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Life is choice.  作者: 小野田ラコ
第4章 もうひとつのはじまり
63/85

1.カオルさんの選択

もうすぐバレンタインがやってくる。

あたしはピアスのお返しも兼ねて

プレゼントに時計を買いに行った。


何にしようか迷ったのだけれど

カオルさんはいつも仕事前に

海に行くから時計は必需品。

使って貰えればと

サーフィンにも使える防水の

薄い紫色の時計を買った。


綺麗にラッピングされた包みを見ると

あたしの胸は弾んだ。

カオルさんはどんな顔をするだろう。

喜んでくれるかな。


その日の夜、あたしは自分の部屋で

少しの寝酒を楽しみながら

次に会う予定を組もうと

カオルさんにLINEをした。


しばらくして返ってきた返事が

おかしかった。

『ごめん。会えない』

あたしは首を傾げた。


カオルさんの文章は

いつもそっけない。だから

最初は疑問に思わなかった。


あたしは自分の勤務表を見ながら

別の日を提案しようと

思ったのだけれど、その前に

『しばらく会うのはやめよう』

と入ってきた。


シバラク アウノハ ヤメヨウ?


あたしはその文字を何度も見た。

意味が分からなかった。


『忙しいんですか?』

『違う』

『じゃあ、どうして?』


得体の知れない不安に

身体が熱くなった。

『ごめん』

ごめんって……何が。


『カオルさん、分からないよ』

手が勝手に震えはじめた。

『会えないって、どういうこと?』


返事を待つ時間が、

恐ろしく長くなる。


嫌な予感がした。

だってこれじゃ

なんだかまるで

これじゃ……


そして、見つめる画面に

恐ろしい文章が浮かんだ。

『これ以上シノとは付き合えない。

 友達に戻ろう』


恐怖に、息が止まった。


待って。ちがう。

これはちがう。


再び入る

『ごめん』 の文字。


だめ。

やめて。


汗ばむ手、震える指で

あたしはなんとか文字を入れた。

『待ってカオルさん

 どうしてそんなこと、急に』


訳が分からなかった。

信じられる訳がなかった。

あんなにも優しく、温かく

あたしを包んでくれたのは

カオルさんなのに。

こんな事があっていいはずがない。

あるわけがない。


『もしかしてあたしが、何か』

『違う。シノは悪くない』

『じゃあどうして? お願いです。

 ちゃんと説明してください』


返事がくるまでに

またしばらくの間があいた。


息が苦しい。

鼓動が速すぎて胸が痛い。

あたしは返事を、祈った。


待って、ようやく

入ってきた文章に

あたしは自分の目を疑った。

『他に気になる人がいる』

ホカニ キニナル ヒト……


うそ?

ウソ。

嘘だ、こんなの。


あまりに信じられない文章に

あたしの顔は引きつって笑った。


嘘だ。

やめてよカオルさん。

そんな悪い冗談はやめて。


あたしは慌てて

何か文字を打とうとした。

けれど手が震えて打てない。


嘘だよ。だってついこの間だよ。

あたしを抱きしめてくれた。

キスだって、してくれて……


必死に思い出しながら

けれど思い出して

すうっと血の気が引き始めた。


布団……そういえばあの夜

一緒に寝ようとは

カオルさんは言わなかった。

あの日のカオルさんはどこか

いつもとは違う、カオルさんで……


でも、それはただ

優しさだと思った。

だからあたしは

そう、優しさだと、思って……


喉が、胸がひりついた。

もし、そうじゃなかったとしたら?

それが全部あたしの勘違いで

カオルさんの本心が

別のところに

あったのだとしたら。


全身が凍りついた。

ホカニ キニナル ヒトガ イル


経験したことのない

恐ろしいほどの感情の渦が

黒く、巨大な波となって

あたしを襲った。


イヤだ。怖い。

そんなのはイヤ。

否定して。

冗談だよって

お願いカオルさん

お願い!


けれど再び

『ごめん』 

の三文字が並んだ。

それは冗談ではないことを

残酷に告げる三文字。


あたしの目はフラフラと

宙に浮いた。


これは一体、なに?

こんなに突然に

あたしはカオルさんを

失うの? 

本当に?

どうして?

どうしてカオルさん。

いやだよ。

そんなのはいや!


聞きたい事がたくさんあって

あたしは、聞こうとした。

文章だけではダメだから

電話をかけようとして

けれど、できなかった。


怖いと思った。

『他に気になる人がいる』

もし、その言葉を

カオルさんの口から直接

聞かされてしまったら。

そう思うだけで、

恐怖で体が震えた。


あたしは呆然と

携帯を握りしめた。


どうしたらいいの。

あたし、どうしたら――


様々な思い出が浮かんだ。

カオルさんの優しさ、温もり。

好きだと言ってくれた。

抱きしめてくれた。

どれも、本物だったはずだった。


ボタボタと涙が流れる。

いつからなの、カオルさん。

祖母の事で会えなかった間?

それとも、ずっと前から?

いつから、冷めてしまったの。


ホカニ キニナル ヒトガ イル

心臓を串刺しにする

先の尖った刃物。


あたしは思わずカオルさんを

思い切り責めたいと思った。

あんなに好きだと言ってくれたのに

どうして心変わりなんて

残酷なことをするの。

あんなに優しくしておいて

なのにどうして

こんなにひどいことをするの。

どうしてそんなことができるの。


泣いてすがりたい、とも思った。

他の人のところになんか

行かないでと言いたかった。

謝るから

悪いところは全部、直して

嫌われないようにするから

カオルさん好みの女になるから

だからあたしにもう一度

チャンスをください。


様々な感情が渦巻き

訴えたい事が押し寄せる。

けれどどれも、あたしには

言うことができなかった。


あたしはカオルさんという人を

悲しいけれど、知っていた。


いい加減な気持ちで

人を傷つけるような人じゃない。

おそらくカオルさん自身が

悩み苦しんで出した結論。


それに自分が決めた事を

カオルさんはきっと

曲げない。


そういうカオルさんが

好きだった。

憧れていた。

涙が、静かに頬を流れた。


できないと思った。

今ここで

みっともない真似はできない。

それはわずかに残された

ふられる側の

ささやかなプライド。


『その人と付き合うんですか』

自分のものとは思えないほど

冷静な文字列がそこに並んだ。

『あたしとは

 別れるって事ですか』


恐ろしい質問だった。

どうしてこんなことが

あたしは聞けるんだろう。


長い沈黙のあと

返事が入った。

『付き合うかは分からない。

 でも、これまま

 一緒にはいられない』


やわらかな、けれど確かな

拒否の言葉。

あたしは深くて暗い海の底に

突き落とされた。


このまま一緒にはいられない。


あたしはぼやける目で

その文章を何度も読んだ。

何度も読んで

そして思い出していた。

どこかで聞いた台詞だった。

そうだ。それはあたしだ。

マナブと別れる時に

あたしが言った言葉。


彼の気持ちを断ち切るために

このまま一緒にはいられないと

あたしが、言ったんだった。


全身の力が抜けた。

そうか、カオルさんは

あたしと別れたいんだ。

……本当に。


分からないことだらけの中で

それだけが分かった。


カオルさんにとって

あたしとの未来はこれ以上

考えられなくて

だからカオルさんは

あたしではなく他の人が

良くなって

だからあたしとは

もう終わりにしたいんだ。


そうか。

そういう事なんだ。

そっか……


絶望、という言葉を

あたしはこの時、

初めて知った。


言いたいことも

聞きたい事もたくさん

あったはずなのに

考えれば考えるほど

なくなってしまった。


長い長い沈黙の後

最後にあたしが言えるのは

これだけだった。


『分かりました。

 カオルさんが

 そうしたいのなら』






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