11.祖母との別れ
しばらく静かな日が続いた。
祖母は薬のおかげで
ほとんど眠っていた。
静かなまま、大晦日と元旦が
まるで他人事のように過ぎた。
明けましておめでとう。
オメデトウの言葉が
虚しく響く。
あたしは度々、
左耳のピアスに触れた。
ピアスに触れるのは
ほとんどクセのようになっていた。
カオルさんにはあれ以来、
会っていない。
カオルさんが来てくれると
言ってくれた日もあったけれど
あたしは、断っていた。
オメデタイ雰囲気のお正月。
カオルさんは実家に帰省したり
仲間と海に行ったりしている。
邪魔をしたくない、
我が家の明るくない事情に
カオルさんを巻き込みたくはないと
単純に思ったからだった。
その日――
あたしはその日、夜勤入りだった。
電話で祖母の容態を聞いた。
『今日はどう?』
姉が明るい声で答えた。
『変わらないよ。落ち着いてる』
『そっか。良かった』
『今夜は仕事なんでしょう?』
『うん。けど、その前に少し行くよ』
いつもなら夜勤入りの時は
仮眠をとるために自宅へ帰っていた。
けれどあたしはこの日に限って
祖母の病院に向かっていた。
あとになって思った。
もしかしたら祖母があたしを
呼んだのかもしれない。
病室には父が一人でいた。
「おお、シノか」
父は笑顔だった。
「今朝よ、おばあさんが起きたわ」
「へぇ? 久しぶりだね」
「ああ。しかも今朝はわりと
マトモでよ。
シノが来たら小遣いやってくれって」
「またまたー。おばあちゃんたらー」
あたしは苦笑しながら
今は静かに眠っている
祖母のベッドに近づいた。
その寝顔と呼吸を見て、
あたしは思わず
枕元にあるモニターに目をやった。
規則的な音を立てる電子音、
見慣れた数字。
それなりに安定はしていた。
している……けれど。
「ねぇ、お父さん。
おばあちゃん、いつからこんな感じ?」
「うん? 昼頃からか? 寝たのは」
「……」
「なんだ、シノ」
「お母さんと、お姉ちゃんは?」
二人とも来ている筈だった。
「買い物に行っとるわ。
そこのスーパーまで」
「……呼んで」
「なに?」
「あ、やっぱいい。
あたしが連絡するから
お父さんは、叔父さんたちを呼んで。
叔母さんも、みんな」
あたしの緊張した声に
父の顔から笑顔が消えた。
「おいシノ……まさか」
「うん。もしかしたら」
あたしはもう一度確認した。
祖母の呼吸が、異様に深い。
反対に呼吸の間隔は、
間延びしてきている。
あたしはそういう呼吸を
よく知っていた。
「本当か? シノ。
皆を呼ぶのか? いいのか?」
父は半信半疑だった。
「朝は、喋ったんだぞ。
シノに――」
「いいから」
あたしは父の言葉を遮った。
「いいから、呼んで」
「あ、ああ。分かった」
父は慌てて病室を出て行った。
あたしは病室でこっそり
携帯で姉に連絡した。
『いまどこ?』
『どうした?』
『いいから、戻って』
『――分かった』
姉はすぐに事態を悟ったようだった。
束の間、病室には祖母とあたし
二人きりになった。
あたしは椅子をベッドに近づけて
傍らに座った。
「おばあちゃん」
あたしは祖母に呼びかけた。
「おばあちゃん」
それ以外は、言葉にならなかった。
次第に、身内が続々と集まってきた。
まだ正月休みだったこともあって
皆、駆けつけるのが早かった。
その頃には看護師も異変に気づいていた。
けれど延命処置も何もしないことは
すでに決まっていたので
ただ静かに見守るだけとなった。
病室は人で埋まった。
祖母の息子、娘、
それからあたしたち孫たち
皆、祖母に愛されて育った人間だった。
祖母はまるで
それを待っていたかのようだった。
祖母は、皆が見守る中
少しずつ、少しずつ
呼吸をゆるめていった。
「ありがとね、おばあさん」
誰かが言った。それをきっかけに
誰もが言った。
「ほんとにありがとう」
「あとは大丈夫やで、心配せんでね」
「ありがとう。ゆっくり休んで」
「かあさん、ありがとう」
誰もが泣いていた。
あたしもまた泣きながら
遠巻きにその光景を見ていた。
こんな風に見守られて
最後を迎えられる人は
そんなにいない。
祖母は苦しんだ。けれど
最後の最後にまた
幸せになれたんだと思った。
あたしが病室に着いてから
4時間足らずの出来事だった。
祖母の人生は、静かに静かに
愛に包まれて、その幕を閉じた。




