8.複雑な世界
お酒を飲んで、ようやく一息ついたところで
あたしはあらためて周りを見渡した。
「どう? ご感想は」
アカネさんが楽しそうに微笑む。
あたしはテーブルに肘をついて
ふーっと息を吐いた。
「なんか……すごいね」
すごい、としか言いようがなかった。
女性しかいない夜のイベント。
しかもフロアに溢れる女性たちが
全部が全部そういう人、なのだと思うと
こんなにたくさんの人がいたのだと
あたしはまず、驚くばかりだった。
でもみんな、普通だった。
お酒を飲み、楽しく喋り、踊り
その光景はどこにでもある風景だった。
ビアンイベント、というだけで
気負っていた自分が少し、恥ずかしかった。
それでも、女の子同士のカップルが
キスをしているのを見てしまった時は
さすがに、驚いたけれど。
壁際でいちゃついているのを見て
思わず目を丸めてしまった。
きゃー! と思った。
初めて見てしまったと思った。
驚いたけれどその半面、いいなとも思った。
ここなら誰にも隠さずに
堂々とカップルでいられる。
二人はとても楽しそうだった。
手を繋いだ2人の手首には
グリーンのリストバンドが
幸せそうに光っていた。
羨ましいと思った。
あたしも来たかったと思った。
一緒に。どんなに楽しかっただろう。
どんなに、幸せだっただろう。
今はもう叶わない夢なのかと思うと
心がまた、張り裂けそうになる。
「シノちゃん」
不意にアカネさんに声をかけられた。
「何?」
「……好みの子でも、いた?」
「え? まさか」
思わず手を振って、笑った。
「やだな。そんなの、いないってば」
「いい人がいると、いいわね」
その優しげな眼差しに、あたしは少し照れた。
もしかしたら、凹んでいたのを
見透かされたのかもしれない。
「あれ……。ねぇ、アカネさん」
「なあに?」
「あの人、男……?」
あたしの視線はフロアの隅にいる
1人の人を捉えて止まった。
男性に見える。
でも男性は立ち入り禁止だと聞いていた。
「男の人もいるんだ?」
「ああ、違うわよ。女性よ」
「女? うそ!」
「ふふ。男にしか、見ないわよね」
ボーイッシュな人は何人かいるけれど
そんなレベルじゃない。
完全に男に見える。
「でも戸籍上は、女性なのよ」
アカネさんが言う。
「今回のイベントはね、
戸籍上が女性であれば、OKだから」
「戸籍……?」
「そう。外見が疑わしい人の場合は
入り口で身分証をチェックしてるわ。
だから女性であることは、間違いないの」
「チェック。そこまでしてるんだ」
「そうよ。中には女装した男性だって
いるかもしれないじゃない?」
「あ、なるほど」
「でも本当は、彼女は彼なんだから
なんだか微妙なところなんだけれど」
「FTMってこと?」
「そうね。そういう人もいるわ」
イベントによっては、外見で判断して
男っぽい人が入れないものもあるらしい。
「なんか、複雑だね」
「そう。複雑なのよ」
あれほど男性に見えていて
だけど女性……
なんだか性別というものが
どこにあるか分からなくなってくる。
彼(彼女)の周りには
他にも同じような人が何人かいた。
「こらこら、シノちゃん。
あんまり見つめてると
ターゲットにされちゃうわよ」
アカネさんが楽しげに微笑んだ。
「自分がブルーを付けていること
忘れていない?」
「あ……」
言われてみて気が付いた。
暗闇の中に輝く、手首のブルー。
あたしは思わず袖の中にブルーを隠した。
「ふふ。可愛いわね、シノちゃんたら」
「だって、なんか……違うのに」
「元カノさんは、ああいう人ではなかった?」
「そうじゃなくて。だってあたし、まだ
好きになれるかどうかも、分かんないのに」
「そういえば、そうだったわね。
ね、元カノさんは、どんな感じだった?」
「……」
「あの子たちよりも、もっと、女性らしい人?」
考えて、あたしは頷いた。
でも言葉では、とても説明できない気がした。
もし似ている人がいたら、と思ったけれど
似ている人なんていない。
あんな人は、どこにもいない。
いない事が辛い。
あたしは話題を変えた。
「アカネさんは? 誰かいないの?」
「あら、わたし?」
「可愛い子いた?」
「そうねぇ……」
切れ長の黒い瞳が
すうっと周りを見た。
「あんまり、いないわね。今のところ。
シノちゃんとユッキーちゃんが、一番かしら」
「またまた」
「強いて言うなら、いないこともないけれど」
「どこ? どれ?」
アカネさんがテーブルに身を乗り出したので
あたしも背伸びして顔を近づける。
「わたしの後ろのテーブルあるでしょ」
「うんうん。4人いるけど」
「その右端の……」
視線の先を、不意に人影が塞いだ。
「ちょっと。2人で何楽しそうにやってんの」
そこには仏頂面のユッキーが立っていた。
「ユッキー!」
「あたしも仲間に入れてよね」
ユッキーは器用に
6つの小さなグラスを持っている。
あたしとアカネさんの間に割り入ると
それをカチャカチャとテーブルに置いた。
グラスにはライムが付いている。
「何、これ」
「何ってテキーラ」
「テキーラ!」
「店のおごり。アカネっちもいるからって
ママさんがくれたの」
「あら、気が利くわね」
「でもなんで、6つも」
「またとりに行くの、メンドイじゃん」
アカネさんは細い指で優雅に
ショットグラスを一つとった。
「ありがとう、ユッキーちゃん」
「だから、ユッキーちゃんはヤメてって」
「シノちゃんは、飲めるのかしら」
「テキーラは飲んだことないよ」
「1杯くらいなら大丈夫っしょ」
ユッキーがグラスをくれる。
「潰れたら、介抱してあげるわね」
「あたしも。とりあえず、乾杯しようよ」
グラスを掲げるとユッキーは男らしく
クイッとグラスを傾けた。
「はー、これでやっと一息。忙しかった」
「お疲れさま」
アカネさんは上品にゆっくりと
でもほとんど一瞬で飲み干した。
あたしも見よう見まねでライムをかじり
思い切ってユッキーの真似をした。
喉に、火が付いた。
「か……っ!!!」
「あはは。シノちゃんイケるー」
「大丈夫?」
「だ、いじょうぶ。大丈夫。びっくりした」
「40度くらいあるのよ。気を付けて」
「2人とも、強いね」
「そうでもないよ」
「飲み慣れているだけよ」
アカネさんがさらりと言った。
テキーラを飲み慣れるなんて
アカネさんも相当だとあたしは思う。
「……アカネっち」
ユッキーがまだ手つかずのグラスを
アカネさんの前へスライドさせた。
ユッキーの挑戦的な眼差しに
アカネさんが妖艶に目を細める。
「いただくわ」
2人が同時にグラスを空にするのを
あたしはポカンとして見つめた。




