5.まるで初デート
そんな中ではあったけれど、ある日
カオルさんが会いに来てくれることになった。
嬉しい……けれども、あたしは少し躊躇した。
カオルさんに会えば、
きっとあたしは、浮かれてしまう。
こんな時に、皆が大変な時に、と
罪悪感を感じずにはいられなかった。
それに、明らかに疲れているだろう、自分の顔。
カオルさんには見られたくないような
見せてはいけないような、そんな気がした。
しかもわざわざ来てもらうのは申し訳なかった。
カオルさんの所から、車で片道2時間はかかる。
そうまでしてもらうほどの価値が
自分自身にあるとは、とても思えなかった。
迷うあたしに、ある日のラインで
カオルさんは冗談交じりに
少し怒って書いて言った。
『シノは、私に会いたくないの?』
まさか、と叫びたかった。
どれほど、会いたいと思っているか
どれほど、カオルさんを――
けれどそれを上手く伝えるのは、
なんだか、難しかった。
『会いたいです。すごく。けど』
『じゃあおとなしく待ってて。行くから』
少し強引な、そのカオルさんの優しさに
あたしは救われたんだった。
日曜日の夕方。
祖母の付き添いを終えたあたしは
急いで自分のアパートへと戻った。
戻った頃には、カオルさんはすでに
近所に車を停めて待ってくれていた。
この時を待って
一日中ドキドキしていた心臓が
カオルさんの姿に、一段と速くなる。
あたしは急いで支度をすませると
カオルさんの車へと向かった。
今日はこのまま一緒に
居酒屋へ向かうのだ。
実は、あたしの部屋でゴハン、
なんてことも
考えたには、考えたのだけれど
このところの忙しさのおかげで、
あたしの部屋はとてもじゃないけど
人を呼べるような状態ではなかった。
カオルさんの車のドアを開けると
中にはかすかに甘い、
カオルさんの匂いがして
軽い眩暈がしそうだった。
「久しぶり、シノ」
その声に、あたしは思わず目を伏せた。
「お久しぶりです。
すみません、遅くなって」
いつもと違うシュチエーションに
あたしは落ち着かない気分だった。
カオルさんの車は、いつも見てはいたけれど
助手席に乗るのはこれが初めてのことだった。
それがなんだかひどく、照れくさく感じる。
「大丈夫だった? お祖母さん」
「はい。今日はほとんど……寝てたから」
祖母の昼夜は逆転していたから、夜は大変でも
昼間のうちは比較的、穏やかだった。
「忙しいのに、ごめんね」
「とんでもないです!
あたしの方こそ――」
謝罪やら弁明やらを言おうとするあたしに
カオルさんは口元を上げて微笑んだ。
あたしはまともに
カオルさんの顔が見れないまま
もぞもぞとシートベルトを締めた。
「遠いのにわざわざ、すみませんでした」
「いいって。んじゃ、行こっか。
どっち行ったらいい?」
「あ、じゃあ左で……お願いします」
「ん」
カオルさんの車はゆっくりと動き出した。
あたしは焦った。
だめだ、ドキドキがおさまらない。
あまりにもカオルさんに会いたかったから
会ったら、抱きついてしまうんじゃないかとさえ
大胆な妄想をしたくらいだったのに
触れたくて触れたくて仕方なかったその手が
すぐそこにあっても、
あたしはそれを眺めているのが精一杯だった。
あたしはちらと、カオルさんの横顔を盗み見た。
いつも通りの涼しげな表情で、
車を滑らかに走らせているカオルさん。
少し、不安になった。
こんな風に一喜一憂しているのは
自分一人だけのような気がして。
あたしの行きつけ、というほどではないけれど
友人とよく利用する居酒屋へ行った。
そこはどちらかというとバーに近い居酒屋で
本格的なバーカウンターのある1階と
ロフトのような2階席がある。
あたしたちは2階席にあがった。
見下ろすと、バーカウンターの酒瓶やグラスが
夜空のようにキラキラと輝いて見える。
薄暗い照明の中で、カオルさんはコートを脱いだ。
あたしは思わず、その姿と仕草に釘付けになった。
なんだか今日のカオルさん、カッコイイのだ。
初めて見る雰囲気だった。
あたしが知っているカオルさんは
サーフィンをしている時とか、
カオルさんの部屋でくつろいでいる時とか
たまにランチに行くとか、そのくらいで
そういえば今さらだけれど
夜のお出かけバージョンは知らなかったのだ。
服装がなんとなくいつもと違い
髪の雰囲気も、なんとなく違い
だから本当になんとなく、でしかないのだけれど
いつもより男前(女前)なカオルさんに
あたしは一層ドキドキした。
「なに、飲む?」
聞かれて、あたしはまるで
初めて見る物のように
メニューを広げた。
「えぇっと……」
「ビール?」
「けどカオルさんは、車で飲めないのに」
「飲みなよ。
そのために来たようなもんなんだから」
「そのためって」
「病院病院じゃ、ストレスたまるでしょ。
たまには気晴らし、しないとね」
「けど……お酒好きのカオルさんが、
飲めないなんて。
それって、蛇の生殺しじゃないですか」
「……ばか」
カオルさんは笑った。
あたしも笑った。
「で、何。ビールでいい?」
「あ、はい」
カオルさんはその長い腕をスラリと上げると
見るも鮮やかに店員を呼び、2人分の飲み物と
とりあえずのツマミまで頼んでくれた。
こういう雰囲気……そうだ、
まるでデートなんだ、とあたしは思った。
そういえば今まで、それらしいことは
したことがなかった。
デート。
その響きにウキウキする。
あたしは心の中で呟いた。
お母さん
おばあちゃん
ごめん。
今だけは
この時間を楽しませて。




