16.優しさと弱さと
映画や漫画の世界だと、涙は美しいのに
残念なことに現実は、そうでもない。
せっかくのムードも、止まらない嗚咽に
キスもままならなかった。
あたしは今、カオルさんが貸してくれた
箱ティッシュを抱えている。
「ごめんなさい。こんなに泣くつもり
なかったのに」
悲しかったのと、嬉しくなったのとで
あたしの涙腺は見事に崩壊していた。
泣きはらした顔のあたしを見て
カオルさんはニヤリと口元を上げる。
「可愛い」
「……」
「もっと、泣かせたくなるよね」
「……いつものカオルさんだ」
「何? それ」
「意地悪」
くっ、とカオルさんが笑う。
「ごめんごめん。
そういえば頭は? まだ痛む?」
「大丈夫です。触ると痛いけど」
「どこ?」
あたしはコブのできている後頭部に手をやった。
きっと今夜は、仰向けでは寝れない。
「痛かったよね。本当に、ごめん」
「もう。カオルさんのせいじゃないのに」
「ねぇシノ」
「はい」
「本当に、私でいいの?
よく考えてから、返事をくれても……」
「そんなの。考えたって、変わらないです。
カオルさんこそ、あたしなんかで」
「うん。私は、シノがいい」
照れもせずに言うカオルさんが
以前と同じカオルさんで、嬉しくなる。
もう一度、カオルさんの彼女に。
散々泣いて、みっともない姿を曝け出して
今さら改めてそんな事を誓うのも照れくさいけれど
でもなんだかようやくこれで
自分たちの足元が見えたような
ようやくちゃんと進めるような、そんな気もした。
今日はまだまだ一緒にいたいと思った。
けれど時計を見ると、もう深夜の2時を回っている。
「……ねぇカオルさん」
「ん?」
「今日、帰らないで」
思わず言っていた。
「え?」
「え……っと、なんて言うか、まだ話したいし
まだ一緒にいたいな……とか。
もし良かったら、今からうちに……ダメ?」
「でも、シノは今日、頭を打って……
ゆっくり、休まないと。明日は仕事でしょ?」
「仕事は、夕方からだから」
「だけど」
「お願いです」
今はどうしても一緒にいたいと思った。それに
以前ここでカオルさんを帰してしまった事を
あたしはどれほど後悔したか知れない。
今日は突然の事だから、部屋に招くには色々と
準備ができているわけではないけれど
この際、そんな悠長な事は言っていられない。
「ダメですか?
今日はもう帰らないと、ダメ?」
「……」
カオルさんはあたしの鼻をつまんだ。
「イテ」
「ばかシノ。そんな可愛い顔して。
一緒にいたいに決まってるでしょ」
あたしは鼻を押さえてニヘっと笑う。
その頭の隅っこでは、素早く計算をしていた。
大丈夫。今日なら急げば
なんとか5分で片付く部屋の散らかり具合。
もしも、そういう雰囲気になったとしても
大丈夫、大丈夫。なんとかなる。なんとかする。
そんなコトを考えているあたしを知ってか知らずか
カオルさんは手をそぉっと、あたしの頭に置いた。
「でも。シノは私にかまわずに、すぐに寝る事。
いいね?」
「……」
「倒れてたシノをどんなに心配したか。
何かあったら、私は正気じゃいられないよ。
帰ったらとにかく、横になって休んで。
分かった?」
「…………ハイ」
そういう訳で、そういう事になり
部屋に着いたあたしはさっさとシャワーを済ませ
さっさとベッドに潜らされる事になった。
横になってみると確かに、頭の痛みは和らぎ
おかげで身体はずっと楽になる。
カオルさんは、自分はそのままでいいと言って
横向きに寝ているあたしのすぐ目の前に
ベッドを背もたれにして座った。
「一応、ユッキーに報告しといたよ」
携帯電話をテーブルの上に置きながら
カオルさんは言う。
あたしを無事に送り届けたという事と
復縁したという事を、ユッキーに報告したらしい。
「ユッキー、驚いたかな」
「まさか」
「そういえばカオルさんは今日
ユッキーに誘われて、イベントに来たって……?」
「そうだよ。やけにしつこく誘うなと思ったら
あそこにシノがいたからだった」
「じゃ、ユッキーはわざと」
「うん。あの子は私の気持ちを知ってたからね。
まんまとやられたよ」
「だけど、何も内緒にすることなかったのにな」
「もし知ってたら、どうしてた?」
「……少なくとも、リストバンドはしなかった」
「私も」
カオルさんは笑い、あたしも笑った。
「ほんと、敵わないよあの子には。
でもおかげで、シノに会えた」
カオルさんは横を向くと
布団から出たあたしの手を握った。
「こんな風に一緒にいられるなんて
夢みたいだよ。ありがとうシノ」
「お……礼なんて。それはユッキーに」
「ううん。シノが私を好きでいてくれたから。
本当に嬉しかった」
世間ではそれを未練と言うのだろうけれど
未練も時には、役に立つものだと思った。
万が一にもあたしが潔く諦めていたなら
こんな再会はなかったかもしれなかった。
「でも正直言うと、今でも不安だよ。
シノを彼女にできても
私はシノのために何をしてあげられるのか」
「また、そんな事を」
「そう言うけどね」
「カオルさんは……あたしのことを
好きでいてくれたら。それでいいです、あたし」
少し照れながら言うと、カオルさんは眉を上げ
それから優しく微笑んだ。
「シノのそういうところが、大好きだよ」
カオルさんはベッドに向き直り、膝をつくと
あたしの頬に温かい手を添えて
ゆっくりとキスをしてくれた。
車の中ではひたすら泣いていて
まともにできなかったから、ようやくの事で
あたしは嬉しさに身体が震えた。
優しいキスだった。
感触を少しずつ確かめるように
あたしの様子をうかがうように
ゆっくりと重ねられては、離れ
離れては、重なる優しいキス。
あたしはこのキスを知っていると思った。
前にも何度かカオルさんは、こんな風に
ひどく優しいキスをしてくれた事がある。
でも今なら、この優しすぎるキスの意味が
あたしには分かる気がした。
きっと優しさだけではなかった。
そっと、そっと触れるのは
不安そうにあたしの様子をうかがうからで
なかなか入ってこうようとしないのも
きっと何かを迷っていたのだと思う。
カオルさんの心の葛藤や、不安や、愛情が
今なら痛いほど分かる。
あたしは涙が滲みそうになるのを堪えながら
カオルさんを力いっぱい抱きしめ
何度も、何度もキスをした。




