7.耳の記憶
箱の中には、ピアスが入っていた。
直径が約1㎝、幅2mmほどの
輪っか状になった小さなピアス。
装飾は何もなかった。
ただシンプルな、銀色の輪っか。
――プラチナ製。
「すごい……綺麗」
それは落ち着いた光を放っていた。
「シノは、仕事が病院だから
派手なものはつけられないかと思って」
カオルさんは言った。
確かにあたしの職場では
目立つようなアクセサリーは禁止されている。
「せっかくのプレゼントなのに
あまり色気がなくて、悪いけど」
カオルさんは苦笑した。
「そんな! とんでもないです。
だってこんな、いいもの――」
あたしの目はピアスに釘付けになっていた。
「だって、それにこれ。これなら、あたし
仕事の時でも、付けていられるんです。
それって……すごい。すごい嬉しい」
「そ? なら、良かった」
カオルさんはホッとしたように笑った。
あたしは箱の中に光るピアスを見つめていた。
まるで砂浜で、とびっきりの
貝殻やシーグラスを見つけた時のような
秘密の宝物を手にしたような、
そんな気持ちだった。
色気がないと言えば、
それは確かに、そうだった。
けれどこれほどまでにシンプルで
実用性のある贈り物をくれた人を、
あたしは知らない。
あたしは思わず呟いていた。
「だってほんと、これなら……」
仕事の時でも、どんな時でもはずさずに
いつでも、付けていられる。
自分たちの証として。
なんて素敵な贈り物だろうと思った。
これがあれば、あたしはいつだって
カオルさんを感じることができるのだ。
今この瞬間を、いつまでも忘れないでいられる。
「嬉しい……どうしよ。あたしすごく嬉しい
カオルさん、ありがとう」
「良かった。喜んでもらえて」
カオルさんは華やかに微笑んだ。
本当に、嬉しかった。
あまりにも嬉しくて、鼻の奥がツンとした。
けれどさすがに泣くほどの乙女姿を
30にして、曝け出すわけにはいかない。
あたしは喉を締め付ける感動を
コクンと飲み込んだ。
「でも、カオルさん。
あたし片方に一つしか、穴がないの」
あたしのピアスは片耳だけだったので
一組を貰っても、両方を付ける事は出来なかった。
「うん、知ってる」
カオルさんはニコニコしている。
「でね、シノにお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
カオルさんはあたしが手にしている宝箱を
指さしながら言った。
「そのピアスの片方、私にくれないかな」
「片方を?
もちろんです、だって
カオルさんがくれたものなんだし……」
「じゃ、ちょうだい」
あたしは箱から片方のピアスを取り出すと
そっとカオルさんの手のひらに返した。
「ありがと」
するとカオルさんは何気なく、器用に
それを自分の耳につけはじめた。
カオルさんの耳には、
いくつかピアスが付いている。
その耳の上の方、軟骨のあたりに
銀色の輪っかが、ちょうどよくおさまった。
「ん。ついた」
カオルさんはニヤリと笑った。
「これで、シノとお揃い」
「お、おぉ――?」
あたしは呆気にとられてしまった。
お、お揃い?
まさか、まさかの。
つまり、ペア???
あたしはシコタマ驚いた。
お揃いだとかペアだとか
カオルさんがそんなコトをするような人だとは
それまで予想もしていなかった事だった。
あたしにとってのカオルさんは
常にクール。
一般的な女子が喜ぶような事には
ほぼ関心がないと思っていた。
それが今回あえての、お揃い。
驚く半面、そんな事をするカオルさんが
たまらなく愛おしく思えてしまった。
カオルさんの事をカッコイイ、と思ったことは
数えきれなくあったとしても
カワイイと思ったのは、
これが初めてかもしれない。
あたしは無性におもしろおかしくなって
思わずププッと吹きだしていた。
「なに、笑ってんの」
「だってお揃い、って」
いい年して、お揃いって。
(カオルさん34、あたし30)
くすぐられたみたいに、あたしは笑い
カオルさんは不敵な笑みを浮かべた。
「嫌とは言わせないよ」
「い、嫌なわけ、ないじゃないですか」
「じゃあ、シノもつけて」
「あ。うん」
あたしは笑いを噛み殺しながら
元々ついていたピアスをはずして
それをつけようとした。
けれど、上手くいかなかった。
「あれ。穴どこだろ」
普段から付けっぱなしの事が多いので
鏡のないところでのピアス装着は
特に難しい。
「貸してみ? つけてあげるよ」
見かねたカオルさんが言う。
「大丈夫です。もう、ちょっと……」
鏡の一つも持っていない低女子力な自分を
あたしは恨んだ。
「だから。つけてあげるってば」
「いいですってば」
なんとか自分で付けようとした。けれど
それでもあたしは苦戦した。
「やっぱ……トイレ行ってやろっかな」
大きな手がグイと、目の前に突き出された。
「いいから。シノ。貸しな?」
「……」
「ほら」
「……」
「いいから。貸してみ?」
結局、そういうことになってしまった。
あたしはテーブルの上に
少し身を乗り出し
左耳をカオルさんに向けた。
「小さい耳」
カオルさんは笑った。
カオルさんは笑うけれど
こっちはそれどころじゃなかった。
柔らかな指が、そっとあたしの耳に触れるから
だからあたしは、そっと息を止めるしかなかった。
「ちょっと、待っててね」
「――」
顔のすぐ横で、楽しそうにカオルさんが囁く。
「暗いから、分かりにくいな」
息もかかりそうな距離だった。
思わぬ急接近に、あたしのちっこい心臓は
あらぬ方向へぶっ飛んでいきそうだった。
カオルさんの手の熱が
あたしの耳に伝わってしまう。
その熱は、あたしの意思とはお構いなしに
勝手に耳元で増幅されて、頭へ、
首へ、それから腰へ、拡散していく。
あたしはギュッと目を瞑った。
「ま……まだ?」
あたしは焦った。
「もう少し」
拡散した熱が妙な感覚に変化してしまいそうで
これ以上はマズイと思った、矢先
耳元でピアスがカチリと
ロックされる音が聞こえた。
「ついたよ」
あたしはホッとした。
ホッとした、その時だった。
カオルさんの手が不意に
耳元から首すじを、サワリと撫でおろしたのだ。
「!!!」
あたしはたまらず身を引いた。
熱のかわりに弱い電流が首から腰に走る。
「――! ――!」
熱い耳元を手で押さえながら
声にならない抗議の声をあげると
カオルさんはふっと笑い
俯きながら、首を横に振った。
まるで面白くてたまらないとでも言うように
それがまるで、困った事だとでも言いたげに
「ダメだ。可愛くてつい、いじめたくなる」
呟きながら、こぼれる笑みを隠すように
カオルさんはジョッキを口元に運んだ。
あたしも、どうしようもなく
つられるように、ジョッキを傾けた。
冷えたビールがいくぶん
熱くなった耳を冷やしてくれる。
「カオルさん……」
「ん?」
「――何でもない」
冷たいビールが食道を通っていった。
意地悪なカオルさんへの言い分は
山ほどあると言えば、
あるのだけれど、でも
「カオルさん。あの」
「?」
あたしは耳元に手をやった。
「ありがとうございました……これ」
ひんやりとした金属の温度
あたしの耳の温度
カオルさんの手の、指の
優しくてあたたかい感触。
あたしはこの瞬間を、きっと忘れない。




