺の身体を挟み込んでいるふくらはぎも、くらくらするぐらいに柔らかかった。
俺の眼前にある真っ白いお尻もやはり柔らかそうで、滴る水滴が妙に色っぽい。
そんでもって男にあるべき物が…………なかった。
というかなんでこんな状態になったんだよどうなってんだよわけがわからねぇよなんか色々柔らかいなこん畜生!
「……はい?」
「ひゃうんっ」
鈴は俺の身体の上でぶるりと全身を震わせた。俺は訳もわからず瞬きを繰り返すことしか出来ない。
「え? あの……え? ……ええええええええええ!?」
「ヒャッ……ッあぅん……ャッ」
そんな艶めかしい声を上げながら鈴は勢いよく起き上がり、落ちたバスタオルを拾い上げるとぱたぱたと脱衣所に向かっていった。
俺はふらふらになりながらも起き上がり、とりあえずシャワーを浴びた。冷静になったところで先ほどの状況を思い出して、頭の中で整理する。
「うー……わー……」
頭痛が痛い、じゃなかった頭が痛くなってきた。
理由はわからないが、鈴は女の子だった。男だと思っていた友人が女の子だった、という時点でもう頭が痛くなってくると言うのに……。
俺は鈴の裸を、全身を、ありとあらゆるところを、夢奈のですら見たことないところとかを、ばっちり見ちゃった上に俺もばっちり見られちゃったわけで。
鈴のあんな所やこんな所がスライドショーよろしく脳内で流れていく。ついでに鈴の妙に艶めかし声も脳内再生。
俺は顔が熱くなるのを感じた。夢奈にばれたら殺されそうな状況だぞこれ……!
それから脱衣所に戻ると、隅っこの方で縮こまって椅子に腰掛けている鈴がいた。
どうやら俺が着替え終わるのを待っていてくれるようなので、無言でそそくさと身体を拭いて体操服に着替える。
「あ、あのー……鈴?」
鈴はびくりと肩を跳ねさせ、恐る恐るといった感じで立ち上がり、俺の方を向いて座る。
俺も椅子を鈴の目の前に置いてそこに腰掛けた。
「? なんで体操服を着てるんだ?」
「ああ、ちょっといろいろあってな」
「ふーん?」
俺の目の前に座っているのは男子の制服を身につけ、長い髪をローポニーにしたいつもの鈴だ。石けんの良い匂いがする。
確かに、男にしては身長は低い方だし体つきも女みたい華奢だ。顔つきも中性的で女装させたら間違いなく美少女に早変わりするだろう。それは前々からわかっていたことだが、本当に女だとは思いもしなかった。クラスメイトは勿論、夢奈だって鈴が女だなんて、夢にも思わないだろう。
「……女、だったんだな」
鈴はびくりと肩を跳ねさせて気まずそうに顔を俯かせた。
夢奈が鈴に対してはえらいガードが緩い理由がようやくわかった。夢奈は俺以外の男に対しては基本的に事務的な会話しかしないし、隙を見せることはまずない。
しかし鈴に対してはそうじゃなかった。俺と同じように会話をするし隙だらけだ。
前に理由を聞いたところ、
『よくわからないですけど、阿久津君はなにか他の男の人と違う感じがします。うまく言えないんですけど』
と本人も困った様子でそんなことを言っていた。
本能的に鈴が男じゃないことを見抜いていたのかもしれないな。恐ろしい奴だ……。
「……もう今更隠し通せないし、全部話すよ」
鈴はため息をついて真剣に俺を見る。
「僕は間違いなく女だよ。訳があって男として生活してるけど」
「その訳ってなんなんだ?」
「……『阿久津家』は男しか《退魔師》になれない、という家訓があるんだ。女は早い内に優秀な《退魔師》の男と婚約を結び、成人する前に婿にもらう、というのが『阿久津家』の家訓だ。だけど僕は好きでもないやつと結婚するのなんてごめんだったし、なにより《退魔師》になるのが夢だった」
「それで、どうして男として生活するようになったんだ?」
「中学に上がってからの三年間、必死に両親を説得し続けて、『男として生活し、ばれない限りは好きにすればいい』という約束を取り付けることが出来たんだ。幸いにもこの学校は結構融通がきくから、僕が男としてこの学校に籍を置くことはあっさりと認めてもらえた。……と、まぁそんな感じで僕はずっと君を騙していたわけだ。すまなかった」
鈴は深々と頭を下げる。
「いいってそんなの。まぁちょっと……思い出すと頭抱えたくなるようなこととかあるけど……」
俺の発言とか、鈴の発言とか。
ていうか鈴も平然とした顔で下ネタ言ったりしてたけど、女の子ってそれが普通なんだろうか……。
「イズモ、君が考えていることは大旨予想がつく。一応言って置くが女子がみんな平然と下ネタを言うという認識は間違ってると思うよ」
「……よくわかったな」
「イズモはわかりやすいからね。ちなみにだけど、僕が平然と下ネタを言えるのは練習して耐性を付けたからだよ」
「練習って……なんのために?」
「男子は平然と下ネタを言うものだと思ったから」
「すごい勝手なイメージだな……。俺はそんなに下ネタ言った覚えはないからな! どっちかと言わなくても夢奈と鈴の方が日常的に下ネタを口にしてるからな!」
「その点については同意だね。まぁだから、僕はえっちな漫画や小説とかの朗読ぐらいなら表情を変えずに出来るよ。やってみせようか?」
「やらなくていいですお願いですからやらないでください!」
それはすごく心臓に悪そうだし……。
「なんだつまらない」
そう言って鈴はがくりと肩を落とした。なんでそんなに残念そうなんだよ。
「そ、それにしても……男に人の身体はああなってるんだな……」
鈴はわずかに顔を赤くしながら、恥ずかしそうに両手を太ももで挟み込んでもじもじする。ちらちらと上目遣いに俺を見たり俺の股間を見たりしていた。その瞳は僅かに潤んでいた。
なんというか……すごく可愛かった。男だと思っていた友人にこんなこというのも何だが、本当に可愛かった。
だけどそんな興味深げに股間を見るのはやめて欲しい。
「あ、あのさ……俺も忘れるように努力するから忘れてもらえると……夢奈に殺されそうだし……」
「まぁ僕も出来る限り努力はするよ」
「……怒ってないのか?」
「今回は今の時間帯に利用する人はいないだろう、と油断しきっていた僕に原因がある。それとも君は責任を取って僕の婿にでもなってくれるのか?」
俺はなんと返せばいいのかわからず、視線を逸らすことしか出来ない。
「……冗談だよ。それより、その……イズモ……あの、お願いがあるんだけど……」
視線を戻すと鈴は気まずそうに口元をもごもごさせながら視線を彷徨わせていた。
「女だってこと、誰にも言わないでほしいって事だろ? 大丈夫だよ、言わないから。今まで通り、俺とお前は『男友達』だ」
「ん、ありがとう」
鈴が今は気にしていないからなのか、俺が必要以上に意識してるからなのかはわからないが、嬉しそうに微笑む鈴はすごく女の子だった。
俺は気恥ずかしさを覚えて視線を逸らし、鞄からスマホを取り出す。
「ま、まさか夢奈ちゃんに僕のことを……?」
「夢奈に連絡するって事は間違ってないが、言うわけないだろ! そこまで薄情なつもりはねぇよ!」
「冗談だよ」
そう言って肩をすくめてみせる鈴はいつもの鈴だった。まぁ鈴が男でも女でも、鈴は鈴だし俺の友人って部分は揺るがないんだけどさ。
スマホを操作して夢奈に電話をかけると、ワンコールで夢奈は出た。
『お兄ちゃん! どうしましたかなにかありましたか大丈夫ですか無事ですか!?』
「大丈夫だから落ち着け」
『本当に大丈夫ですか淫乱で変態な痴女に童貞を奪われたりしてないですかっ!?』
「なに言ってんだ! 校内でんなことあってたまるかっ!」
『本当ですね嘘ついてませんねお兄ちゃんは今でもちゃんと童貞ですね!?』
「ああ童貞だから安心しろ──って、なに言わせんだ!」
鈴がニヤニヤしながらこっちを見ていた。死にたくなった。
「とにかく、直ぐにそっち向かうから、もう少し待っててくれるか?」
『はい。でもゆめはお兄ちゃんが心配で心細くて胸が苦しくて死にそうなのでなるべく早く来てくれると嬉しいです。正直ゆめ、泣きそうです』
事実夢奈は鼻声になっている。童貞云々はそれをごまかすための冗談だったのだろう。
少しでも気が紛れてくれたなら、死にたくなった甲斐があるってもんだマジで死にたい。
「わかった。直ぐ行くよ。それじゃ」
『はい』
電話を切って俺は立ち上がる。
「それじゃあ俺は帰るよ。またな」
「うん、またね。イズモ、早くどーてー卒業できると良いね」
「余計なお世話だあほ!」
にっこりと爽やかな笑顔でとどめを刺されて死にたくなりながらも、俺は靴を履いてここを出て、全速力で夢奈の下に向かった。




