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退魔師兄妹の日常  作者:
第二章 転がり込んできた『猫』との生活
12/23

第12話 兄の気持ち

 自室のノブを捻ってみると、どうやらというか、やはりカギをかけているらしく、扉は開かない。それからやっぱりナチュラルにこっちに来てるけど、ここ俺の部屋なんだけど。


 俺はため息をつきつつノックする。


「夢奈ー。ここ開けてくれ」

「いやです絶対に開けません! どうせ今までしろといちゃいちゃぬちゃぬちゃしてたんですよねっ! ……ぐすん」

「いちゃいちゃもぬちゃぬちゃもしてないからここ開けてくれ!」


 ていうかぬちゃぬちゃってなんだよ。


「いやです!」

「そもそもここ、俺の部屋だから!」

「うぐぐぐ……イズモの……イズモの……」


 夢奈の声が酷く震えている。まずいまた泣きそうになってるのかもしれない。


「夢奈、大丈夫だから。とにかくここ開けて冷静に話そう。な?」

「やですやですやです! イズモのあほばかえっち変態っ! ふっ、ふええ……ぐすん」


 見なくとも半泣きになっている夢奈の顔が頭に浮かぶ。


「夢奈、ここ開けてくれ」


 静かな声音でそう言うが直ぐに「いやです」と返事が返ってくる。


「お兄ちゃんはゆめよりしろが好きなんですよね。だったらしろのところに行けばいいですっ!」

「あのな、そんな訳ないだろ」


 口に出してからしろが聞いたら傷つきそうだな、と思ったが思考をかき消すように頭を振った。


「嘘です嘘です信じられないですっ! お兄ちゃんはゆめのお兄ちゃんなのに、ゆめだけのお兄ちゃんなのに、しろとペア組むし……」

「夢奈がいるときにしろと組んだりしないから大丈夫だって」

「そんなのわからないですっ! あんな風に女の子を押し倒して胸揉む破廉恥な人の言うことなんて信じられませんっ! ゆめだってしてもらったことないのに!!!!」

「最後の本音はせめて隠せよ! つーかふつー妹の胸を揉んだりしないの! それにあれも事故なんだってば!」

「そんなのもう信じられませんっ。お兄ちゃんはゆめの知らない間にどんどんしろと親密になって、え、えっちな事とかして、それで田舎でひっそり暮らすんですよね。子供は男の子が一人と女の子が二人で、五人仲良く幸せな暮らしを送るんですよね。お兄ちゃんとしろの子供の顔を想像しただけでゆめは……ぐすん」


 言い返す言葉が見つからない。子供の顔や数まで妄想膨らませる奴を俺は今まで見たことないし聞いたこともない。動揺してるのはわかるがびっくりだぞ。ていうかちょっと引いた。


「大丈夫だっての。どっちかというとそれは…………いや、なんでもない」


 俺は思考をかき消すようにまた数回頭を振った。


 危ない、勢いに任せて『夢奈とそうなる可能性の方が高い』とか、ばかげたこと口走りそうになった。

 夢奈は妹だ。妹とそういう風になるわけがない。


「もう知らないです。お兄ちゃんなんて好きです、大好きですっ。あっちに行って下さいっ」


 こんな時でも『嫌い』と口に出さないのは夢奈らしい。


「ていうかそもそもここ俺の部屋なんだってば……。ったく。前にも言ったと思うけど、俺は夢奈が一番大切なんだって。昔も今もこれからも、最優先事項は夢奈。俺の世界は夢奈を中心に回ってるって行っても過言じゃねーよ」

「そ、それはゆめも同じですけど……。お兄ちゃんが一番大切で大好きで、ゆめにとってお兄ちゃんが全てです」

「ああ、わかってるよ。だからここ開けてくれ」

「い、いやですっ! もう信じられませんっ。お兄ちゃんの言葉は信じられないですっ。お兄ちゃんはゆめのこと、き、嫌いなんですっ! わがままで子供みたいだから、嫌いなんですっ!」


 こうなってはなにを言っても無駄だろう。夢奈は俺が本心から言った言葉だって言うのもわかってるはずだし、俺が夢奈を嫌いになることなんかあり得ない、っていうのもわかってるはずだ。


 多分、もう意地になってるんだろう。夢奈は結構頑固だし。こうなったらもう最後の手段だ。これは余計に夢奈を傷つけることになるだろうからやりたくなかったんだが、このままだと埒があかない。


「夢奈、開けないとマジで嫌いになるぞ」


 ぴしゃりと言い放つと、扉越しに夢奈が慌ててこちらに走ってきたのがわかる。


「開けますっ! 開けますからっ! でも、あの、カギ開けても十秒待ってくれるって約束して下さい!」

「わかった、約束する」


 夢奈がカギを開けてくれる。それを確認して俺は「いーち」とカウントを始めた。十秒数えて部屋に入ると、夢奈は掛け布団の中で丸くなっているようだった。


 俺は夢奈の下まで歩いて行き、ベッドの前であぐらを組む。


「夢奈。そのままでいいから聞いて欲しい。さっきのは本当に事故なんだ。俺としろがそんな風になるわけがないだろ。俺は親父と違って女好きじゃないからな。それに、しろ自身もあんなにその手の知識に疎いんだぞ? そうなるわけがない」


 夢奈はもぞもぞと掛け布団から顔だけだし、じっと俺の顔を見つめる。赤くなった目と鼻に心苦しくなった。


「……ほんとう?」

「本当だよ」


 夢奈は布団から抜け出し、俺に飛びついてきた。受け止めて頭を撫でると、夢奈は鼻をすする。


「ごめんなさい」

「勘違いさせた俺も悪いんだ。ごめん」

「でもでもっ。ごめん、なさい……。ゆめ、わがままで、子供で、疑って、酷いこと言って……イズモ、ゆめのこと嫌いになっちゃやだよぉ……」


 夢奈は身体を震わせて、首を振りながらすがりつくように俺に抱きつく。


「大丈夫だよ。嫌いになったりしないから」

「でもでも、でもっ! さっきイズモは嫌いになるって言った! ゆめのこと、嫌いになるって!」


 俺を見上げた夢奈はまたぼろぼろと涙をこぼしていた。


「嫌いになっちゃやだよぉ……ずっと一緒にいてよぉ……捨て、ないで、よぉ……」

「っ!」


 夢奈の言葉に息が詰まる。

 頭が痛い。息苦しい。動悸がする。吐き気がする。目眩がする。視界が歪む。夢奈がなにか言っているけどよくわからない。もう、訳がわからない。


 俺自身記憶の片隅にしまい込んで、封じ込めて、全部なかったことにしていた。


 夢奈も俺と同じ──いや、同じでなくとも全部全部、整理はすんでいるものだと思っていた。


 ──いや違う、思い込もうとしてた、のか。


 異常なまでの俺への依存癖もやっぱりそういうことか。まぁ、俺も人のこと言えないわけだが……。


「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんおにいちゃんおにいちゃん」


 ぐらぐらと揺すりながら夢奈に呼ばれて、俺の意識は現実に引き戻される。

 夢奈を見ると、突然何も言わなくなった俺の様子に不安を覚えたのか、酷く傷ついた顔で俺を見上げていた。


「ゆめ──」


 俺が呼び終わる前に夢奈が口を開く。


「ゆめはイズモのことが好きだからぁ、大好きだからぁ……嫌いになっちゃやだよぉ。捨てないでよぉ……ごめんなさい好き好き好き好き大好きっ。お兄ちゃん、イズモ、やらぁ……好きなの大好きなの愛してるの。ずっと一緒にいるの一生一緒にいるの死ぬまで一緒にいるの。好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き大好き。イズモイズモイズモイズモイズモぉ……。ゆめはイズモのでイズモはゆめのなの……他の女の子といちゃいちゃするのなんて許されないの……。他の女の子の胸を揉むなんて絶対に駄目なの……。ゆめ以外の(ひと)に触っちゃやだぁ。優しくしちゃやだぁ、甘やかしちゃやだぁ……。話しちゃやだよゆめ以外見ちゃやだよぉ! お兄ちゃんにはゆめがいるのに……やだやだやだやだやだやだやだやだやだぁ! わがまま言ってごめんなさい甘えてごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい、イズモ……愛してるからぁ……ゆめ、なんでもするかぁ……イズモのために、イズモの望むことなんでもするからぁ。だから嫌いになっちゃやだよぉ……。ごめんなさいっごめんなさいっ捨てないでぇ……一人にしないでぇ……。もうやだ、あんなのもうやだぁ……。ずっと一緒にいてよぉ……ごめんなさいっ。好き好き好き。お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、イズモ好きっ。お兄ちゃん、お兄ちゃん大好きっ……」


 俺の胸をぽかぽかと力なく殴りながら夢奈はそう言った。


 そしてえぐえぐとまた泣き出してしまう。俺は今どんな顔をしてるだろうか。もしかしたら表情が消えているのかもしれない。いいや、そんなことどうでもいい。


 そんなことより俺は今、どうしようもなく──


 ──夢奈が愛しいと思った。


 夢奈(こいつ)は本当に俺がいないと生きられないんだろう。夢奈の中では本当に、俺が全てなんだろう。


 諸々の事情から来る恐怖心を差し引いても、どうしようもなく、狂気すら感じるほどに、夢奈は俺のことが大好きで大好きで仕方ないのだろう。


 俺が自分の側から離れていくことが、いなくなることが、なによりも恐ろしいことなのだろう。きっと夢奈はこれでもずっと我慢してきたのだろう。俺を困らせないために。


 それが俺がしろとペアを組んだことと、事故とは言え胸を揉んでしまった光景と、俺の『嫌いになる』という発言によって理性が崩壊し、内に留めておくことも出来ず全部、全部、吐き出してしまった。


 夢奈は今もぼろぼろと涙を零してむせびながら、


「お兄ちゃぁん、イズモぉ。好きぃ、大好き。愛してる。ごめんなさい、やらぁ、お兄ちゃぁん、捨てないでぇ……」


 と今でも声を漏らしている。


 ああ、俺はもしかしたら──いいや、やっぱり、夢奈(いもうと)のことを妹として見れていないのかもしれない。


 今までに見たことない夢奈の姿が苦しくなるぐらいに愛しくて。どうしようもないぐらいに大好きで。狂気を感じるその言葉も、気持ちも、泣きそうになるぐらいに嬉しかった。


 それが家族としてのそれなのか、はたまた別の感情なのかは、今の冷静じゃない頭ではわかるわけもない。


 ──いや、冷静に考えずとも、その感情が家族に──妹に向ける愛情(それ)から逸脱してしまっているのは明白だろう。


 ずっと俺は──家族だから。妹だから。シスコン。ありない。そんな訳ない。

 俺は妹に欲情するような変態じゃない──。


 そうやって他人に、夢奈(いもうと)に、自分自身に、ずっと言い訳をしてきた。


 妹を異性として意識する感情は歪で、酷くずれていて、倫理的に問題のある感情だというのがわかっていたからこそ、それを認めるのが怖かった。認めたくなかった。


 だからと言って、もう無理だ。


 こんな純粋で、真っ直ぐで、それでもって狂気に満ちあふれた愛情をぶつけられて、それでも理性的に物を考えられるほどに俺は大人じゃない。

 俺はむせび泣く夢奈の小さな体を、壊れない程度に思い切り抱きしめた。


「おにい……ちゃん?」


 抱きしめ返しながら夢奈は首を傾げる。


「夢奈、ごめん。夢奈の気持ちはわかったよ。嫌いになったりしないから。ずっと一緒にいるから。愛してるよ、夢奈」


 すらすらと出てきた気持ち悪さを覚えるほどのその言葉に、思わず苦笑を浮かべてしまう。この辺はやっぱり親父の血、だろうな……。


「ほんとう? お兄ちゃんは、ゆめのこと愛してるの?」

「本当だよ」

「じゃあ今日一緒に寝てくれる?」

「それで夢奈が元気になってくれるなら」


 腕の力を緩めると、夢奈は少しだけ体を離して俺を見上げると嬉しそうに、幸せそうに赤くなった瞳を細めた。


「ん、じゃあゆめ、元気になる」


 そう言って浮かべる無邪気な笑顔も。抱きついて俺の体に頬をすり寄せるその姿も。くらくらするほど可愛かった。


 なんだって俺の妹はこんなに可愛く育ってしまったんだろうか。俺は夢奈の頭を撫でながら思わず苦笑を浮かべる。夢奈はそれにまた嬉しそうに微笑むと、すりすりと俺の体に頬を押しつける。


 女の子特有の体の柔らかさと甘ったるい匂い。幸せそうな表情で体いっぱいで俺への愛情を表現する妹が──夢奈がどうしようもなく可愛くて、どうしようもなく大好きで。


 それでもやっぱり駄目だ。


 夢奈の愛情(きもち)を。俺自身の愛情(きもち)を。


 理解した上で、俺はこれから先もそれを否定し続ける。


 ──俺は夢奈のことを『妹として』大好きなのだと。


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