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Life is choice.  作者: 小野田ラコ
第3章 長い冬
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1.術後の祖母とあたしの後悔

カオルさんのアパートに泊まった、

その二日後。


祖母の足の手術は

滞りなく、無事に終わった。


あたしは仕事の都合で

当日には行くことができず

翌日、様子を見に行った。


祖母はさすがに少し

疲れたような顔をしていたけれど

それでもベッドの上で

皆に笑顔を見せていた。


ひとまずは安心だった。

医師の説明では、数日後には

車椅子に移れるようになると言う。


皆が安堵した。

安堵はしたものの

ベッドの上の祖母の状態は

とても痛々しく見えた。


点滴やら何やらの、

数々のチューブ類や、機械。


そんな光景は、あたしはいつも仕事で

見慣れている筈なのだけれど

自分の身内となると、

それはまるで別物だった。


細い祖母の腕は

おそらく点滴や採血で

何度も針を刺されたのだろう

皮下出血の跡。


肌の弱い祖母は

湿布すら張らなかったのに

たくさん張られた

チューブ類のテープ固定。

きっと、あとでかぶれてしまう。


寝た切りの今は

オムツをつけているから

それも心配だった。


ちゃんと担当の看護師は

細かいところまで看てくれるだろうか。


あたしは自分も看護師であるがゆえに

現場の事情が分かるがゆえに

「看護師さんに任せておけば」

などと安易には思えず

余計な心配をしてしまうのだ。


自分が担当の看護師ならば、

せめて自分の勤めている病院ならばと

思わずにはいられない。


そんな時、父が言った。

「今夜はお母さんが、泊まるでよ」


「泊まる? けど、付き添いは……」

総合病院での、家族の付き添いは

よほどの事がない限り

不要とされていた。


「ああ。夜の付き添いはいらんて、

 先生には言われたけどな」

父は困ったような顔で言った。

「けど婆さん一人には、できんで」

「……そっか」

私は少し嬉しかった。


その日の夜は久しぶりに

父と母、姉と4人で食事に行った。


食事、と言っても

病院の近くの古ぼけた中華料理屋で

手軽に済ませただけなのだけれど。


母はそのまま再び病院へ戻り

あたしたちはそれぞれの家へ帰った。


穏やかな夜だった。

――はずだった。



翌日の昼になって、仕事の休憩中に

あたしはそのことを

母からの電話で聞かされた。


昨夜、夜中に、

祖母がおかしくなったと。


母の話によれば

突然、訳の分からないことを

言い始めたという。


最初はご飯の話だったらしい。

「飯を食わせてもらっとらん」

と、夜中に祖母が怒り始めたという。


まだ食事が許可されていない祖母は

当然、食べる事は出来ないのだけれど

それを何度説明しても

祖母は納得しない。


そうこうしているうちに

家に帰ると言い始め

まともに動けない身体をふりまわし

大切な点滴を、引きちぎり、

オムツまでもひきちぎり……


挙げ句の果てには

尿の管までも引っこ抜いてしまって

血まみれになってしまったという。


電話の母の声は、

すっかり憔悴しきっていた。

「まさか……あんなことするなんて」


祖母の豹変ぶりに

母は、どうすることもできず

ただナースコールを握りしめた。


すぐに看護師たちが対応し

祖母には鎮静剤が使用され

それからは、今もほとんど

眠っているという。


せん妄――


そうか。

なってしまたのか。


あたしは母の話を聞いて

それほど驚きはしなかった。


せん妄とは、

手術後やICUなどで管理されている

特にお年寄りに多くみられる状態で

認知症のようなふるまいをする、

一種の意識障害だ。


昔はスパゲティ症候群とも呼ばれた。

多数のチューブ類に拘束され

見慣れない機械や、壁に囲まれると

そういった環境の激変に適応しきれず

一時的な錯乱状態を引き起こすという。


看護師としては

常識的な知識だった。

現にあたしはそんな患者さんを

職場で数えきれないほど見てきた。

祖母の状態は、全くそれと同じだった。


「お婆さん、ボケてしまったんやろか?」

母は落ち着きなく言った。


「大丈夫、大丈夫。

 手術した年寄りには、よくあることだよ。

 しばらくすれば治るから。安心して」


「先生も、そう言ってみえたけどさ。

 でもあたしはもう、おばあさん

 ボケてしまったと思ったのよ。

 もうこりゃあ、いよいよ、

 いかんわーと思ってねぇ……」


医療について何も知識のない母にとっては

当然の反応だった。


「大丈夫だよ。大丈夫。

 先生の言うとおりだから。

 落ち着いてこれば、戻るよ」


「なら……いいけどさぁ。

 本当に、大変やったんよ?」


母は何度も

同じ話を繰り返した。


「ほんとにお婆さん、ボケたんと違う?」

「大丈夫。ちょっと環境が変わって

 パニックになってるだけだよ」


「ほんでも、おしっこの管抜くなんて

 自分も痛いやろに。分からんのよ?」

「うん。そういうものだから。大丈夫」

あたしは母に根気よく説明した。


「今日は夜勤入りだから行けないけど

 明日、昼ごろ行くね、そっち」

「うんうん。ま、あんたも無理せんでね。

 忙しいのに、悪かったね」


電話を切ったと、あたしの心は沈んだ。


せん妄、か……


原因は色々あるのだけれど

不安などの心理的ストレスが

大きく影響する場合が多いという。


あたしは、唇をかんだ。

手術の前にあたし

祖母の所へ行くべきだった。


それでも結果は同じだったかもしれないけど

行くべきだった。祖母のそばにいて、

なんでもいい、

話を聞いて

そばで笑っていてあげるべきだった。


せん妄についても

あたしには知識があるのだから

少しでもその事を母たちにしていれば

母も、パニックにならずに済んだだろうに。


あたしは看護師でありながら

祖母を、家族を

何一つケアしきれなかった。


どうにも

自分の感情の中では

どうにもならなかった事とは知りつつ

あたしは自分の愚かさを悔やんだ。



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